hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

赤をめぐる 旅の終りの 雪

2019年02月04日 | 絵画について
坂を登りきって 人けない道を渡る前
もう登れぬ日も來ることを想った
左を向くと 円い羽のようなものが 二つ
行く手の両端へ 白く ゆっくりと降りて來た

現れつつ消えゆく 門のように
地面の冷たい黒へ 同時に ふれ そのまま白く
もう一ひら ふいに数多(あまた) 空の灰色から
白々と巻き湧いて 地面の黒へ散り落ち
白いまま 少しずつ小さくなった

誰かが 昇っていったのだろうか 疲れを知らぬ
松浦 武四郎(文化15〔1818〕- 明治21〔1888〕) のように
時空を巻き上がる 気泡氷結
空洞の階(きざはし)を貫(ぬ)け

大気を縫い 記憶を纏(まと)いながら
出逢えぬことも 寄り添うことも
已(や)むことなく廻(めぐ)る
会津さざゑ堂の 二重螺旋の板張りの坂 のように
しづかに きしむ音を響かせ


去年(こぞ)の 夏から秋へ 薄日が遠のいてゆく
離宮の 敷石の白と 高空の水色の間を ツバメが
かちゃかちゃと鳴きながら 視線のように よぎり

誰の眼差しだろう と想っていると
十三夜月が ゆっくりと翼部へ 額を押し当て
露台で旗が ひっそりと ゆらめいて
石段下に隠れた灯が まもなく ともるのを待っている

暗く居並ぶ窓の内
渡辺 省亭(せいてい)(嘉永4〔1852〕- 大正7〔1918〕)の
柔らかな濃淡による 花鳥画を
濤川(なみかわ)惣助(そうすけ)(弘化4〔1847〕- 明治43〔1910〕)が
息を呑む 七宝に仕上げた 楕円の額が 三十と二

木目の波紋が木霊する 餐(さん)の間に
紅い鳥は いまも居て
頭に 一ひらの白を載せ
淡紅鸚哥(モモイロインコ) に 科木(シナノキ)

省亭による 下図

かすかに頬笑む形の 嘴(くちばし)は白く
泡立つ 冠羽 の白を目深(まぶか)に
溶け出した滴(しづく)に映る
遠い太陽の記憶のように
煌(きらめ)く 小さな眸(ひとみ)
   
灰色の翼に霜が降り 尾羽の内も白く曇る
常夏の森で 冬を纏(まと)う
四季の林の どこかに居たか 紅い鳥
   
      円山(まるやま) 応挙(おうきょ)           佐竹 曙山(しょざん)
    (享保18〔1733〕- 寛政7〔1795〕)    (寛延元〔1748〕- 天明5〔1785〕)
      老松鸚哥(おいまつ インコ)図              松に唐鳥図

松の上で 何かを待つ 応挙の 黒い帽子の
見返りの鳥は 驚いているのだろうか
ジグザグを描いて空へ昇る 枯れ枝の階(きざはし)の
下に とまる 冠羽帽なき 曙山の 紅い鳥も
こんなに高い 松の梢(こずえ)で 眠っている わけでもなく

彼方(かなた)で 遙(はる)か以前に
故郷の梢(こずえ)を離れた 一ひらが
季節を運ぶ風に掬(すく)われ
星々の浸(ひた)る 高く速い気流へと託され
夜更(よふ)け 凍りつつ舞い降りて
辺(あた)りを仄蒼(ほのあを)く照らす

鎖(とざ)されつつ 半ば開かれながら
枯れ丸まった葉の間 シナノキ の実は
鸚哥(インコ)の小さく琥珀(こはく)色に凍りついた
記憶の雫(しづく)の 眸(ひとみ)のように
悴(かじか)んだ爪先から下がっている

暗く眩(まばゆ)い森の 木洩(こも)れ日の中
幾千もの 紅い鳥が飛び交い舞う 吹雪のように

琥珀(こはく)色に煌(きらめ)き 搖(ゆ)れる シナノキ
餅花は 夕暮れ時の 桿体 のように うつらうつら し
深々と座布団に沈む 団栗(どんぐり)は もう冬眠

若冲の 紅い鳥は 何を想う 星々を遠く映す
つややかで温かな宵闇が しっとりと降りてくる


伊藤 若冲(じゃくちゅう)(正徳6〔1716〕- 寛政12〔1800〕) 櫟(クヌギ) に鸚哥(インコ)図

故郷の マンゴーの木 か

17C(ca.1630-70頃)Indian Parrot on a Mango Tree, Golconda
マンゴーの木にとまるインド鸚哥(インコ)

羊と木の 寸法比は ほぼ合っている ように見えるので
鳥が とても大きく描かれているのは 実を載せた 片肢の甲を
口元へ揚げて啄(ついば)む ネーデルラントの画家
アドリアーン・コッラールト(c.1560頃 – 1618)による
銅版画のイメージ からだろうか という説も

左のインコが食べているのは サクランボだろうか
足下の枝にも 掛けてある
このインコは 緑のように見える
灰色かも知れぬ

右の やや細身のほうが 赤いのではないか
黒い帽子のにも 似て



北方では オーロラ が出ると
人心を狂わせる ことも あるのだそうだ
とくに 赤いオーロラ
南極点 到達に成功した アムンセン の一行にさえ
仲間に襲いかかる者が 出たという

太陽からの風が 放射線を伴い
大気の元素を 励起
低周波 を響かせる
地球自身の発する音遠く近くの惑星の音
聴き取れなくとも 感じる人は居て
知り得ぬメッセージに 胸を締めつけられる

  私は 二人の友人と歩道を歩いていた。 太陽は 沈みかけていた。
  突然、空が血の赤色に変わった。 私は立ち止まり、酷(ひど)い疲れを感じて
  柵に寄り掛かった。 それは炎の舌と血とが 青黒いフィヨルドと町並みに
  被さるようであった。 友人は歩き続けたが、私は そこに立ち尽くしたまま
  不安に震え、戦っていた。 そして私は、自然を貫く 果てしない叫びを聴いた。
ムンク 日記より〕     


エドヴァルド・ムンク 叫び 1910年頃 テンペラ・油彩・厚紙 83.5×66cm

極地方の夕焼けと 彩雲真珠母雲

ずっと この人が 橋を渡っていて
途中で 恐怖と苦痛に駆られ 叫び出し
止めることが 出來ないでいる と想っていた
逆巻く血のような流れが 橋の下にも 上にも ある
ことに気づき 渡りきることも 出來ぬまま

胸を締めつける 恐怖と苦痛の 心象風景と想ったものは
極地の夕暮れと彩雲の織りなす 空一面に波立つ深い赤だった
それは内から來たものではなく 外から來たものだった
内から湧き出したものが 外から押し寄せたように
想われることは しばしばだが

外から來たものが 内から鏡像のようなものを
呼び出すと ふいに自らと想っていたものが
内と外から圧し潰(つぶ)され 薄い水面へ
鏡面へと圧縮されてしまう
自らの表層へ閉じ込められ

炎のように切り裂く 視線と囁(ささや)きに貫かれ
まるで 自分なぞ そこに居ないかのように
異質な侵入者と それによって変質された自己が
互いを値踏みするように 眺め合う

時空に棚引(たなび)く 薄膜の向うへ
遠ざかる二人の人影は 友人だった
画家を貫き 紅穹の下に串刺しにする
黄昏(たそがれ)の囁(ささや)きは 彼らには聴こえない

同様に 内から迸(ほとばし)り出たものが
外から捧げられたもののように 想われ

想い出せぬのに 忘れられぬ 自らの夢を映し出す
深い水面を宿した 眸(ひとみ)を愛しても
それは 映しているものだけを 見ているわけではないだろう
それが目の前に 立ちはだかって居るだけかも知れぬ


紅い鳥は 自分の羽に紛(まぎ)れた
遙(はる)かな太陽の歌を 聴いているのかも知れぬ
故郷へ 羽搏(はばた)いて帰ることを
渡れぬ橋を 聲(こゑ)なき歌に 想い描いて


14世紀半ばから19世紀の半ばにかけて 小氷期 があった
厳冬と寒い夏 テムズ川とオランダの運河は完全凍結し
寒さや飢饉(ききん)で 多くの死者が出た
太陽の活動が極端に低調で 地球規模で火山活動が激しく
火山灰が空を覆(おお)い 日照時間が減った

とくに マウンダー極小期 と呼ばれる
1645年から1715年の30年間に
観測された黒点数は 50餘(あまり)で
通常の千分の一にまで落ちている


マウンダー極小期小氷期 を生きた
フェルメール(1632? - 1675?)の 赤い帽子の娘 は
男性像が描かれていた とても小さな板を
塗りつぶして 天地を逆さにし 描かれているそうだ

いつも左を向いて 窓から入る光を浴びている女性が
右を向いて ふり返り 頬と口元に光が当たって
光は 右奥の 画面を外れた どこかから差し込んで來て

平安人のような顔立ちの ほとんどと 眸(ひとみ)は
大きな ふっさりとした 深い赤の 羽根か毛皮の
うち重なった片翼のような 帽子の蔭になっている

紅い帽子の上層に波立ち 含まれた
温かな日差しと 下層に含まれた 冷たさ
それらとは異なる方向から注がれる
過去や未來の眼差しに 自分でも知らなかった
古い名を呼ばれたように 振り返る


