精霊の宿り

BlogTop↑↑ 夜が来て、花は二つの花びらを閉じ、すべてを隠してしまうのだ。

記憶1

2010年02月11日 09時13分56秒 | ノート note
 二十年ほど前のことだ。まだ私が若い二児の父親で妻が三人目の子を身ごもったばかりだった。妻はひどい貧血に苦しんでいた。余裕のない家計から数千円を引き出して妻にオレンジと蜂蜜を買ってやった。仕事は半日のアルバイトで車を飛ばして数十キロ先の町のパチンコ屋を回って景品交換業の集金をしていた。畑でトマトを栽培していたが妻が身ごもったために労力を省く必要があったので作付面積を半分に減らした。それで妻子を養って食っていけるかどうか心もとないが、私たち夫婦は一円も漏らさない家計簿のデータから一年の予算を立ててアルバイトの給料が入ったら茶封筒に一ヶ月の支出ごとに振り分けてやりくりしていた。そうして毎月なんとか暮らしていたのだ。もちろん酒もタバコも断っていたから小遣いなどなかった。
 数年後若い私の脳は限界を超えて妄想の世界にはまることになる。ストイックな暮らしは妙な快楽を与えてくれるものだ。そんなある日、気晴らしのためにお好み焼きを食べに行こうと思って数百円の小遣いを握って知り合いのお好み焼き屋に立ち寄った。悌さんという男がやっている店で、小さな借家に暖簾を垂らしていた。子どもが二人いたがまだ小さかった。かわいい長女と息子が狭い店の二階から時々顔をのぞかせた。二階の小部屋に一家四人寝起きしていたのだ。悌さんは若い頃板前の修業で磨いた腕を錆付かせたくなかったのかいつも包丁を丁寧に研いでいた。滅多に来ない客をあしらった間に内職の紙飾りの糊付けに精出した。
 悌さんは将棋が強かった。私は時々相手してもらったが飛車角落ちでもかなわなかった。悌さんはこいつほんとうに大学出か。頭の悪いやつだなと私のことを思ったに違いない。適当に勝負してさっさと内職に励んだ。一枚あたり二円の内職だ。
 
 「ほんとうにいいのか?」と悌さんは言った。裁判闘争の救援会の会費を悌さんに請求されて私は無造作に妻から受け取っていた茶封筒を差し出した。「いいも悪いも毎月会費をためてとっておいたから別にこまりゃしないよ」と私は答えた。悌さんは黙って茶封筒を受け取って内職にとりかかった。その金は悌さんの財布に収まった。悌さんは金に困っていたのだ。下の息子がちょうど中学校に上がるときで入学費用が入り用だった。救援会の会費などどこに流れようとわかるはずもない。
 悌さんはその晩眠れなかった。あの男は本当に馬鹿だな。人に何の疑いもなく金を渡して喜んでいる。それにあいつは組織の地区委員長を殴り倒してみんなから悪い男だとさげすまれている。あの男は町会議員選挙に自分が出馬すればいいものをわざわざ嫁さんを候補者にしつらえて落選させた。みんなは組織を利用しているだけの悪いやつだとあの男を散々悪く言っている。ふん……。
 だがその晩から悌さんは変わった。翌朝、悌さんは電話の受話器を握って地区委員会に電話した。「お前らさんざんあの男を悪く言っているようだな。おれはもうあんたらの言うことには協力しないからな」

 私は悌さんになぜ組織に加わったのかと尋ねてみたことがある。「偉い人になるためだ」と悌さんははにかみながら答えた。本心かどうか私にはわからなかった。その後、パチンコの景品交換の集金で数十キロ離れた町を車で回っていたとき、悌さんが原付バイクに乗っているのを見た。お好み焼き屋の客も不景気でいなくなったのだろう。どうせ稼ぎのために何十キロもバイクを飛ばしてきたのだろう。と私は皮肉に思った。それ以来悌さんに会うことはなかった。人づてに悌さんが偉くなったことを聞いた。悌さんの息子が工業高校に入学したときに人に推されてPTAの会長になったらしい。悌さんは校長と交渉して古い体育館を建て直す運動をした。体育館は立派に出来上がった。そして悌さんはかわいい子どもたちを残して亡くなった。五十代だったろう。膀胱癌で手遅れだった。
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Martin Luther King \

2010年02月10日 12時16分25秒 |  YouTube政治
Martin Luther King "I have a dream"


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