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東日本大震災、新潟フリー女子アナ 伊勢みずほ その時、車で実家の仙台に向かう!!

2014-03-11 20:43:22 | 東日本大震災
東日本大震災、新潟フリー女子アナ 

伊勢みずほ その時、

車で実家の仙台に向かう!!






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伊勢みずほのオフィシャルブログ

2014年3月11日 個人的に思うこと。

伊勢みずほのオフィシャルブログ

はじめに

東日本大震災で犠牲になられた全ての方々の

ご冥福を心からお祈り申し上げます。


少しだけ思い出してみると・・・



あの日私は新潟の自宅にいました。



震源が宮城と知って血の気が引き

テレビの速報から15分後には車を走らせていました。


高速道路は津川で下ろされ

ガソリンスタンドで津波が来ていることを知らされ

引き返すように言われましたが

無我夢中で家族を目指しました。


途中、妊婦さんがヒッチハイクを求めていてお乗せました。

何か喋っただろうか・・・覚えていません。


覚えているのは死ぬのかもしれないという

不思議な覚悟と異常な高揚感。

今思えば情けないことに

パニックになっていたんだと思います。

今までの人生は

この天災を乗り越えるためにあったんだと

変わり果てた故郷を目の当たりにした時、知りました。

やっと家族と会えたときも

死ぬほどほっとしたのに

涙も出ないほど変なテンションでした。

私の実家は

建物の被害だけで、家族の命は無事でした。

それだけで・・・本当にありがたい。

この3年。

宮城と新潟を 行ったり来たりしながらも

私は新潟で暮らしています。

仕事を辞め仙台に帰ることもずっと悩んでいました。

でも新潟で暮らすことを今も選んでいます。

もちろん家族も この選択を応援してくれています。

振り返ると

これでよかったかどうかは自分でもわかりません。


もっとやれることがあっただろう。


もっと捨てられることがあっただろう。


もっと目を見開くことができただろう。

この3年で深めてきた縁に

寄りかかって生きてきたら・・・今日になってた。。。

そんな感じなのかな。。。。

地震や津波がなかったら

一生交わることはなかった縁がたっくさんあります。

宮城にも。 福島にも。 新潟にも。 

何にも代え難い出会いばかりです。

被災地の方々からも

新潟の皆さんからも

どれほど力をいただいたことか。


∞ むげん。


ドキュメンタリー映画 「うたごころ」を観ました。


被災地で暮らすひとりひとりの気持ちを

考えると辛すぎて目を閉じてしまいそうだから

自分の中で「震災はこうだった」という箱に

しまいこみながら生きていることに気がつかされたというか・・・

きちんとその「箱」を開けて向き合って行きたい。

中越地震の被災地 小千谷の方に昨日聞きました。

10年が経ち 市民の8割ほどが「復興したという感覚」を

ようやく持てるようになったみたいだと。。。



まだまだこれから。


これからも つながりに感謝して生きていきたいです。

大勢の方に力を貸していただいた3年でした。

あらためて 心から感謝申し上げます。


本当に本当にどうもありがとうございます。


出来ることを続けます!


YouTubeで「【日本赤十字社】しんちゃんのランドセル」を見ませんか
https://www.youtube.com/watch?v=0RP2JlbYRvw&feature=youtube_gdata_player


ツアーもやろう! HOPE Tシャツも続けよう!


一人じゃできないけど

みんなと一緒なら絶対に出来る!!