赤い帽子の娘 Girl with the Red Hat 1665-1666年頃 油彩・板 23.2×18.1cm
ワシントン・ナショナル・ギャラリー National Gallery of Art, Washington


目の内に広がる 網膜 には 光の波長=色を感知する 錐体
光の三原色 ごとに 異なる数で存在し
赤(長波長≒560nm)Ⅼ錐体:緑(中波長≒530nm)M錐体:
青(短波長≒430nm)S錐体 ≒ 63:32:5
Sが少ないうえに 中心窩の最中央部には存在せず
 ⅬM比には 著しい個体差も あるという 86:9:5 / 28:67:5 など
交じり合いながら 中心窩 に集まる
明るいとき ところで働く

光の波幅=光量=明暗を感知する 桿体
中心窩 の周辺に散らばる
桿体 の数は 錐体 の 20倍以上
暗いとき ところで働く

赤は 探されているのだろうか 時の薄膜を貫き
青は 隠されているのだろうか 時の紗幕の陰へ

酸素を捕らえた 鉄 を運ぶ 赤い波
酸素を抱いた 銅 を運ぶ 青い波

画面 手前には 椅子の背もたれの左右に
狛犬のように配された 獅子頭の彫り物が ある
それは 絵画の内と外を分かつ 門だろうか

超えられぬ はずの境界 間に閃(ひらめ)く 時の薄膜を
視線は ヘリウム4 のように 超流動 で昇る

私たちからは見えるのに 彼女からは見えぬ
私たちには聴こえぬのに 彼女には聴こえる


『わたしの名は赤』で オルハン・パムク は 赤に 次のように語らせる

「……
 お前たちの疑問が聞こえてくるよ。一つの色彩であるとはいかなることなのかと。
 色彩は目の触覚、耳の聞こえぬ者の音楽。暗闇の中の言の葉。わたしは、何万年もの間、書物から書物へ、事物から事物へと渡り歩き、風のうなりのように囁く魂の声に耳を傾けてきた。だから、私に触れられるのはどこか天使に触れられるのと似ているかも知れない。お前たちの視線を受けて空を舞う軽快さが私には備わっている。
 赤たることは幸いかな! 燃え盛るようで力強い。わたしは知っている。みながわたしに目を留めるのを。お前たちがわたしに抗えないのを。
 何者もわたしを隠しえない。赤の優美さは惰弱と無力によってではなく、ただ決意と強い意志によってのみ実を結ぶ。他の色も、影も怖くはない。群衆も孤独も恐れぬ。わたしの到来を待ちわびる紙の表面を赤い勝利の炎によって覆いつくすのは、なんと素晴らしいことか! ひとたびわたしが塗られたなら、人々の目は爛々と輝き、その情熱は勢いを増し、眉毛は逆立ち、胸は高鳴る。わたしを見ろ。生はなんと美しいのだろう! わたしを見据えよ。視覚とはなんと素晴らしいのだろう! 生とは見ること。わたしは至るところで見られている。わたしに帰依せよ。生はわたしとともにはじまり、やがてわたしに回帰するのだから。
 黙して聞くがよい。わたしがいかにしてかくも壮麗な赤となったのかを聞かせてやろう。顔料に通曉する とある絵師が、インドで最も暑い地方よりもたらされた干したエンジムシをすり鉢に入れてすりこぎでよく潰して粉末にした。五ディルハム分のこの粉末の他に、一ディルハムのシャボンソウ、半ディルハムの酒石英を準備し、三オッカの水を鍋に注ぎ、まずはシャボンソウを投じてよく茹でる。次に酒石英も加えて よく かき混ぜ、さらに茹でる。ちょうど、珈琲を淹れるくらいの時間だ。その絵師がコーヒーを飲んでいる間、わたしは いまにも生れ出ようとする赤子のように、居ても立っても いられない心持ちだ。珈琲で頭と眼が冴える頃合いに、いよいよエンジムシの赤い粉末を鍋に投じる。そして、専用の細くて清潔な攪拌棒で混ぜれば、私が真の赤となるまであと少しだ。しかし、火加減が大切だ。沸かし過ぎても いけないし、かといって まったく沸騰させないというのも よくない。さあ、棒の端で一つまみを親指――他の指では いけない――の 爪に垂らしてみよう。おお、赤たることは美しきかな! わたしは絵師の親指を赤く染め、しかし 水のように その端から こぼれ落ちる ことはない。いい頃合いでは あるが、まだ澱が残っている。炉から鍋を下ろして布で漉せば、わたしは より純粋な赤となる。ふたたび炉に戻して、都合二回、さらに沸騰させつつ攪拌したのち、軽く砕いたミョウバンを加え、冷めるのを待つ。
――あれから数日が経った。あらゆる書物の頁や さまざまな場所や物に塗られるはずだ というのに、わたしは何色とも混ぜられることなく、鍋の中に とどめ置かれたままだ。
こんなふうに放っておかれるのは 我慢が ならないが、仕方なく わたしは、その しじまの中で赤たることの所以(ゆえん)に思いを馳せた。
……」(オルハン・パムク『わたしの名は赤』早川文庫 宮下 遼 訳)


彼女は そこに居らぬ人を見ようと
しているようにも見える
これから來る人を
出逢うことなく 去りゆく人を

彼女を描く人を
忘れ得ぬ面影として
彼女を見る人を
赤い帽子の人として

彼女のことを なにも知らず 美しいとも
やさしい娘とも想わぬかも知れず
興味すら抱かぬかも知れぬが
果てしなく広がり続ける 視野を行き交う
彼女の愛でた赤い帽子を 目にとめ
記憶にとどめる 行きずりの人々を

赤は 自らの置かれた世界よりも 外が見えるのかも知れぬ
視線は 光の通った跡をたどり 光の穿(うが)った洞を彷徨(さまよ)う
温められ ゆらめき立つ 翳(かげ)を かき分け
光の記憶に包まれ

遙(はる)かな時を貫(ぬ)け 視線は届く
視線は 囁(ささや)く
夕暮れのツバメのように
極地の黄昏(たそがれ)の 彩雲 のように
一ひらの雪のように

凍りつく寒さの中 燃える薪と灯心に宿る
汐のように脈打つ 温かな赤
遠く小さく 去ってゆくような日の暮れがた
過去や未来からの眼差しが 血の中で
あなたを呼ぶ 母のような聲(こゑ)で

あなた自身のうちに宿り消えたように想っていた
夢の数々は その聲(こゑ)に応え
あなたの枯れた泉に 細い流れを幻のように繰り出し
えもいわれぬ 甘く懐かしく 聴こえぬ歌を歌う

眠りの底で あなたは泣くが
目覚めた時には 忘れている

空が ほぐれて灰になり すべてが
白い淡い光に 覆(おお)われてゆく
聴き取れぬ 絶え間なき 囁(ささや)きに 包まれ



リュートを調弦する女 Woman with a Lute
1662-1663年頃 油彩・カンヴァス 51.4×45.7 cm
メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art

果てなき旅

2018年10月31日 | 絵画について

下村 観山(1873-1930)「採桑翁」
画中で 翁の突く杖の上に とまっている
ように 描かれている 小鳥

採桑老 は 一人舞の舞楽で
非常に老いた面 をつけ


足下も覚束ぬ樣子で 鳩杖を突き
不老長壽の薬草を探し求め さ迷い歩く

鳩杖 は 中国古來より
高齢者への贈り物として
握りに 白玉(はくぎょく)翡翠(ひすい) の 鳩の彫り物を
配(あしら)ったものが 作られてきた





各年齢ごとに 老いゆく樣(さま)を 漢詩
詠(えい)じ 不吉な終盤の二つは 歌わず

   三十情方盛 四十気力微 五十至衰老
   六十行歩宣 七十杖項榮 八十座魏々
  (九十得重病 百歳死無疑)

   三十にして情まさに盛んなり 四十にして気力微なり 五十にして衰老に至る
   六十にして行歩宣たり 七十にして杖に懸りて立つ 八十にして座すこと巍々たり
  (九十にして重き病を得 百歳にして死すること疑いなし)


百済国 の採桑翁が老いて 鳩杖を取る 屈んだ姿を舞いにした
(樂家錄 / 重田みち「韓国の仮面舞劇と翁猿楽」)
とも 秦の始皇帝に願い出 日本へ不老不死の薬草を探しに來て
戻ることのなかった 徐福 の物語に由來する ともいわれる

