新古今和歌集の部屋

吉記 養和二年春

養和二年(1182年)

二月
廿二日癸亥。天晴。伝聞、五条河原辺卅歳許童食死人云々。人食人、飢饉之至極歟。雖不知定説、依為珍事。憖注之後聞、或説無其実事云々。
三月
十五乙酉。…略。今日可有恒例祇園一切経会。而去比飢饉者於社内餓死之間、依穢気延引云々。
十九日己丑。天晴。午剋参院。謁人々之間空及昏退出。道路死骸充満之外無他事。可悲之夜也。…略。
廿二日壬辰。天霽。…略。従儀師相慶来語云、宰相阿闍梨忠円一日比餓死了云々。大略雖為日々事、有職已上略他仍住之。


吉記
吉田経房の日記。現存するのは,承安三年(1173) から文治四年 (1188) までの記録で,途中数年分欠けている。

吉記 本文編
高橋 秀樹/編 タカハシ ヒデキ
和泉書院
2002.2
日本史史料叢刊
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