なんともまとまらないけれど

そんなことを考える大切な一日でした。

【東日本大震災】伊勢みずほ
http://search.ameba.jp/search.html?q=%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD&aid=isemizufo

伊勢みずほのオフィシャルブログ
http://s.ameblo.jp/isemizufo/entry-11792839876.html


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新潟フリーアナウンサー、伊勢みずほさんのブログからの東日本大震災支援

被災地応援バスツアー
http://s.ameblo.jp/isemizufo/entry-11321720120.html 8月も!9月も!開催決定です

新潟恩返し隊&ごきげん新潟応援団 共催

被災地応援バスツアー

これまでのボラバスツアーと違うのは 「観光」をすることでの応援ツアーです。
8月25日(土)からの一泊二日は 新潟県内の社会福祉協議会さんが 集中的に復旧活動に専念された 岩手県陸前高市を訪れ、 宮城県気仙沼市・南三陸町と南下する 2日間! 16000円です。
新潟で活躍の伊勢みずほさんの実家は仙台。伊勢さんは、3・11大震災の日、危険を顧みず、仙台に向かいました。伊勢みずほさんの東日本大震災支援の活動は、ここから始まりました。

神崎のナナメ読み様より
http://kanzaki.sub.jp/archives/002497.html

フリーアナウンサー伊勢みずほさん

●プロフィール 1977年生まれ。 宮城県仙台市出身。 高校時代から宮城県内でラジオ・パーソナリティーやフリーアナウンサーとして活躍。 2002年4月~2010年3月まで新潟放送アナウンサーとして勤務。 現在はフリーアナウンサーとして多方面で活躍。 町おこし、動物愛護など積極的に携わっている。 オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/isemizufo/

【東日本大震災を経験して】
http://kanzaki.sub.jp/archives/002497.html

さて、今日のテーマは「まちかど行ってみずほ~今こそふるさとに誇りを~」という事でつけさせていただきま した。 私自身、今年ほど、このふるさとというものを意識したことがありませんでした。 皆様もきっと、東日本大震災の時には、それぞれの立場で、ご自分の事とか、家族の事とか、お仕事の事、住ん でする場所の事、なにかしら考えたんじゃないかなあと思います。

私の実家、仙台にあるのですけれども、少しだけ今日、地震で経験してきた事をお話しさせていただこうと思い ます。

皆さんは3月11日、あの時間、何をしていらっしゃいましたでしょうかね。 私は休みだったので、新潟市の自分の家にいたんです。 物凄く揺れたじゃないですか。 長い時間、揺れましたよね。 でも私はあの時、ぱっと「あっ、また中越なんじゃないかな」と思ったんです。 あんなに揺れたんで、もっと近いと思ったんですね。 嫌だなあと思ってテレビをつけたら、宮城県であると。 もう200キロ以上離れている宮城で揺れて、新潟であんなに揺れる。 ただ事じゃないなあとすぐに思いまして。 今思えば、もう少し思慮深く状況把握してから行けば良かったと思うのですが、地震が発生して20分後ぐらい には、私もクルマに飛び乗って、仙台へ向かったんですね。 とにかく家族に会わなければいけないと思ったんです。

飛び出した迄は良かったんですが、高速道路に乗って、津川インターですぐにおろされました。 その先は通れませんでした。 津川でおりたところで、ガソリンスタンドがあったので、そこに寄って、満タンにして。 ガソリンスタンドの人に「ここから仙台までどう行ったらいいですかね。道を教えてください」と聞いたんで す。 でも、ガソリンスタンドの人は、「いや、テレビを観ていたら、津波が来ていて大変なことになっている」と。 私、津波のことも知らなかったんです、その時まで。 「大変なことになっているから、絶対に行けない、引き返しなさい」と言われました。 でも、私の中では、帰るという選択肢は無かったんですね。 なんとしてでも仙台に行かなければいけない。 「分かりました。なんとか行ってみます」と、ナビゲーションが古かったんですけれども、ナビにそこから高速 以外で行ける道を入れたんです。 そうしたらナビが古かったせいで、バカだったんですね。 猪苗代のスキー場を通るような、ナビで見ると、クネクネという山道がたまに出るじゃないですか。 あの道を通らせられたんですね。 でも、そこを信じて行くしかなかったので、行ったんです。 猛吹雪で、スキー場の近くを通って、そこは真っ暗でした。 あとは、福島の町の中に着いてようやく、クルマがいっぱい渋滞していたので、そのテールランプで明るかった んですが、どこへ行っても橋が落ちている、土地が割れているで迂回迂回。 ちょっとずつ、ちょっとずつ進む大渋滞で、住宅街みたいなところを通されて行ったんですね。