舞えば 程なくして死す との伝承もあり
実際に 平安時代 一子相伝の舞い手が 殺(あや)められ
途絶えたが のち勅命により 復曲されたという


年老いた翁を描くにあたり
観山は 杖の上の鳥を 生きているかのごとく描く
ふんわりと小さく 幼く

杖の握りの下 左の親指の爪の向うに
付け根が薔薇色で 先が緑の 長い尾羽も覗(のぞ)く

杖に重ねられた 皴(しわ)の刻まれた灰色の指が
薔薇色に膨らむ小鳥の 背後から脇へ
朽ち木のごとく垂れ下がる

杖を介し 土気色を 翁の裡へ濾(こ)し残し
赤みを帯びた色が 小鳥へと集められてゆく
サイフォンの原理 が 働いているのか

嘴(くちばし)の付け根で 鼻孔を覆(おお)う 米粒様の鼻こぶは
鳩にも インコにも見られる というので
コザクラインコ か とも想われたが

大磯などで 林から群れをなして飛來
砕け寄す波を潜(くぐ)り 次々と岩礁に降り立って
窪(くぼ)みに溜まった海水を飲む 不思議な アオバト かも知れぬ


穏やかに老いゆく 翁の命は 杖の鳩へと移り 宿り
いましも 翁が 息を引き取ると 鳥は 羽搏(はばた)き 飛び去るか

薄日 充ち溢(あふ)る空の 一点となり
滲(にじ)み消ゆるまで 見送り 振り返ると そこに

まだ仄温かい 鳥の巣立った洞(うろ)のある
老木が 道野邊(みちのべ)に 佇(たたず)んで居るかも知れぬ

見て居たのは 誰なのかと
眼を轉(てん)ずると 足下は老木の根なのだ


   【銀杏】 いちょう

   「金色(こんじき)の 小さき鳥のかたちして
    銀杏(いちょう)散るなり 夕日の岡に」  与謝野 晶子 (恋衣


   長くなった西日を受け、眩しいほどに輝く黄金色は青空によく映える。
   カエデは種類が多いが、銀杏は一種で、現存種のみである。

   2億年前に繁栄したイチョウ属の唯一の生き残りで「生きた化石」と呼ばれる。
   草食恐竜によって種子を拡散させていた裸子植物で、恐竜の絶滅と共に消滅したが、
   中国の山中で発見された銀杏の実が、世界中に広まった。

   寿命が長く、大木になる。
   日本には十世紀頃に渡って来たと推測されている。
   欧州には、江戸時代に来日した ドイツ人医師 ケンペル によって伝えられ、
   多くの都市の街路樹となって親しまれている。

LUNAWORKS『和暦日々是好日』手帖 2016年版 神無月 より)
Flower Healing Society 佐藤しんじ




観山には 音響や 思考 處作や 気配が 時空に傳(つた)わる
軌跡を とどめ描こうとするようなものがある
そのような作 荘子 胡蝶の夢


うたた寝する 荘周(荘子) の 頭上に 夢見る自らが 浮び上がる
首(かうべ)を廻(めぐ)らせ 半眼より 視線を投ずる
その先で 薄明と薄暗(うすくらが)りが そよぎ
時空の狭間(はざま)より 煙のように 仄(ほの)暗き 星雲のように
蝶が 縺(もつ)れ出る


しだいに羽搏(はばた)いて 上へと昇る
荘周の視線に向い合う かそけきもの から
視線の先へ 身を轉(てん)じ 翼を揚げようとするもの
緩やかにS字形を描いた高みで 翼を拡げ

やがて 同じ道すじを はらはら伏し降り 荘周の視線へと吸い込まれ
瞼(まぶた)は落ち 首(かうべ)を戻し 眠る姿へと還(かへ)りゆく


   昔者 荘周 夢為 胡蝶   栩栩然 胡蝶也
   自喩適志与 不知周也  俄然覺 則蘧蘧然 周也
   不知 周之夢為 胡蝶与   胡蝶之夢為 周与
   周与胡蝶 則必有分矣  此之謂 物化

   昔者 荘周 夢に胡蝶と為る      栩々然として 胡蝶なり
   自ら喩しみて志に適えるかな 周たるを知らざるなり
                    俄然として覺むれば 則ち 蘧々然として周なり
   知らず 周の夢に胡蝶と為れるか  胡蝶の夢に周と為れるかを
   周と胡蝶とは 則ち必ず分有らん  此を之れ 物化と謂う

   かつて あるとき 私 荘周は 夢の中で胡蝶となった
           喜々として 胡蝶そのものであった
   自づから樂しく 心のまま ひらひらと舞った
           荘周であろうとは 想いもよらなかった
           はっと目覺めると これはしたり 荘周ではないか
   荘周である自分が 夢の中で 胡蝶となったのか
           自分は 実は胡蝶であって いま夢を見て 荘周となって居るのか
           どちらなのか もはや判らぬ
   荘周と胡蝶には 確かに 形の上では 違いがあるかも知れぬ
           だが 主体としての自分には 変わりはなく
           これが 物の変化というものであろうか


実際に蝶が來ていて その羽搏(はばた)く音で
夢に誘(いざな)われたのか それとも
漂い過(よぎ)る蝶が 薄く開かれたままの
目の端を 翳(かげ)らせたのか

その可能性は 元の歌に遺されているものの
観山の画には 荘周の魂の痕跡が
描かれているのみ のように見える

だが魂が 時空の記憶の 搖(ゆ)らぎを感じ取り
そこから延ばされた 翼や滴(しづく) 花びらや指に ふれ
互いを解き放ち 一つに生成しなければ それは起こり得ぬ

そのような邂逅は 魂と 時空の裡(うち)に
巻き上げられた 小さな渦となって 残りつづけるのだろう
だれかが それに目を留め 耳を傾けて
手を延べ 魂にふれ 開き 開かれ
一期一会の舞を 舞いながら 命の一ひらを渡し 受取るまで


双幅で 双鶴と 幻日 を表し
一幅づつで 時空の経過や 乖離(かいり)を あらわすかのような作

  

幻日は 太陽から22°ほど離れた 同じ高さのところに
見える 小ぶりな太陽のような 輝きである

雲の中に 六角形の板状になった 細かい氷の粒があり
風が弱いとき それらは落下しながら 空気抵抗で
地面に対し ほぼ水平に 浮ぶようになる

この氷の粒の 一方の側面から 太陽の光が差し込み
側面を一つ挟んで また別の側面から 出てゆくとき
二つの面は 60°の角を成し 氷の粒は 頂角60°のプリズムとなる

たくさんの 小さな氷のプリズムによって 屈折された太陽光は
太陽から 22°ほど離れたところから 射し來るように 見える

鶴は ほんとうは一羽だったかも知れぬ
右目に見えるものと 左目に見えるものが
少しづつ ずれ 離れゆき 別々に動き始める

見られているものが そうなのではなく
見ているものが そうなのだ
右目の側と左目の側が ずれて離れてゆく

なんとなく 欠けたところは まだ ついて來ているように想いながら
二つに別れた半身は 互いを置き去りにし 置き去りにされながら
二人で一人だった頃 行こうと想っていたのとは 22°ほど離れた
互いに 正反対のほうへ 逸れてゆく

双鶴か 孤鶴が 飛び去り 歳月が経っても
日輪は廻(めぐ)り 若松は濱(はま)を傳(つた)い
汀(なぎさ)を渡り 芽吹き そよぐ

   Röyksopp - Keyboard Milk

唐代の詩人 崔顥(生年不詳 - 754年)に かつて威容を誇った 黄鶴樓 を詠んだ歌がある


安 正文(明代 14C末-15C初頭) 黄鶴楼 絹本着色 162.5×105.5cm

   昔 人已乗 黄鶴去  此地 空余 黄鶴樓
   黄鶴 一去 不復返  白雲 千載 空 悠悠
   晴川 歴歴 漢陽樹  芳草 萋萋 鸚鵡洲
   日暮 郷関 何処是  煙波 江上 使人愁

   昔人 已に 黄鶴に乗りて去り 此の地 空しく余す 黄鶴樓
   黄鶴 一たび去りて 復た返らず 白雲千載 空しく悠悠
   晴川 歴歴たり 漢陽の樹 芳草 萋萋たり 鸚鵡の洲
   日暮 郷関 何(いづれ)の処(ところ)か 是れなる 煙波 江上 人をして愁へしむ

   昔の仙人は すでに黄鶴に乗って飛び去り この地には 黄鶴樓だけが空しく残された
   黄鶴は飛び去ったきり かえって來ず
       白雲だけが 千年の間も 悠々と流れつづけている
   晴れわたった 長江の対岸には 漢陽の樹々が くっきりと見え
       芳しい草が 鸚鵡の洲のあたりに 青々と生い茂る
   日の暮れゆく中 故郷は いづかたに あるのだろう
       やがて川の上には 波や靄が立ち籠め 私の心を深い悲しみに誘(いざな)う

黄鶴樓に登り 刻まれた この歌を見た 李白(701 - 762)は 超えられぬ と洩らした という

李白の詩 黄鶴樓送孟浩然之廣陵

   黄鶴樓送 孟浩然之廣陵
   故人 西辞 黄鶴樓  烟花 三月 下揚州
   孤帆 遠影 碧空尽  唯見 長江 天際流

   黄鶴樓にて 孟浩然の広陵に之(ゆ)くを 送る
   故人 西のかた 黄鶴樓を辞し  烟花 三月 揚州に下る
   孤帆の遠影 碧空に侭き  唯だ見る 長江の天際に流るるを

   黄鶴樓にて 孟浩然の広陵に之(ゆ)くを 送る
   旧友(孟浩然)が 黄鶴樓に別れを告げようとしている
   霞すら花咲く この三月に 揚州へと下りゆく
   船の帆が だんだんと青空に吸い込まれるように 小さくなってゆき
   ただ長江が 天の彼方に向かって流れているのが 見えるだけになってしまった

これらは いずれも伝説に基づく

   昔 辛氏という人の酒屋があった
   そこに みすぼらしいなりをした仙人がやって來て 酒を飲ませてくれと言う
   辛氏は嫌な顔一つせず ただで酒を飲ませ それが半年程も続いた

