hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

曇り空の水晶球

2017年04月10日 | 散文詩
いつからか もう聴こえぬ音色を
透き通った蝙蝠の仔のように抱いた 腕を延ばし
風が カーテンの後ろから ラジオのスゥィッチを圧す

水と空の境を探し 音と色の閾を尋ね
いくつも海を過ぎ 消え残る
聲の降りしきる 眠りの辺(ほとり)に佇む

目の隅で 渋滞の車列の後ろから
白濁した暗雲が噴き出し 次々と音もなく
吹き飛ぶドアやシャフトが迫り來るのが ミラーに映る

痺れた頬を上げ 視つめていると 崩れていない同じ車列が
どこまでも続き やがて どこかで鳥になって飛び立ち
ベランダ越しに 夕暮が 動かぬ窓の向うで くすんでゆく
ここは世界の片隅でも
ニュースが起きたら即 世界中へ伝わる
あんまり悪いことが次々起こるので
起こる前から伝わってしまい
耳にすると同時に それが覆い被さってくる
だから信じない

目を瞑り 耳を塞ぎ
音も色もない狭間を降りてゆく

無 と書かれた掛物の下がる
窓のない茶室

無重力 と書いてあったのかも
重と力は下へ落ちたんだ

下半身が見えぬ 正座しているのか
どこかへ置き去ってきたか

茶垸(ちゃわん)が 目の前に置かれていて
だれもいない
その底へ いま吸い込まれるように
なくなった 緑の滴が 消え
閼伽(あか)い翳が 残像のように 蟠(わだかま)り
落ちてゆく
銀河の中心窩と そこから そこへ       Tea Bowl Yohen Temmoku Seikado Collection
波立つ水晶体は 同じ速さで回っている
というが 目に浮ばぬ


秋きぬと 目には さやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる (藤原 敏行 古今 一六九
妻呼ぶ雉子の 身をほそうする (去來抄 三九


居なくなった人たちの密やかな話し聲が
沈黙の厚い紗裂を窪ませ
だれかが どこかから戻ってくる
そうであってほしい
お母さん あれは夢だったのでしょうか

地上七階 屋上のフェンス 曇り空 外側から
しがみつく指 関節が 風に白く乾いてゆく
幾筋もの 鼻水と涙の上に
さらに塩水が垂れ 滴り流れ

だれか呼んでくるから 待ってろ
と 兄が身を翻した 刹那
行っちゃ嫌だ と嗄れた聲が縺れ
痺れた手が わななき滑る

息を呑む 静寂と薄闇に包まれ
ふいに 階段を降りている
扉が開かれ 中に入ってゆき すべて忘れる

あのとき なにか歌っていた
どこかで
割れた鏡のような欠片の中
その歌は いつ已んだのか


奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 聲きく時ぞ 秋は かなしき (猿丸 太夫 古今 二一五
名児の海を 朝漕ぎ來れば 海中(わたなか)に 鹿子(かこ)ぞ鳴くなる あはれその水手(漕手)(かこ)
長い掛軸の 下のほうで なにか動く
茶垸のような器に 蝦が一匹
水の中 さりさりいう音が幽かに伝わる

    前田 青邨 蝦
Maeta Seison Shrimp     
北大路 魯山人
外は赤く 内は白い 蝦が一匹 描かれた垸                 金らむ(襴)手
水を入れたら 泳ぎ出すか                      Kitaōji Rosanjin
薄い垸を水底から ちりちりと微かに震わせ
三十年前の夏 百貨店の
個人輸入品売り場に展示されていた
海老と水草の入った 水の球

いまじゃネットでなんでも どこからでも買える
でも十年位前に検索したら無かった

NASAが開発した 特殊ガラスの球は 密閉され 光も要らない
水と 僅かな気体 一枝の水草と 赤い小さな蝦で できている

昔 毎月のように出張していた父が よく買って來た土産に
似たようなのが あった

小さな四角いガラスの中に いろんなものが とじ込められてる
こけしとか 灯台と舟とか タツノオトシゴと砂時計とか
どうやって作るんだろう なぜ こんなものを作るんだろう?