どうにか宮城県に入りまして、そこからは出来るだけ情報収集しようと思いまして、TBCラジオ、仙台の地元の ラジオを聴きながら行きました。 そのラジオから聴こえてくるのが、荒浜の海岸に、200から300の遺体がうち上がっている模様でしたとか、気 仙沼では火災が起こっていますとか、そんなニュースが淡々と流れていたんですね。

その時、私は状況が全く分かっていなかったので、放送局もパニックになっていて、誤報を流しているんだ、と んでもない誤報を流しているなと思いながら行ったんです。 ちょうど荒浜の辺りを通ったときに、道が真っ赤だったんです。 緊急車両の赤色灯で真っ赤で、サイレンがずっと鳴っていたんですね。 それを見て、あっ、もしかしたら本当なのかもしれない、大変なことになっているんだなと思いました。

あの情報を伝えなければいけなかったアナウンサーの気持ちを思うと、本当に辛かっただろうなあと思います。 感情を押し殺して、淡々と伝えていたんでしょうね。 私もずっと動揺したまま、泣きたくも無いのに涙がどんどん流れてクルマを運転をしていて。 どうにか、それでも夜中の12時に実家に着くことが出来ました。

マンションなんですけれども、マンションの一階で毛布にくるまって、他の住人の方と避難している家族と会う ことが出来ました。 その日は、クルマの中でエンジンをつけたり切ったりして、寒かったので、それで過ごしまして。 次の日、部屋の片付けをして、やっぱり夜は怖いからクルマで眠って。 次の日からは、近くの避難所の小学校でお世話になりました。

実家はですね、仙台市の青葉区というところにありまして。 みなさんご存知でしょうかね、仙台駅とか、国分町・・・飲み屋街があるのですが、どちらかというと、あの辺 りにあるマンションです。 ただ、12階だったということで、非常に揺れたんですね。 家の中のものは、全部壊れました。 何一つ残っていませんでした。 こんなにも酷いもんなのかと思ったのが、洗濯機がズボッと飛んで、壁に突き刺さっている状態だったんです ね。 怖かっただろうなあと思います。

でも今は本当におかげさまで、新潟の皆さんにもたくさんたくさん助けていただいて、家族は日常生活を取り戻 しています。 本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

その後ですね、地震の後、二週間後ぐらいに新潟に戻ってきたんですが。 その後、新潟の飲食店の方々と、チームを組んでいまして。 ラーメン屋さん、お菓子屋さん、パン屋さん、おすし屋さんなど、一緒にですね、南三陸町の歌津地区というと ころへ、何度か炊き出しに行きました。 歌津というのは、皆さん聞いたことがありますでしょうかね。 とっても綺麗な風光明媚な観光地でした。

みなさんもテレビで観ていたとおり、全部を流された所です。 体育館で5か月ぐらい皆さん生活を送っていたんですけれども、本当に歌津に関して言えば、避難所となってい た中学校の体育館が、高台にあったんですけれど、そこから街が見下ろせる場所に避難所があったんですね。 だから5か月間、何も無くなったふるさとを見下ろしながら、避難所生活で本当に辛かったろうなあと思いま す。 名十年もその場所に暮らしていた、思い出がいっぱい詰まった家が、何もなくなってしまってですね。 私がお話しをうかがった、家が流されたとおっしゃっていたお婆ちゃんと、お嫁さんと、子供たちがいらっ しゃったんですが、家族の命は無事だったそうです。 本当に喜んでいたんですが。 ただ、仮設住宅が狭いので、お婆ちゃんだけが別の棟のおうちに住んでいるんですよね。 田舎ですと、大家族で住んでいる方が多いので、今は住む家がなくなって、家族形態といいますか、家族一緒に 過ごすことが出来なくなっている人達が多いです。 一日でも早く、それぞれの自分達の家族の住まい、家族一緒の空間を早く取り戻せたらなあと思っています。