   ある日 仙人は辛氏に向い「酒代を随分溜めてしまったが 持合せがない」と言い
   代わりに 店の壁に 蜜柑の皮で 黄色い鶴を描き 去っていった

   客が手拍子を打ち 歌うと それに合せ 壁の鶴が舞う
   それが評判となり 店は繁盛 辛氏は 巨万の富を築いた

   その後 再び 店に仙人が現れ 笛を吹くと 黄色い鶴が壁を抜け出して來た
   仙人は その背に跨り 白雲に乗って飛び去った
   辛氏は これを記念して 楼閣を築き 黄鶴楼 と名付けた という


   Kongos – Traveling on

西部戦線 異状なし という映画の終り頃 蝶が出て來る
泥に埋もれかけた 缶の蓋に とまり はためく
囟(ひよめき)のように 心搏のように


戦場に斃(たお)れた 数多の若者は 空に浮ぶ 墓碑の海の上を
一ひら一ひらの波のように 故郷を振り返り 振り返りつつ 漂い去る






小泉 八雲「果心居士のはなし」 (日本雑記)がある

まるで目の前で繰り広げらるる 熱風や劫火 阿鼻叫喚
肉の焦げる匂いや 血飛沫(しぶき)の味まで感ぜられる
幻燈か映画のごとき 地獄絵を傍らに 仏法を説く

仙人 は 絵を所望する暴君に 値千金と言い放つ
刺客は散々な目に 奪った絵は白紙に
支払えば 目の前の白紙に絵は戻る と豪語

果たして 確かに絵が現る やんぬるかな
無限の価値から有限のそれへと やや色褪せた絵が


ヤン・ブリューゲル(父) Jan Brueghel the Elder(1568-1625)
冥界 を廻(めぐ)る アイネイアース巫女シビュラ Aeneas and Sibyl in the Underworld
油彩・銅板 26.4×36.2cm c.1600頃
ブダペスト Budapest ハンガリー国立美術館 Szépmüvészeti Múzeum


この小さな絵の迫力は ブック型PCのバックライト画面で
正しく発現されているはずだ

つるつるに磨き上げた銅板に 稀少な岩絵具を
透き通った油に溶いて 薄塗りで描く

太陽光線や蠟燭の灯明りが 絵具層を透かし
銅板に温かく反射して 闇の奥から煌(きらめ)く 地獄の劫火を迸(ほとばし)らせ
蠢(うごめ)く罪人の裸身に 熱き翳(かげ)を閃(ひらめ)かす



こちらは 障壁画級 お化け屋敷
炎噴き上ぐる火山は 未だ見ぬ重工業の煙害に取って替わられている

暴君亡き後 藏が空になるまで酒を注ぎ 仙人をもてなす
過去には不遇が 未來には不運が 控え待つ 知将に

少し満足した と言って 部屋を囲む 近江八景 の襖(ふすま)絵より
遠景の小舟の 船頭を呼ばわると 近づく櫂の音が響き

立ち籠める霧と 腰まで ひたひたと流れ寄す水面より
現れた舟上へよじ登り 漕ぎ戻らせ 画中へと消えゆく


牧 谿(1210?-1269?) 漁村夕照図 南宋時代 13C 紙本墨画 33.0×112.6cm 根津美術館 国宝



雲谷 等顔(1547-1618)瀟湘八景 図(の一) 室町時代 late 16C末 紙本墨画 フリーア美術館

老絵師の行方 に翻案したのを ルネ・ラルーアニメ化 した)   

この話を 観山は 描かなかったろうか
それとも どこかの藏の隅で いまもなお
滿月の大潮になると かすかに水が浸み出し

頭蓋骨の縁へ傳(つた)わる 間遠く櫂のきしむ音
間近で肚(はら)に ひたひたと響く ふいに波紋の広がる うねりに
目を開(ひら)くと 足を丸め 斜めに横たわった
腰まで 水に浸かって居るだろうか

いつの日か 伏し目の船頭となり
陽気で太っ腹な仙人の見据える 霧の彼方へ
竿も櫂もなく 手を下げ 立ち尽くし 運ばれるとき

顧みれば 朽木のようで
耀(かがや)く黄葉をつけた古木の岸が
目を戻すと 煌(きらめ)き晴れゆく霧の向うから
差し延べられた数多(あまた)の手が

互いに ふれ合い あなたを解(ほど)いて
永く捩(よじ)れた霧に 変えてゆくだろう
ゆっくりと脈打ち 廻る 大きな無限の
夢幻の輪に 編み込んでゆくだろう


カール・フリードリヒ・ガウス
サイン に 蝶が居る
メビウスの輪 を見出した弟子が メビウス他に もう一人 居た
ガウスもまた数多(あまた)の 時空の記憶の羽搏(はばた)きに 目を留めた

彼なら 櫻渦巻く カラビ・ヤウロイ・フラー の舞いを 蝶の夢に見ただろう
自らでなく その周囲の 時空の震え 搖(ゆ)らぎを あらわすため
消えることが出來た
命を無限に解き浮かべて 応え舞いながら

月下美人 の夢の花が咲き 老櫻 舞い散る 花びらから花びらへ
フィボナッチ の果てを潜(くぐ)り フラクタル の遠近(おちこち)に宿る
カラビ・ヤウ の夢を舞う 時空の蝶の翳(かげ)を追う
あなたの旅は つづく

   DolphynTrane鎌倉小町 桜旋風 Sakura-cherry 鯉の花の精
   DolphynTrane里山 soundscape 鎌倉 晩夏の一日(前編)
   DolphynTrane鎌倉の峠の山桜 Yamazakura(Wild hill Cherry)blossoms

   ロイ・フラー Loïe Fuller

   赤い金魚の話 L’histoire d’un Poisson Rouge(The Gold Fish)


მერაბ აბრამიშვილი  Merab Abramishvili  ―― 永遠の時の滴 ――

2016年10月12日 | 絵画について
背後で
不在が ゆっくりと 翼を ひらく

なにかが 滴る 音
絶え間なく

柔らかく 遠く
遙かに 浮かび上がろうとする ものから
間近を そっと かすめ
伝い降り

温かく馨る 大地へ
しみ込む
已むことなく 潮のように
惜しみなく

それが 涙なのか 血なのか
まだ 闇は 決めていない

雨であれ と
翼は 祈る

Merab Abramishvili  (Georgia 16 March 1957 – 22 June 2006) Black Panther 黒豹 
白亜 半油性 地の板に チーズ・テンペラ casein tempera on wood 98 × 151 cm 2005 年

メラブ・アブラミシュヴィリ  Merab Abramishvili  は
1957 年 3 月 16 日  旧ソビエト連邦 グルジア共和国
首都 トビリシ に生まれた
幼い頃から絵を描き始め コーカサス地方 で最も古い
大学の一つ トビリシ国立美術アカデミー に学び
彫刻家の Jacob Nikoladze
画家の Alexander (Shura) Bandzeladz に師事した

考古学者で哲学博士の父が調査し紹介した
12世紀の教会 壁画 を 模写し
その技法と物語表現を身につけ
やがて ペルシャの細密写本装飾 に見られる
繊細な描写と色調を研究

黒海の縁で幾重にも交叉する コーカサス から
ロシアクルガンバルカンメソポタミアアナトリア
イリュリアペルシャフェニキアエトルリア
ギリシャローマエジプトインダス までの
遊牧と流浪と望郷の 物語を覆う 草木のそよぐ
夢へ流れ込む 憧れと歓びと哀しみの 渦巻く
響きへと編み込み 生き生きと開花させた

Merab Abramishvili  Annunciation  受胎告知  板に テンペラ  tempera on wood   


Merab Abramishvili  Phoenix dactylifera  Date Palm  ナツメヤシ
板に テンペラ  tempera on wood  75 × 60 cm  2006 年

Merab Abramishvili  Semiramide  セミラーミーデ    
板に テンペラ  tempera on wood  60 × 84 cm  1993 年    

紀元前 9 世紀 の アッシリア 王妃  Shammurāmat
サンムラーマート
セミラーミース) は 伝説に彩られた生涯に
が征服した バビロニア空中庭園 を造らせた とも
ニネヴェ建国の王 の妃となったが 王を毒殺
幼い息子の摂政として女王になり
アルメニア美麗王アラ を夫にせんと 攻め入り
戦死させたのちも 生き返らせんと 魔術を用いた とも云われる
が ここでは クジャクの散らばる庭園内を
歴史と伝説の織り込まれた マントを捧げ持つ人々と
無限の距離を隔て 誇り高き女王として 独り歩む
∞       ∞        ∞         ∞          ∞
ハラッパーの一筆文字  Harappan endless knot symbol    
∞          ∞         ∞        ∞       ∞    
無限に滴る 終わらない時の足跡
落ちて跳ね はなれる 満ちて溢れず 引く