あれだな 逆様にして振ってから置くと
いろんな町や雪だるまに 粉雪の降る
水の入った球の置物 こちらには雪は降らねど

古くなると ガラスの中空の そこここに罅が入った
ガラスは液体だと 大人になってから知った
空間が歪むように 結晶は育つ

仕舞い込んだ引き出しを開けると 少しずつ増えていた
割れたら どうなるか 出てくるのか と よく想っていた
中に一つ 金魚が二尾と 石ころが一つ入ってるのがあった

それと もやもやした緑色の水草の切れっ端
赤い和金と黒い出目金で その頃は不思議に想わなかったけれど
随分小さかった 鰭の先があちこち縮くれて ぼろぼろしていた

目も黒ずんで芯が白く 全体に死相が漂っていた
とても不思議で怖かったけれど 気に入っていた
三十年前にはまだあった ガラスの四方が少し欠けていた

探しに行く勇気はない
粉々になって出ていて 木乃伊(みいら)になってるかも
尾鰭しかないとか

その夏から秋にかけ 百貨店のその売り場に幾日か通いつめた

小さな蝦が たくさんの細い肢を回転させて
青々とした水草の枝から枝へ 渡ってゆき
密生した苔のような葉を 両の鋏でつまんでは
せっせと口に運んでいた

一輪車に乗ってるみたい 水中で
とっても面白い 高いけど買おうかな と
しかし あまりに高過ぎた それでも欲しくて考えていた

でも あるとき 蝦が喧嘩するのを見た
よく見ると喧嘩ではなく 弱い蝦が水草に取り付くと
威張っている一匹に 追い払われるのだった

何匹か居る裡 気にされてないのも居たが
決まって追い散らされるのが二匹程居た

数日後 一匹が 丸い球の底のほうに沈んで横たわり
体色の薄い赤と黒い目が とても小さく軽そうだった
もう一匹も やがて死んだ

餓死というよりストレスだったのだろう
蝦がだんだん少なくなって
なんだか威張っていた蝦も元気がなかった

久し振りにまた行ってみると もうその球はなかった
残った蝦はどうなったのだろう
数が減ると成り立たぬのだろうか

注文すれば いまでも買えるだろうか (似たようなのはあった
買ってから ただ置いといたのに 蝦どうしが喧嘩して
死んでしまった場合は 新しいのと換えてくれるだろうか

それともそういう場合は致し方ありません
と各国語で但書きがあるだろうか

好きじゃない奴と 狭い水晶球にとじ込められ
餌と空気がたくさんあっても 死んでしまう
好きな人の居ない 狭い水晶球に独り とじ籠り
餌と空気がたくさんあるから生きている
どっちがいいだろう 後のほう?

それとも 好きだった人の面影を
死んだ金魚のように ガラスの中に詰め
いつしか風化し 壊れてしまうまで
ときどき眺めているのが よかろうか
ちょっぴり縮くれて 小さくなった
顔色の悪い その面影を
ほら 白い目をした金魚が
やっと解放され 夢の端を泳いでる ぼろぼろになった尾鰭は
周りの空間の欠片と一緒に 置いてきてしまったけれど

とじ込められていたのに 出て行ってしまった
蝦の 透き通った赤い身体と黒い目が
連なって 房々した尾ができ どこまでも広がる

翳(かす)んだ視神経から 脳髄液の中へ
環流するとき たくさん過ぎ 詰まって
ひらひら 尾鰭だけが いつまでも動いている

そうすると 中からとじ込められ
水晶体の中 白っぽい壁 くすんだ空
無窮の行間に映る ぼんやりした いくつもの欠片
もがくような仕草をした 小さな翳
すぐに忘れられ 消えてしまい
戻って來ぬ