家族もそうなんですけれども、地区ごとにまとまって仮設に入れたら良かったんですけれども、宮城に関して言 えば、みんなくじ引きで仮設住宅が決まったので、みんなバラバラのところに移ってしまっているんですね。 地域のコミュニティーが完全になくなっているのが、ちょっと心配されているところです。 行ってみて分かるのですが、報道されていないところも、まだまだ細かくありまして。 この期に及んで、8か月経っても手付かずの所もまだあります。

炊き出しに行ったときに、60代ぐらいの大工さん、おじちゃんと出会って、話しを聞いたんですが。 あまりにも街が酷い状況だったので、せめてライフラインが整うまでは、他のところで暮らしたらいかがですか と私、聞いたんです。 そしたら、その大工さんは、「それは無い」と即答されました。 ここにいれば、まだ出来ることがあると。 「復旧運行のために動くことが出来るし、俺たちがいなくなったら、ここは誰が守るんだ」とおっしゃったんで すね。

もう何にもなくなってしまったふるさと。 それでもその土地に根付いて、ふるさとを大切にしていくという思いが、日本人の中にある本能なのか、また は、ふるさとの持つ力なのかなあと考えさせられました。 きっと今頃は、大工さんも、地元の人達の家とか、新しいおうちを建てるために汗を流していらっしゃるんでは ないかなあと思います。

炊き出しに行って、もう一つ感じたことがありまして。 それが、本当に新潟の食、美味しいものが持っている力って、凄いんだなあって感じました。

ラーメンとかお寿司とか、ぽっぽ焼きとか、ワタアメ、カキ氷なんかも向こうで振舞ってきたんですけれども。 被災地の方々、大喜びでした。 新潟の炊き出しは、一番うまいと言ってくださいました。 「だから、また来てね。本気でみんな新潟の炊き出しを楽しみにしているんだよ」と言ってくださったんです ね。

そこで、食での支援ということで、私たちは新たな企画を考えました。 それは、「新潟に南三陸食堂を作ろう」という事で、今、考えています。 随分壮大ですね。 本当に叶えばいいなあと思っているんですが。 これは、新潟の食材と、南三陸のものをコラボした美味しいものを新潟の方に提供することによって、向こうの ものを買うことが出来るし、そして新潟の方に美味しく楽しんでいただきながら、忘れずに長い支援が出来るん じゃないかなあと考えたんです。

あとはもう一つ、向こうでですね、被災地の方で食堂をはじめたいと言っている方がいるので、そちらの方の支 援も出来たらいいなあと思っております。



【チャリティーTシャツ】

それにはどうしても資金が必要ということで、私たちはTシャツを作ったんです。 ちょっとここで皆さんにご協力をいただきたいなあと思って、今日、持ってきているんですけれども。 こちらです。

凄い可愛いんです。 見てください。 これ、出来立てのホヤホヤのTシャツなんですけれども。 今日は会場にも、何人の方が着てくださっていますね。ありがとうございます。

真ん中に虹がありまして、太平洋と日本海をつないでいる希望の虹。 真ん中に大きく「HOPE」・・・希望ですね。 そして、がっちりと手を組んで握手をして、一緒に頑張っていこうという「TOGETHER」が書かれています。 そして、背中バックプリントにも凝っていまして。 ちょっと小さくて見にくいんですけれども、後でゆっくり見てください。 日本地図が書かれていて、新潟の所に印が付いています。 「HOPE FROM NIIGATA」と書かれています。 新潟から希望をというデザインがあるんですね。 これは、デザイナーの方も、私たちの気持ちを汲んでくださいまして、デザイン料は一切とらずに、無料で考え てくださいました。

こちら、3150円で販売させていただいて、原価を取り除いた全てを被災地のために使わさせていただこうと 思っております。 今日は、ちょっだけ持ってきているので、もしご協力いただけるのならば、よろしくお願いします。