ハラッパー に刻まれた
始まりも終わりもない 文字は
グルジア女王タマル の署名にも
入り込んでいる だろうか

リラ のような ウード のような
内へ窪む円い胴にひらく 内なる無限への 通り道

草原をわたり 山々を吹きぬく
風に運ばれる 時の滴

無限は跳ね あちこちに
形と影 音と響きを穿ち
影と響きが 消えゆく間 通り抜け
來たりて去り 留まりて往く

永遠への入口 無限からの出口
光と同じ とじた輪のような波
光の往ったあと 耀く闇に沈む 時の道

無限の滴に映り 束の間 かすかに宿る
どれも同じで すべて ちがう時
∞           ∞          ∞         ∞        ∞
∞       ∞        ∞         ∞          ∞
グルジア女王タマル署名  Signature of Tamar in 1202    
∞          ∞         ∞        ∞       ∞    
∞        ∞         ∞          ∞           ∞    

Merab Abramishvili Rose Hip Tree ローズ・ヒップの樹 板に テンペラ tempera on wood

   
Merab Abramishvili  Flowers  花  板に テンペラ  tempera on wood

草木染や泥染 織物にしみ込む 植物の色と影
花と実と 枝と葉と 根と幹と

根は どこまでも 土を編み廻り 地下の川を渉り
枝は どこまでも 大気を編み伸び 光を浴び
実は どこまでも 空に馨り響き 歌い舞い 伝え運ぶ

木洩れ日舞う森 風わたる草原
漣きらめく川の畔 日没を追い
洞窟の奥 松明ゆらめく中
太古の壁画集い 躍動する 獣の姿

若き日 遙か昔 遠い祖先
獣と走り 寒さをしのぎ 命の糧を探した
氷河に覆われた四季を 物語る聲

耳を傾け 目を輝かせる 人々の息遣い
闇に遠く近く 風が吹き荒び 雪が舞う間
かすかに

脈打つ血の どこかで
洞穴を吹き抜ける風にゆらめく 灯明かりの影

Merab Abramishvili  Paradise  楽園    
板に テンペラ  tempera on wood  76 × 76 cm  2006 年    

Merab Abramishvili  Paradise (detail)  楽園 (部分)   
板に テンペラ  tempera on wood  44 × 150 cm  2006 年   

Merab Abramishvili  Seeds of Paradise  楽園の種子    
板に テンペラ  tempera on wood  75 × 75 cm  2005 年    

雨の滴る中 獣は じっと蹲る
まもなく止む 陽は俟たず 沈んでゆく
山の端から 雲が渦巻いては 千切れ

あちこちの茂みや梢で さまざまな獣が佇み
雨の音を聴いている 葉から落ちる
音だけに 変わりゆくのを 耳を澄ませ

鼠が 巣穴に溜めた 花粉の中で蠢き
栗鼠が どこかに埋めた 団栗に想いを馳せる
兔や鹿が 小刻みに体を震わせながら 佇み

山羊の黄色い目は 雨を透かし なにも見ていない
蛇の目は そこにない なにかを見て 動く気配はない
鳥どもは 陽が沈むので 気が気ではない

獣は うつらうつらする
草原に 森に 山に 洞穴に 散らばる生き物が
きらめき 湯気を立て 震え 夢見 蠢いて 輪を描き
戻ってゆく きらめき始めた星々に 応えるように

地上の星々が瞬く すると 間に 見えない川が流れる
川がめぐると 瞬きが強まり 明るく透きとおって
温かい 川がめぐらぬところは 暗く冷たい

獣は うっすらと 目をひらく
昨日ここに 傷ついた人が 倒れていなかったか
冷たい 毛のない肌に 雨と血が滴り 流れ落ちていた

その目から 光が消えゆくとき どこかにいる幼子へ
流れが走り通じ 幼子へ 光り輝く毛皮が被せられた
それは歓喜し感謝し 雨水を伝い昇り どこかへ帰っていった

それが歌った歌は いまも 耳の底で渦巻いている
獣は 前肢の裏を舐める
自分も傷つき去るとき そうするのだろうか

兔も鹿も皆 そうしている
光の毛皮を まとっているものは 傷つけられぬ
いつの日か それが擦り切れ 消える時まで
息をひきとる時 それは よみがえり 受け渡される

もしも 光の毛皮を まとっているものを 傷つけたなら
息をひきとる時 自らがかつてまとっていた それは
よみがえらぬ そのとき傷つけたものに 渡るからだ

だから なにも受け渡せず 帰るところもない
かれらは どこへゆくのか
無限の涙に 時の滴になって
渡せなかったものを 運び続けるのかもしれぬ

Merab Abramishvili  Man-Eater of Kumaon   クマオン人喰い     
板に テンペラ  tempera on wood  75 × 100 cm  2005 年    


Merab Abramishvili   Dancer   踊り子
板に テンペラ  tempera on wood  76 × 52 cm  2006 年

Merab Abramishvili  Pianoforte  ピアノ   
板に テンペラ  tempera on wood  150 × 150 cm  1990 年   

雨上がり
背後で ゆっくりと 翼が ひらく
だれも いない
広やかで がらんどうの 隙間から
響く 雨だれの 音

微笑んでいる
息と 耀く瞳が
辺りを 静まり返らせ
澄み亘らせている

まだ
夜明け前 深い 霧の中

壁は 静かに 遙かに 遠ざかる
景色と 響きを とどめる ために ある
窓の ように 瞼の ように 虹彩の ように
戸口のように 唇の ように 声帯の ように

数多の小さき滴の 行き交い かたちづくる
壁を廻らせた 塔の中で
天辺に穿たれた 窓の傍らに
心は 生まれる

ともに生まれた 光の中で
その窓から 外を眺め 聴き
ともに生まれた 闇の中で
壁に それを記し 遺す

いつか 窓から心が 旅立つと
その塔は 崩れ去るかに見え
壁に残されたものから 漂う風にのり
内側だけの塔になって 霧の中で待っている

いつかまた そこに 心が宿り
霧が晴れ 景色が広がってゆく

闇の中で ふり返り
新たな心が 記してゆく壁には
ふれると ふれ返し 動き出す
景色の歌が 流れている

澄みわたり 透きとおり 生き生きと
微笑み 耀いている
光が生まれ 闇が生まれる         Merab Abramishvili Baia Gallery Tbilisi 2012

伊豆の長八

2015年10月20日 | 絵画について

入江 長八 (1815-1889) の 展覧会 に 行くことが できた
伊豆に生まれ、江戸で修業、独立して活躍、弟子を育て、明治に亡くなる
漆喰による 装飾彫刻 の名手で、江戸の 伝統を引き継ぎ、
鏝(こて)絵 と 呼ばれる、独特の 浮彫り絵画の世界に
神神しいばかりの 気と 生き生きとした 命を 吹き込んだ
左官職人の 技と気概に 陶然とし、夢のような ひとときを過ごした

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 龍 Dragon
明治九年七月 July 1876 漆喰彩色 Stucco Painting 33.5 × 51.0 cm
個人蔵 (伊豆の長八 美術館) Private Collection in Izu no Chohachi Museum

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) ランプ掛けの龍 Dragon (ceiling holder
for the hanging lamp) 明治八年 1875 漆喰 Stucco 径 85.0 cm (diameter)
個人蔵 (伊豆の長八 美術館 保管) Private Collection in Izu no Chohachi Museum

なにが 茫然とした といって、行く 前の日まで
この人のことも 展覧会 のことも、なにも知らなかった ことだ
伊豆に 美術館 は あるらしいが、 都内で初めての展覧会
会期中 休みが 一日あるばかりで、夜の七時半まで、百円にて 開催されていた

母や の木工職人だった 母方の祖父なら 知っていたはずだ
きっと 教えてくれたのだろう
夢中で 気づかなかったが、 一緒に 観てくれていたのだと想う

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 二十四孝 24 Stories of Filial Piety
明治七年二月 February 1874 漆喰彩色 Stucco Painting 40.4 × 63.3 cm
個人蔵 (伊豆の長八 美術館 保管) Private Collection in Izu no Chohachi Museum

土砂降りの水しぶきの中、思いがけぬ再会に
我を忘れ、雨中に たたずみ 笑みほころぶ
人々の 蓑や衣に切り込む水柱を見て
ふと ボルヘス幻獣辞典 に 編纂した ポー
細長い筋に分れていて、虹色にきらめく
生きているがごとき 水についての詩を 想い起した

ボルヘスは言う ―― 1838年出版の
『ナンタケットのアーサー・ゴードン・ピムの物語』 で
ポオは 南極の島々の驚くべき、信ずべき動物誌を書いた
なかでも特異なのは、その南部にみられる水である

…… 水瓶に これを汲んで、すっかり沈殿させておくと
この水全体が それぞれ違った色の 別々の筋から
成っていることに 気付いた
それらの筋は 混じり合わないのだ
そして 同じ粒子どうしでは 完全に結合しているが
隣り合わせの筋では そうでは なかった

そうした筋を 斜めに ナイフの刃で切ってみると
水は ごく ふつうに すぐさま その上に かぶさってしまい
それに また 引き抜くと、ナイフを走らせた跡は
すべて たちまちに 消えてしまった
ところが 正確に ふたつの筋の間に 刃を入れると
完全な分離が生じ、すぐには 元どおりに
結合する力が なくなるのだった

なんだか 目の前に 見るようで 不思議だが
ここに 鏝(こて) で 描き出された 雨水も
似たような 状態とも いえるが、たしかに水であって
重さと 温度と 音を 伴い、滔滔と 流れ落ち 続ける
兄弟だろうか 親子だろうか、ポーやボルヘスの語る
冒険と探検の旅を終え、故郷の家へ戻ってきたのだろうか

