hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

廃墟

2015年09月17日 | 散文詩
Casa Campanini    
古い 錬鉄 の門に
指をからめ うなだれ
雨にぬれた髪が
こめかみから ほおに落ち
とじかけたまぶたの前で ゆれる

その場所は 雨音とともに
あらわれた かげから
失われた 日のことを 想い出す
そこに 想い出させていることは
そこへ入っていった ときから
かげにも わかっていた

遠雷のように そこかしこが
過ぎ去りし 日の気配を 帯び

角を曲っていった かげの
背後の 空気の流れが
視野の隅をかすめ
ふれて放した
扉の端が まだ あたたかい

そのために來た ともいえるのに
一歩も 進めなくなった
それから後に 起こったことが
またすべて 起こるのか
それとも 取り戻せるのか塀際の 細い裏庭へ
生えのびた 雑草に
淡い花が 咲いている
その上や まばらな土に
細かな雨のふり落つ
かすかな音

異なる音色
土の上に 葉の上に
花びらの上に
空から 木立から
しづくとなって
塀を伝いおり 葉から
花びらから はねかえる
前にも この音を きいた

窓枠に腕をつき うなだれて
下を のぞき見ていた
そこではない どこか
もう少し後で 地上数階

いまと昔の 空間の
かげり 結び合う
かすかに古びて縮んだ
すきまに 雨音が にじみ込む
時の流れに あらがうように
かすかに おし返しつづけ
すべての場所を 疲弊させる

忘れ去られた 庭の片隅
雨ざらしの彫像のように
いつか よみがえる
そのとき そこで とどむ
ただ そのために だけ

雨がやんで 日没の長い光が
塀の方から 差し込んできた
足をひきずったような
あとの ある
ほこりっぽい床へ
淡いかげが のびていった
おもてを上げると
目に 横から光が差し込み
うるむように かがやいた

紫にけぶる 目をふせた ほほえみ
約束と 取ったのだろうか
ずっと待っている と
果たされることは ないかも知れぬ
それでも 待っていたいから
待っている と
もう とめるものは なにもない

割れた敷石から のび出した
細いリラの枝に 小さな花が
古い鉄柵の門の 花綱模様に
からまって咲いている
同じ花の花綱 枯れることのない
果たされる はずのなかった 願い

割れた石の 間の土に
リラの細い幹が 貫き通る
頭文字の形をした 小さな金の輪
日没の長い指が 時折 それをはめる と
ゆれるように光るが 目にするものはない
Casa Campanini    
ニーチェ のことは なにも知らない
ニーチェの馬 という 映画があって
好きな ハンガリーの タル ベーラ 監督
のだから 観たいと想ったが まだ観ていない

1889 年 1 月 3 日
44 歳 の 哲学者 フリードリヒ
トリノの広場 で 鞭打たれる馬に出会うと
駆け寄り その首をかき抱いて 涙した
そのまま 精神は崩壊し
最期の十年を看取られて
穏やかに 過ごした という
馬のその後は だれも知らぬ と

超空洞 の縁にかかる 銀河の
遠くから のばされ ちぎれた腕に
絡まる 太陽の子らが
太古の すれ違いと 融合の 涯に生まれた
日のことを 想い出せず ゆらぎ 傾くように

愛を知らず
自らを追いつめ 張りつめ つづけた
孤独な心が
前人未踏の淵で 喘ぎ ゆらぐ

自然や生命が 馬として
力を尽くし 耐え忍ぶ姿に
自らを嘲り 決して赦さぬ 否定者を
奈落の底へ 突き飛ばし
淵を越え 馬の首へ取りすがったのか

助けることが できぬなら
ともに 耐え忍ぼうと
死にゆく馬は
あなたの破れた心を 受け止め
すがりつかれた首で あなたの
仮象の 重みを支えたのか

自らの奈落へ 落下する途中で 忌み嫌う
愛し愛されることのできぬ 自分を
かなぐり捨てることが できるだろうか
さなぎの ように

1890 年 7 月 27 日
37 歳 の 画家 フィンセント
震え 硬直し 曲った指で
重く 冷たい 鋼の筒を支え
のたうち おびえ苦しむ 自らが
澄みわたった 自らから 離れる
瞬間を
止めどなく涙し 歯を食いしばりながら
待っていた
長い 永い 時の間