この南三陸町というのは、今は見る影もありません。 沿岸部、酷い状況です。 まるごと、街ごと流されて、何もありません。 人もたくさん、たくさんいなくなってしまいました。 そんな、何もなくなってしまったふるさと宮城の沿岸部に立って感じたことは、帰ったときに、慣れ親しんだふ るさとが、当たり前にそこにある事が、どれほどありがたいことなのか、というのを強く感じました。

その慣れ親しんだふるさとというのは、ひとつは人との繋がり。 もう一つは、街の風景・景色のありがたさでした。 まずは人のつながりと言う点から、本題に入っていこうと思います。
Posted by kanzaki at 2011年11月13日 14:11

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地震カテゴリー
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東日本大震災「石巻・大川小学校」ここにいたら死ぬよ〈児童の訴えに〉先生たちは…津波で児童74名犠牲

東日本大震災「 巨大地震・津波の警告」を隠した国、宮城県の責任は重大!知っていれば逃げられた!

平安「貞観地震」の9年後に「関東巨大地震」その9年後に「南海トラフ巨大地震」東京五輪の年!古文書-



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福島原発事故の主犯「中曽根康弘、読売のナベツネ」から反省の一つさえない!当時の責任者らは海外で…

2014-03-11 17:36:25 | 脱原発
福島原発事故の主犯

「中曽根康弘、読売のナベツネ」から

反省の一つさえない!

当時の責任者らは海外で

のんびりと暮していると聞く。


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本澤二郎の「日本の風景」様より

主犯とされる平成の妖怪・

中曽根康弘の口から、

反省の一つさえも出ていない。

54基もの大量原発を中曽根は、

国会議員として法案成立から、

担当閣僚としても、そして

内閣の責任者として推進してきた。

日本国民にこれほどの罪悪を

もたらした政治屋が、他にいるだろうか。

日本社会への負の報道は

ナベツネの読売が突出している。

読売を官邸広報紙にした主役でも知られる。

読売も反省・謝罪などない。

中曽根同様に原発再稼働に必死なのだ。

世論操作の中心人物である。

このことも国民は承知しておくべきだろう。

いつの日か、このことに市民が

気付いてくれることを望みたい。




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<平成の妖怪と3・11>

<原発推進新聞の読売>

<それでも印刷部数世界一?>

<3年経っても反省・謝罪なし>

<東芝・原発商売に暗雲>

<風化しない原発NO>




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本澤二郎の「日本の風景」(1562)
「ジャーナリスト同盟」通信様より
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52064319.html