篠つく白雨 驟雨の音に かき消され
鎖され 幾重にも 分け隔てられた 冷たい世界で
温かな血の とくとくと流れる 命が おぼろに動き
温かな 血のつながりが 時を超え 湧出し 立ち籠める

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 森家の家族 Family Portrait of Mr. Mori
明治九年八月 August 1876 漆喰彩色 Stucco Painting 28.0 × 58.5 cm
個人蔵 (伊豆の長八 美術館 保管) Private Collection in Izu no Chohachi Museum

群青 に かすかに も 感ぜられる やり霞 の漂う中
江戸鼠 に ふっくらと染め上げられた 着物や敷布
慣れ親しんだ 気品あふれる 紋付を
ゆったりと背筋を伸ばし 自然に着こなす
呉服商のご隠居夫婦と 妹御 あるいは 娘御だろうか

魔法の絨毯の上に 絨毯商の家族が ふさわしく
くつろぎ、いつくしみ染め上げ 織り込まれた
夢幻 無窮の時を過ごす ように

いつか観た 桜の園 の舞台で
観る者の ざわめき 去来する 異空間の 薄暗がりに
思いもかけぬ 満開の桜のうち続く川の辺の園を
呼び起こし 瞳に映し 流れぬ涙へ宿らせ
観る者の裡に 湧き出させる ように

画面の外に そこにない 満開の山桜の
そこかしこに交じる 山々に照り映える月光を
よぎり谺する 杜鵑の声 や 色づくナナカマドや
ハゼの木の間を 溪流がきらめき走る 薄暮を
うち眺めつつ おりふし眼を転じ
仙境より 子孫の家の内を見守る ご先祖様

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 女人図 Portrait of a Woman
明治九年七月 July 1876 漆喰彩色 Stucco Painting 径 23.0 cm (diameter)
個人蔵 Private Collection
朱塗りの丸盆に 描き出された 若い娘の
ふっくらと顎をひいた口元 目元 衿 鬢の毛が
手にした水鏡の中に 想いを凝らす と
薄暗がりから ゆらめき立つように
大切な人の面影は そこに しずまり返っている

光の差し具合で 切れ長の伏せた
眼差しは たしかに たゆたう
見ていない、心そこに在らぬ時には いつも
ひっそりと 見守って 居てくれる

声には出さずとも その名を 心を込めて
呼びかければ いつか 眼差しを 上げてくれる
目が合えば、そのまま そらさず、手を伸べ
歩み入れば 見えぬ手が 掌へ滑り込んで 温かく
自分の手が 冷たい ことに気づくが
もう どうでもよい、その世界へ ゆける から
大切な人の 待つ 世界へ
そこへの 入り口を 自らの手で つくり出し
傍らへ置く 人の 幸いなるかな

クエンティン・マサイス Quentin Matsys (1466-1530) 婦人像 Portrait of a Woman
油彩・板 Oil on Wood c.1520 年頃 48.3 x 43.2 cm
ニューヨーク、メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, New York

他人の空似 という程でもなく、年齢も 隔たっているが
妻として 母として 生き 世を去りし 婦人の
眼差しは ここでも とどめられている
額縁は 窓枠のように 時祷書を読む 手指に ふれ
時折 風に 頁は めくれ、いま 見知らぬ物語から
目を上げた 眼差しが あなたを はるかに 眺めやる

ペトルス・クリストゥス Petrus Christus 若い女性の肖像 Portrait of a Young Girl
油彩・板 Oil on Oak c.1465-70 年頃 29 cm × 22.5 cm
ベルリン国立絵画館 Gemäldegalerie Staatrische Museen zu Berlin

長八の 朱盆の 女人図 から 振り返ると
神功皇后像 などの 小ぶりな彫像が
ずらりと こちらを向いていて
女性は この二人だったことから
帰ってから 久方振りに
クリストゥス の この小さな像を 想い返した

見るたび 少女のことは なにも
知ることは かなわず
いかに 自らが 少女の眼差しに
ふさわしくない と 想わざるを得ない
がっかりさせてしまった
母を 妹を 娘を
そう想わぬ者が いるのだろうか
この像に 微笑みかけられている
と感じる者が いるのだろうか

レオナルド の モナリザ は
この像から 生まれたのか
とも いまにして想う
母なる 娘が 女人として 愛し愛され
子を産み育てる 謎が 神秘が
歳月とともに 不思議な風景を 背後に連ねゆく

フェルメール は 真珠の耳飾の少女 で
その想いを 払拭させようとした のかも知れぬ

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 神功皇后 像 Portrait of Empress Jingū
明治九年八月 August 1876 漆喰彩色 Stucco Painted Scurpture 像高 37.0 cm (height)
松崎・伊那下神社 Ina Shimo Shurine, Matsuzaki-cho (town)

神功皇后 陛下に ついては 畏れながら 初めて知り
ギリシャ神話 の アテーナー 女神 の ようにて
あらせらるるも 亡き帝の皇子を宿されながら
石を以て 御身体を冷やされ 月延べての
ご行軍とは まことに 畏れ入り奉り

木目込人形 に似るが 御髪 玉眼を除き
金襴緞子の刺繍にいたるまで 漆喰によるもの
隣りに 皇子を抱いた 武内 宿禰 が 居られるので
御出産後と知れるが ふくよかな頬の 御尊顔は
ただただ 神神しく 宿禰が 御高齢のこともあり
和の 聖家族 のごとくにて

月岡 芳年 Tsukioka Yoshitoshi(1839-1892) 第十五代 神功皇后「大日本史略図会」
Empress JingūIllustrated History of Great Japan ) 三枚続 大判錦絵
Triptych of multi-colored woodblock prints 明治十二年 1879 35.4 × 71.6 cm

ということは、これは 長八の像よりも 後のもの なのだ
しかしながら その御雄姿は 御出産前のもの
波はうねり 雲は舞い 列をなし 進む鳳凰のごとく
遠く 岩の上に 海鳥も群れ集う
神功皇后 陛下は 御出陣の際、播磨で採れた
赤土 にて 天の逆矛や軍衣を染められ
平定後 その神を 紀伊の管川の藤代の峯に祭られた
と 播磨国 風土記 逸文に あると され
御帰国後 間もなく 九州北部にて 応神天皇 陛下を
御産みになられ、因む地名を 残されている

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール Georges de La Tour (1593-1653)
悔い改める マグダラのマリア The Penitent Magdalen c.1640 年頃
油彩・カンヴァス Oil on Canvas 133.4 x 102.2 cm
ニューヨーク、メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, New York

赤と白の衣に 陶器のような肌の
聖女の御尊顔が よく見えない
この絵も 想い出される

無常をあらわす 髑髏の載る 赤い布の
垂らされた下に 跪拝する 胸より下の
半身は 闇に埋もれ 神の御手により 鎖された

人魚であった とて 見ることは かなわぬ
鏡に映るのは ゆらめく 蝋燭の炎ばかり

 下図 部分 detail of the lower painting

右手を下げたとき、肩へ上げておいた袖が
落ちぬよう くわえていたのだろうか
この若き人は 采女 だろうか 巫女 だろうか
御簾、衣、廊下、肌の質感が
花びらと 差し初める 光を運ぶ
朝風に ふれている

御簾の 巻き上げられる 動きと
清清とした 衣に包まれた
温かな 肌の馨の立ち昇る 動きに 添って
そよそよと 螺旋を描き
花びらは また 出てゆく

三重采女 の盃に入った葉が 想い起こされる

 入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 春暁の図
Spring Dawn 明治八年 1875 土壁 ・漆喰彩色 Stucco Painting on the wall 
173.0 × 76.0 cm 旧 岩科村役場 松崎町 Matsuzaki-cho (town) 

三重采女も そうだが、この人もまた
物に動ぜぬ 天晴れなる 乙女御

 下図 部分 detail of the lower

近江の海の水紋か 花火か、 藍染め 絞り の浴衣に
前結びにした帯は 群青 手に団扇
力自慢の 色白で ふくよかな娘は
高下駄で 暴れ馬の手綱を 踏んまえながら
涼しい顔で 頭上の千鳥を 仰ぎ見る

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 近江のお兼 O-Kane, the brave woman of Omi
明治九年六月 June 1876 漆喰彩色 Stucco Painting 45.7 × 63.7 cm
個人蔵 (伊豆の長八 美術館 保管) Private Collection in Izu no Chohachi Museum

お兼 といえば、当時も いまも この二つ
近江の海の 上に舞う 千鳥を見ている
画面 右手に立つ 後ろ姿の 北斎の と

歌川 国芳 Utagawa Kuniyoshi (1798-1861) 近江國 勇婦 於兼
O-Kane, the brave woman of Omi 錦絵 multi-colored woodblock prints

画面 左手で 雲湧き立つ
近江の海より 馬を顧みる 国芳の と
有名かつ対照的な お兼像を 併せ持ち

巨大な花魁でも 女力士でもない
愛らしい 働き者の娘にした 長八は
暴れ馬も 歌舞伎 の馬か 絵馬のように
後脚を蹴上げる のでは なく
思い切り 跳び上がらせた

お兼は 団扇を持った 左手と
対角線上へ 高く ぴんと張った 手綱を
踏んまえた 左足を 下げ
右手を額の前へ 右足を後ろへ 軽く曲げ上げ
体重を 手綱を踏まえた 左足へのせて
力足 遊足 釣合いよく
しっかりと立つ