それは 離れることは なかった
澄みわたった 心を持った
幼子は うつむき
踊りまわる ようにして
蹴りつける
ひょろりとした かげを
見ようとは しなかった

恐がるな と わめき
こっちを 見ろ と 蹴りつける
それは 自分自身だった

油彩 キャンバス Oil on Canvas 73 × 92 cm September 1889 年 9 月    
アムステルダム、ゴッホ美術館 Van Gogh Museum, Amsterdam    
廃墟にたたずむ 少年は
失われたものの
大き過ぎる かげに おおわれ
息もできぬ

幼い心の流す 血と涙は
全身から 青く にじみ 漂い
去りゆく かげを 失うまいと
持ちこたえようと
必死で 遠い かなたを
いまだ おとずれぬ ときを
前を 見つめる

失われゆくものが
手に ふれてくる とき
力をつくし 守りたい と願い
心をつくし 安らかに
ほほえませたい と
指は そっと 傾いた
犬の 頭へ置かれる
上野 繁男 Shigeo Ueno 廃墟と少年 Ruins with a Boy   
油彩・カンヴァス Oil on Canvas 1969 年   
歌が きこえる
日差しが ふりそそぐ
廃墟から 失われた眼差しが
そっと 少年の肩へ注がれる
かなしみに とざされた
石像の目もとと 唇の隅が
黄昏の 暁の 月の 光の中で
ほほえみに かわってゆく

母であり 妹である
二人は ふいに 目を伏せたまま
その門の前で 入れ代わり
舞うように 手をひろげ
あらわれた 少年と犬を 迎えるために
草と木の 生きた鋼の
ほのぐらい扉を あけ放つ

彼女らが舞い 入れ代わりつつ
差しのべた手を 取り合い アーチをなし
下げた手を 子の肩へ そえるとき
扉は ひらく

だれもが 心の奥に
幼子を
ニーチェの馬を
抱えているのかも知れぬ

蹴りつけ鞭打つ 手足は
闇に沈んで 見えぬが

右手が そうしようとするなら
左手で抑え
左足が そうしようとするなら
右足で踏みつけ
守ろうと もがくうち

馬は 幼子を乗せて
だれもが 越えられなかった 淵を越え
あまたの涙にかかる 虹を渡り
雲の向こうの 母と妹のもとへ
帰ってゆくのかも知れぬ
上野 繁男 Shigeo Ueno 廃墟と少年 Ruins with a Boy    
油彩・カンヴァス Oil on Canvas 1969 年 部分 detail    
Tony Gatlif - Gaspard et Robinson    
もしも 幼子を 傷つけるものが
大きくなった 自分自身でなく
幼子が 幼子でいる ときに
大いなる わざわいに 苦しむとき
石像たちは 目をあけ 飛んでくる
幼子の かなしみと おそれを
深い闇と まばゆい光の
ひとみで包み 幼き心から洗い流し
腕に抱き つれてゆく

だが 幼子を 蹴りつけるものがなく
幼子が 大きくなっても
その人の心の底で 夢見つつ
まどろんでいるのなら
幼子のときから 愛おしみ
やさしく みとった 動物をつれ
いつの日か 自らの足で その扉へ
たどり着く ことができる

そのとき すべての幼子の
かなしみと おそれを
まぶたのうちに たたえ
ひっそりと 石となり たえている
母なる神と 妹なる神は ほほえまれ
ゆったりと その場所を 入れ代わり
扉をひらく 舞いを 舞われる

そのとき 廃墟は 門となる
持ちこたえてきた
おそれと かなしみを つらぬき
あたたかな愛が 差し ひろがって
道となる
幼子である あなたを
とおす道となる

あなたは 振り返って
つかず離れず ついてきた 犬を
それとも 乗っていた 馬を
見ようとする
それとも 足を前へ
前へ繰り出すように
地を 波立たせた かげぼうしを

それは はじめから
いなかった ように
もう いないが
その眼差しは あなたの 父なる
神であったかも知れぬ