2014/03/11

<平成の妖怪と3・11>

 史上最大の東電福島原発事件から、今日で4年目に入った。

当時の責任者らは、海外でのんびりと暮していると聞く。

思えば印象に残る関係者の謝罪の記憶が残っていない。

不思議な事件である。

主犯とされる平成の妖怪・中曽根康弘の口から、反省の一つさえも出ていない。

その逆である。正に妖怪そのものであろう。

 事故というよりも福島事件である。

原発は地震で破損した人災、事件なのである。

それを政府権力で、捜査をさせないで3年も過ごしてきた。

被害者の告訴にも逃げた。

 極め付きの不条理が、福島事件にまとわりついていることを、

後世に伝える義務がジャーナリストにある。

54基もの大量原発を中曽根は、国会議員として法案成立から、

担当閣僚としても、そして内閣の責任者として推進してきた。

 日本国民にこれほどの罪悪をもたらした政治屋が、他にいるだろうか。

それでいて、未だに反省も謝罪もせず、

息子を政界に送り出して、悪政の防御線を張っている。違うだろうか。

<原発推進新聞の読売>

 中曽根と協力して原発を「安全」と吹聴してきた新聞が、

正力松太郎の読売新聞である。

彼はCIAの代理人としても活躍、政界入りすると、

原発推進法案策定の張本人となった。

 正力の原発推進継承者が渡辺恒雄・ナベツネである。

中曽根とのコンビは見事なくらいである。

読売を官邸広報紙にした主役でも知られる。

読売も反省・謝罪などない。

中曽根同様に原発再稼働に必死なのだ。

世論操作の中心人物である。このことも国民は承知しておくべきだろう。

いつの日か、このことに市民が気付いてくれることを望みたい。

目下、三井出身のNHK会長の歴史認識が問題になっているが、

日本社会への負の報道はナベツネの読売が突出している。

<3年経っても反省・謝罪なし>

 中曽根とナベツネと、もう一人の児玉誉士夫を加えると、

岸信介亡き後の日本の右翼化の3悪と呼ぶ向きもある。

 ロッキード事件で潰れた児玉、その児玉の靴を磨いたとの伝説もある中曽根である。

利用できることは、何でもした。

数々の疑獄事件に関与しながらも、すり抜けてきた。

 今では安倍晋三の後見人を任じている、との噂も聞く。

反省・謝罪は無縁の人物である。

一連の特定秘密保護法の制定、武器輸出禁止3原則の排除、

集団的自衛権行使の黒幕とも、永田町でささやかれている。

<それでも印刷部数世界一?>

 読売新聞は、それでも世界一の発行部数を誇っている、とされる。

野球が販売作戦の中心である。

「たかが野球」だが、読売から野球を取り除くと、

何も残らないと指摘するジャーナリストは多い。

 新聞報道の質を問わない新聞だから、

販売に力を入れて、朝日や毎日を蹴散らしてきた。

読売の元政治部長や元日本テレビの政治部長などから、

その内情を聞かされてきた筆者である。

 ボスは、左翼から右翼に転向した典型的な人物としても定評がある。

読売の世論操作には十分、注意する必要がある。

日本国民が愚民であり続けるというのであろうか。

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<東芝・原発商売に暗雲>

 昨夜、いい報道をネット新聞で見つけた。

ロイター電によると、3月5日に東芝系の米原発企業が

連邦破産法適用を申請したと報じた。

ユーゼックという原発燃料を製造している会社である。

 破産原因は、東電の原発停止によってウラニウム燃料の購入が無くなったためという。

世界に悪魔の燃料を売る企業倒産は、

原発商売の衰退を裏付けたもので、歓迎すべきことであろう。

原発で暴利を得ようとする東芝は、三菱と日立とも連携して、

安倍内閣を背後でコントロールしている。

日本外交を掌握して安倍を原発の売人に仕立て上げて、

原発と言う名の核を世界に拡散させて暴利を得ると言うのだ。

 欧州の中軸・ドイツは原発ゼロ政策を推進している。

チェルノブイリの教訓を学んでいる。

自然エネルギー開発へとヨーロッパは向かっている。

 安倍がトルコに2回も訪問、トルコ首相を日本に招いたりしているが、

トルコの現地では反対運動が起きている。

<風化しない原発NO>

 原発NOは、21世紀世界・人類の進むべき道である。

安倍の成長戦略の中心に原発輸出を据えているようだが、成功することはない。

アベノミクスの崩壊は目の前に近付いていることを、人々は膚で感じている。

円を刷りまくるという極端な円安政策で、

暴利を得た財閥企業の一部に賃金アップの動きが見られるが、

それは1億2000万人の日本を代表していない。

 中曽根・読売のことを、東北の人たちは忘れない。

ご存知、世界のいたるところで市民が反乱を起こしている。

経済不況と格差・差別が災いしている。

いかに株屋や新聞が煽っても、市民の懐は固く閉まっている。

4月からはそれが極端に起きるだろう。先が見えないからだ。

質素倹約が日本人の美徳だが、それが大手を振っている日本である。

2014年3月11日5時20分記


本澤二郎の「日本の風景」(1562)「ジャーナリスト同盟」通信様より
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52064319.html




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「滅亡のカウントダウン」を選んだ安倍自民党好き日本人!原発再稼働=時限原爆セット、地震に攻撃の的!