馬も鳥も空へ 後脚見せず
見苦しくなく 危なくもない
生娘の 眼差しは 天翔り
身も心も 楽しく軽く 健やかに
しっかりと 足は地に
天晴れなるかな

海は 画面左から 手前外の こちら側か
画面右から 裏の あちら側か
または そのどちらも
潮風が 娘の顔に まぶしく
馬の たてがみを 吹き散らすように 当たっている

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 清水次郎長 肖像
Portrait of Shimizu-no-Jirocho 漆喰彩色 Stucco Painting 90.0 × 69.8 cm
磐田市 塩新田 自治会 Iwata-city Shioshinden Residents' association

長八が 五歳年長という 両者は
ともに さらに一回り以上も 若い
山岡 鉄舟 と 交流していたという

紬の藍紫紺の色合いと 細縞の光沢
空気を含んだ 髪、潮風に 鞣されたような膚の
目の周りや 口元の皴が ふと ほころびたり
さらに深く 翳ったりする かのように
懐の深い 男気の篤い 血潮が
静かに 漲り 迫ってくる

油断なく 怠けず きちんと心配りをして
御先祖様に恥じぬ 生き方をしているか

まったく不甲斐なく 申し訳なく
心を入れ替え 改めますので
お見限りなく どうか お見守りください
と 頭を下げて お願いいたしたくなり

 下図 部分 漣
detail of the lower, Ripples

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 漣の屏風 Ripples' Folding Screen 
明治十一年頃 c.1878 漆喰彩色 Stucco Painting 82.9 × 106.7 cm
三島 歓喜寺 Kanki-ji Temple, Mishima-city

福田 平八郎 Heihachiro Fukuda (1892-1974)  Ripples 絹本着色 二曲一隻 屏風 Japanese Painting on Silk Folding Screen 昭和七年 1932 157.0 × 184.0 cm 
大阪市立近代美術館
 Osaka City Museum of Modern Art
平八郎 の 作は、昭和天皇 陛下と
釣りに 行かれた 折の 水面を 描いたことで
知られるが、大分に生まれ 京都に暮らした
画家は、安心院 を はじめとする 大分県内に
一千か所以上も 生まれていた
伊豆の長八 に 学び 帰郷した 左官 絵師たちに よる
鏝(こて)絵 に 幼い頃より 親しんでいただろう

両者の 目と手に培われた 同じ 和の心と技が
漣という、白と群青の 光と翳の 織りなす
円みを帯びて へこみ、その縁は 立ち上がり
重ねられ 繰り返されて
生まれつつ 消え、消えつつ 生まれていく
形に おいて、表裏一体と なるように
結実したのかも知れぬ

  入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889)
寒梅の塗り掛け軸 Midwinter Plum-tree (wall-in hanging-scroll) 明治八年 1875
土壁 Wattle and Daub Wall 185.5 × 70.5 cm 旧 岩科村役場 松崎町 Matsuzaki-cho (town) 
月下の風に馨る 満開の梅の
水墨の掛軸が 漆喰と鏝(こて)で
床の間の壁に 描かれているものもあった

最後の一葉 のように、壁から離れることなく
表具に 虫食い穴まで 描かれている

墨の五彩と同じく 漆喰と灰汁の綾なす 白が
月光に おぼろに耀き 命の限りを尽くし
再生の季節を呼び起こす 老木に
尽きることなき 風と馨を まとわせていた

入江 長八 Chohachi Irie (1815-1889) 望 冨嶽 於 伊豆之奈島 図 Mt. Fuji
viewed from Nashima-Island, Izu 明治十年五月 May 1877 漆喰彩色
Stucco Painting 74.5 × 137.0 cm 松崎町 (伊豆の長八 美術館 保管)
Matsuzaki-cho (town) Collection in Izu no Chohachi Museum
日本一
の 匠に また 出逢えました
ほんとうに どうも ありがとう ございます

鎧を脱ぎ槍を捨て、青空を映す碧緑の川となり、夜空の下、龍は黒い翼を拡げる (四/四)

2015年03月27日 | 絵画について
ひたひたと地底から湧き出す、水が湛(たた)えられる洞窟に
いつしか何かが顔を出し、鎖(とざ)された辺りを見回している
やがて仄(ほの)暗い水面に映る、自らを見て
魚でも蜥蜴(トカゲ)でもない、狭間(はざま)の深淵へ肢を滑らせる
幼生のまま幾星霜、大地の胎動に昏(くら)く満ち曳く
羊水から彷徨(さまよ)い出ては行きつ戻りつ、孤独の裡(うち)に
奇妙な飢えに苛(さいな)まれ、 山椒魚 (サンショウウオ) の如(ごと)く
何かに導かれるまま、遮二無二(しゃにむに)道を歩み出す

ハンガリーからスロバキアにかけてアドリア海のイタリア対岸に広がる
スロベニア には、 古くから知られた深く広大な鍾乳洞 があり
伝説上の龍の幼生とされた 洞井守(ホライモリ) も生息していて
垣間見(かいまみ)られた、生まれる遙か以前の胎児のような
仄(ほの)光る白い手足のある、目のない蛇のような姿
群れ成して棲む蝙蝠(こうもり)の黒い翼と細く煌(きらめ)く牙
そしてそれらの骨や 想像を絶する有機的な形 をした 鍾乳石 自体が
龍とその棲み処(すみか)となる 洞窟 伝説の祖となったかも知れない

緑の龍に守護されるスロベニアの首都 リュブリャナ を流れる
碧緑の リュブリャニツァ川 は全長約十 里(り) の半分程が洞窟内

大陸から日本へ伝えられた 里(り) は、五町から六町の長い距離で
直接計測するのは難しいため、一里歩くのにかかる、およその時間から
その間に歩いた距離を、一里と呼ぶようになっていった
人が歩く速さは、地形や道の状態によっても変わるので、様々な長さの
里が生ずることとなったが、時間が 「長く」 かかるのは、その間
移動のためのエネルギーを消費してもいる訳で、正に一理あることとなる
目的地までの里数で所要時間がわかる利点は、後の 光年 にも比せられよう

時間は、存在が移動(成長、変転)し続けることによって生まれ
何故なら存在とは、波動であるから、その発祥と終焉は
この 事象 への出現と、そこからの離脱であり、異なる事象への移動を通じ
また、この事象へ戻るか、通過していく過程と考えられないだろうか
なぜなら事象においては 何も減らず、何も増えない はずだから

この事象において束の間、共に連なり共に移動し、共に終息していくと
定められた波動である存在が、その波動として存在しつつ、移動を続けていく
ために、内的統御が必要となった時、その時空を旅する乗り物の器の内に
連なり合った個々の総意であり、かつ個々には関知し得ない全体を感知し得る
処の、乗客であり操縦士である、視点、思考を持った、一つの魂が目覚める

同じ構造の存在に宿る魂が似ているのは、その連なり合い方が同じだからで
連なり合っている物自体は、どれ一つをとっても似てはいるが唯一無二の異なった物で
その内外で世代交代を続けながら、愈々(いよいよ)同じようで違う物たり続け
似ていることと、移動してきた時空の軌跡からは逃れられないが、急速に衰えつつ
経験と記憶の蓄えが増して、それが釣り合うかというと、そうでもなく
重荷となり混乱や誤作動を招く場合が多くなっていくのだろう

数多の存在の波動が、大いなる波紋の流れを作り出し、その波動の
航跡と干渉が、事象の時空の、動き続ける地図を形作っていく
旅は続く、どこまでも、いつまでも、同じ場所、違う時、違う場所、同じ時

蛇行しつつ流れ、三日月湖や扇状に広がる湖を点在させながら
山奥から発し、海へと到る川は、碧緑の龍で、氾濫しては、田畑や村落を押し流し
荒れ果てさせることもあれば、豊かな水と魚を、恵んでくれることもある
古き山間の東欧から 中央アジア にかけてと、 バルカン半島 から アナトリア
の辺りには、鍾乳洞や地下河川が広がり、独特の 守護龍伝説 も生まれた
翼のある蛇のような龍に雌雄があり、人に似た外見の差異も認められるという
姉(か妹)の龍は、人を忌み嫌い、天候を荒らし作物を枯らすが
(兄か)弟の龍は、人を慈しみ愛し、作物を守り齎(もたら)すとされる
人を巡り、彼らの間には諍(いさか)いが絶えない

姉(か妹)の龍は水の相を持ち、(兄か)弟の龍は炎の相を持つ
逆でなくてよかった
川の流れは水だが、そこには光が湛(たた)えられ、波立ち煌(きらめ)く光は
鱗(うろこ)となり、夜には数多の星を映し宿す銀河の鏡像となる
二つの龍は同じ川の表裏を成し、巴にもつれ連なり流れていく
そして光は時に炎の様相を帯びるが、川が燃えることはない
嵐の暗い空を稲妻が切り裂き、濁流が谿(たに)を抉(えぐ)りながら
激しく渦巻き下る鉄砲水と化す時、それは黒い龍が翼を拡げ
猛(たけ)り狂うように見えないだろうか