水中で 赤い一輪車に乗り 青々と拡がる
草のそよぐ前で せっせと鋏を動かす 若い頃のあなたは
いまどこか別の 鏡なす画面の前に居るだろうか

それは記憶の無いあなただろうか あなたの居ない記憶だろうか
時の還流の中 すぐに薄暗くなり また薄明るくなる
だれか瞬いている ゆっくりと速く
NGC1275繊維状の塵    
その銀河は フィラメントのネットワークを含み
核で発生したプラズマの泡に 曳き摺られている
ガスの長いフィラメントは 銀河を超えて広がり
一つのフィラメントに含まれるガスの量は 太陽の百万倍
幅はわずか二百光年だが しばしば光の如く まっすぐに
二万光年先まで伸びている という
蝦が一匹 耀く曇った球を貫け 浮び上がってくる

川端 龍子 網 絹本 着色 Kawabata Ryushi Net    
周りの銀河間の雲より ずっと冷たいのに
どうやって一億年以上も連なってきたのか
地球の磁場の一万分の一ほどの 弱い磁場で
フィラメント中のイオンが存続できるだけの
エネルギーが与えられてきたなら そこにも
なにか時空間結晶みたいなものが 見え隠れする 冷たさの裡

時空間結晶の観測に成功した というニュースを 見た
超低温下で 一定の周期で 初期状態に戻る
振動が 長く続くことを観測
時間結晶の存在を確認できたのだそうだ

水について わかっていないことも数多あるという
は 四℃で体積が最も小さい
は つねに水より体積が大きく そのようなものは他にない

ゆっくり凍らせると 液体のままガラスのような
アモルファス氷となり
マイナス三十八℃で すべての水は凍る

氷には 水素原子が結合した さまざまな状態があり
十七種が知られているが それ以上あるかも知れぬという

瀧などでマイナス・イオンが発生しているが
水の表面は酸性らしい
三角波や 海が荒れるときはどうか 豪雨のときも
水が蒸発する仕組みは わかっていない

水を量子サイズにとじ込めると 量子効果を示す

壬(みずのえ)の浦の島子が開けてしまった 櫛笥(くしげ)から出てきた白い煙は
量子サイズにとじ込められた 時空間結晶の蒸気だったのかな

あのとき 時間結晶したのだろうか
そもそも 時空間結晶という名だった筈だ
空はどこへいったのか 即是空 空しくなりぬ

そんな高圧下で低温化された箱をどうやって開いたか
開けようとすると 開くようになっていたのか
そんな箱を持たされたくない
知らずに身体の中に持っていて いつか開いてしまうのだろう

箱というのは なにかを入れておくものだ
なにかを入れておくのは いつか出すためではないか
それとも 出さないようにするためか
いつかまでは いつまでも

七夕の宵 空にかかる天の川 渉る三つ星二つ
天翔ける 失われし聲 色を失くしし 鵲の橋
相滲み寄る翳 映る角盥(つのだらひ)のに 星添ひし西瓜き眸

遠き眼差し 解けて垂れ落つ 銀河の渦が
水面の鏡より宙の奥へ届き 掬ひ揚ぐ星 翳は降りゆく
わが角へ掛け給へ なが羽衣 沾(ひ)ちぬよう

もはや いつの日にかに(蟹)も 届かぬ便りを 蘆の葉に書き 切る縁(えにし)
身は空へ


袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つ けふの 風や とくらむ (紀 貫之 古今 二
ゆく螢 雲のうへまで い(往)ぬべくは 秋風吹くと 雁に告げこせ (在原 業平 後撰二五二


      
横山 大観 蘆蟹 絹本・淡彩        葛飾 北斎 西瓜図 宮内庁三の丸尚蔵館
Yokoyama Taikan Crab under the Reeds Katsushika Hokusai Watermelon