川である龍は、炎の中に居ても涼しい顔
源や傍らの山が噴火し溶岩が流れ下る時、それは熱く赤黒く、もはや全く別の
地下深くの黄泉の国からの使者であり、その行く手に碧緑の水流るる川あれば
これを冷まし岩へと変じつつ蒸散、竟(つい)には干上がり消えるやも知れぬ
源泉が力を取り戻す日まで
川は支流を集め蛇行を繰り返し、地下へ潜り幾重にも分かれ
土石流や鉄砲水によって流れを変え、また一つになる時、大地は鳴動する
多頭の龍は、尾に相当する一つの源泉から枝分かれした激流にも比せられよう
そして、これが人の集まり住む山間に生じた時
それは制御さるべき悪龍となり得るかも知れない

ミカエルの龍退治は、火山活動の鎮火かも知れず
天然ガスとともに噴出する熱水や鉱水の禁忌
また決壊を繰り返す、山間の激流の治水伝説かも知れない
二つの急流が一つの鉄砲水となり、押し寄せる濁流を
ミカエルが大地を槍で突き開けた孔へと導き流し
地下河川と成して信者の町を救った、という 奇蹟 もある

鉱毒泉に耐え神託を授ける、ギリシャ由来の冥界や火山活動、地熱を司る
神を祀る者たちが、近隣の、霊験新たかな古代キリスト教徒の聖なる清泉を
自らの鉱毒で汚染、かつ破壊すべくダムを作り、川の流れを変え決壊させた
山間の鉄砲水が囂々(ごうごう)と迫る中、彼の地の古代キリスト教父の熱心な祈りで
ミカエルが雷神のごとく立ち顕(あらわ)れ、槍で地に孔を突き開け
水をそこへと流れ下らせて泉と町を救ったという物語は
蛇のごとく、うねり流れる水を、その源泉とも、地下の冥界へ続く洞穴ともつかぬ
大地に開いた口へ、槍を突く姿に描くものがある

11C 
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Archangel Michael at Chonae | Icon of a Miracle


15C
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左右より流れ来る、二つの川が中央で、一つの水柱に縒(よ)り合わされ
ミカエルが槍で差す、孔へと、一気に垂直に流れ下る
アーチ状の、天と地の間の、地平線上に描かれていた川が
いつしか嶮(けわ)しい二つの嶺(みね)に取って代わられ
川の流れはその背後に隠れて、谷の間から突如一つになった姿で現れ
やがてS字形にくねりつつ、流れ下るようになる
それは、槍を斜めに地に突き立てたミカエルの開いた、仄(ほの)暗い孔に注ぎ込み
地底へ向かって消え去ろうとする、青い大蛇のようでもあり
その孔へと渦巻き入っていく水の先端は、槍に貫かれた龍の頭部のようでもある

川が二つの嶺(みね)の背後へ隠れると同時に、石灰質の白い段に青い水を湛えた
棚田のようなパムッカレを彷彿(ほうふつ)とさせる岩山が、辺りに望まれるようになり
その左右の断崖の向こうに、川を隔てた ヒエラポリス
その向かいの、画面手前の コロサイ と同じ側の
嶺(みね)の後ろに ラオディキア があると知れるようにもなる

左右の嶺(みね)に沿って、二手に分かれていたことを暗示されるのみとなった川は
捩(よじ)れ逆巻く一本の流れとなって、谷間から姿を現し
異教の鉱毒泉のあるヒエラポリスから、キリスト教会のあるコロサイへと向かう

かつて教会の入り口に立つ教父の前に顕(あらわ)れた、ミカエルは
身体を開き、斜めに構えた槍を突き捻じ込みつつ
同時に、すでに引き抜き、去ろうとするような動きに合わせ
翼が背後へ 逆卍(スワスティカ) のように開かれていたが
今や、制御された滝のように膨らみつつ流れ落ちる、背後に垂らされたものへと変ってゆき
更に、戸口に立つ教父へと送られていた視線が、教父が次第に小さく、かつ平伏しつつ
また戸口から歩み出て近づくことによって、はっきりと見下ろされる形になっていく

最終的に、水流の流れ落ちる孔であり、蛇行する巨大な水龍の頭へと
ミカエルは目を転じている
そこで再び翼は、槍に沿って広がり始め
人間の悪意によって追い出された川である龍は、その悪意から逃れ
ミカエルの開いてくれた帰り道へと、大地の胎(はら)へと一目散に退散する
ミカエルの繊細な槍の触れる、その頭からは血飛沫(ちしぶき)ではなく
歓びと感謝の虹が、鯨(クジラ)の呼気のように噴き出し広がる

ミカエルは、川という龍を退治したのではなかった
人間の悪意によって、その棲み処(すみか)を追われ、もがき苦しみつつ
山肌を打ち転がり落ち下って来たのを、大地の綣(へそ)を素早く開いて
地中深くで傷を癒(いや)し、休むよう助けたのである
そのように自然を痛めつけ、己(おの)が悪意の道具とする人間のことなど、眼中になかった

蛇行する(急流)、という言葉の由来となった、この川 は、 メンデレス川 といい
数多の氾濫を起こしつつ、谿(たに)を削り、 三日月湖 を残した
トルコカリア地方 を流れ、 二つが知られている
このミカエルの寺院と奇蹟のあった町コロサイ
リュコス川が大メンデレス川へ合流する手前
毛織物産業で栄えた都市 ラオディキア 、アポロ神殿と鉱泉、 景観
冥界よりの託宣で人気のあった ヒエラポリス とともに
リュコス渓谷で古代都市の三角地を形成した




このコロサイが、ラオディキア以前に毛織物で栄えた、更に古き時代
その名を冠した、暗い赤の毛織物 で、知られていた
それは、ここで、いくつかのミカエルによって纏われているマントのようでもあり
また、先のウッチェロの、ミカエルに刺し貫かれた龍の、生贄(いけにえ)にされかけていた
姫君や、ピエロ・デラ・フランチェスカの、天空の青の胴着を纏(まと)ったミカエルが
履(は)いていた、龍の血のように赤い靴を、想い起こさせはしないだろうか

エフェソス の獄中にあった 福音書記者聖パウロ によって
わざとらしい謙遜や天使崇拝の脇道に逸れることなく (第二章十八節)
キリストと神の教えに沿った明快な信仰生活の実践を説かれた 手紙
使者によって届けられる、その途上にあった、 紀元六十年頃の
マグニチュード六近い地震
によって多くの活断層が、三つの町を壊滅させ、その後
復興された町も、14世紀の再度の大地震で壊滅、放棄され、遺跡のみが残るという

活断層の端に位置し、断層による地崩れと熱泉の雪崩(なだ)れ込んだコロサイの
遠く町はずれに、裂け目という意味の クローナイ という名の小集落があり
震災後、難を逃れた僅かな人々が残って居たことから、これが後の伝説の
ミカエルが裂いた地の穴の由来となり、実際にこのあたりで地下川となっていたらしき
リュコス川は、崩落で流れを変え、二つに大きく分かれて、この地を巡ることとなった


Grandes Heures de Rohan 1430 - 1435: the dead man before God.
A demon attempts to steal his soul, but is attacked by St Michael the Archangel

こうした絵画も、神の剣としてのミカエルを介し
善き人の魂が神の御許へ向かう、九十九折(つづらおり)の道のりであると同時に
大地の水が天へと還(かえ)って、また雨となり地下の川へと注ぐ道程を伝えてもいるかのよう

ボヘミア地方にも、急流という現地語に相当する川があり
それはドイツ語のカササギという語と同じだった
この白と黒に分かれた長い尾を持つ鳥は、見え方や数によって、吉兆とも凶兆ともなり
故(ゆえ)に凶難を乗り越え、新進に転じようとする願いを担うことも多いように思われる
ボヘミアの急流、エルスター川は、白エルスター川 と、黒エルスター川 があり
交わることはないが、その山深い源泉は、カササギの泉と呼ばれている


マルトレルの描いた、黒ずくめの聖ゲオルギウスは
カササギのように、胸に、白地(に十字)の当て布をつけ
氾濫(はんらん)する急流を地下へと逃がし収めたミカエルのように
画面の斜め一杯に、槍を構える



 

槍の切っ先に口を開いて蹲(うずくま)る龍は
伝統的な碧緑の川の守護龍ではなく、土砂を捲(ま)き込み、泥色の闇に黒ずんで
自らの凶兆から逃れる術もなく、道なき道を辿(たど)り、荒れ狂う急流の
巣から墜(お)ちたカササギの、もはや生きる術を絶たれた雛(ひな)のように
飢え、嘆きながら、赤い口を開き、助けを呼ぶかのよう


いや、そうではなく
ゲオルギウスもまた、龍の口から、毒液を溢(あふ)れさせるよう注ぎ込まれた
悪意の奔流を、今しも槍で抜き去り、幼い頃、澄んだ流れで憩い戯(たわむ)れていた姿に戻り
傍らにある黄泉への入り口から、大地の源泉へと還(かえ)るよう、促しているのかも知れない
姫もその心に呼応して、龍が悪意に蝕(むしば)まれた禍々(まがまが)しい姿から
元の小さく稀有(けう)な、か弱き生き物へと還(かえ)れるよう、必死に祈っているのだろう
その足下に現れ始めた、薄い灰色の洞井守(ホライモリ)こそ
龍の本性であり、人間の悪意から解き放たれ
大地の底深く澄んだ水の穏やかな薄明へと、還(かえ)って往こうとしているのではないか