原発事故の収束を長引かせ【半永久的に税金を食いつぶす】大手原発企業と官僚、政治屋。

福島原発事故直後、福島医大の医師たちはヨウ素剤を飲んでいた!「奴隷根性の日本」メディアも医師も‥

平安「貞観地震」の9年後に「関東巨大地震」その9年後に「南海トラフ巨大地震」東京五輪の年!古文書-


安倍の「集団的自衛権行使の黒幕」東芝・三菱・日立が「戦争する日本」を強力に推進、官僚天下りも先行

大江健三郎氏「政府宣伝だまされるな」再稼働、だまされてしまえば…私たちの未来はない!-gooブログ


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東日本大震災「石巻・大川小学校」ここにいたら死ぬよ〈児童の訴えに〉先生たちは…津波で児童74名犠牲

2014-03-11 12:54:04 | 東日本大震災
東日本大震災「石巻・大川小学校」

ここにいたら死ぬよ〈児童の訴えに〉

先生たちは…

津波で児童74名犠牲。

遺族が県、市を提訴。

もし、先生がいなかったら、

児童は死ぬことはなかった……

画像、ニュースeveryより 2014・3・10

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裏山には、授業でよく登ったが…なぜか山には避難しなかた。

校庭待機から50分後、

校庭より5メートル高い場所に

避難開始したが、直後、津波が……






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大川小遺族が「明らかに人災」と提訴

総額23億円の損害賠償請求


ダイヤモンド・オンラインより

3月10日午後1時30分、学校管理下で東日本大震災の津波によって児童74人、教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の遺族が「救えるはずの子どもの命を守る義務を果たさなかった」などとして、宮城県と石巻市を相手に損害賠償を求める訴訟を仙台地裁に起こした。

 訴えを起こしたのは、いまだに行方不明のままの子どもも含め、大川小で津波の犠牲になった。請求額は、児童1人あたり1億円、総額23億円に上る大型訴訟となる。

震災当日の過失責任のみならず、不誠実な事後対応も加味。

「本来は、提訴というで責任追及というのはあってはならないと思う」と学校の事後対応を厳しくい批判した中村次男さん

 震災発生当時、大川小学校では子どもたちを校庭で待機させ続け、川沿いの堤防に向かって移動を始めたのは、地震が起きてから50分近くも経ってからだった。

 その間、ラジオや子どもを引き取りに来た保護者が大津波警報を伝え、防災無線のサイレンが鳴り、広報車が高台への避難を呼びかけている。しかし、学校側は、すぐ近くの裏山に登ったり、スクールバスを使ったりすることもなく、子どもたちを1メートルも上に避難させることができないまま、津波に巻き込まれた。

 遺族たちは、訴状の「はじめに」の中で、こう訴える。

「児童は津波により死に至ったのではない。学校にいたから死ななければならなかった。

 もし、先生がいなかったら、児童は死ぬことはなかった。本件は、明らかに人災である」

教職員に対する複雑な胸の内について語る遺族。2人の息子を亡くした高橋春夫さんは、A教諭の口からの説明を求めた

 訴えによると、そうした学校側の災害対応マニュアルの不備や、津波の避難訓練を行ったことがないなどの事前対策を怠った校長、教頭、A教務主任の安全配慮義務違反を指摘。

 震災当日、校長、教頭、A教務主任、その他の現場にいた教諭が津波を予見し、被害を回避できたにもかかわらず、避難行為に出なかったという不作為(注意義務違反)によって児童の命が奪われたことから、石巻市は国会賠償法1条の責任を負うとしている。また、同校教職員の費用負担者である宮城県についても、損害の賠償をすべき責任があるとしている。

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 また、遺族たちが市教委から受けた震災後の不誠実な事後対応による精神的苦痛についても、遺族の強い意向により加味された。

 この事後対応を巡っては、震災直後から、市教委や学校側が、遺族たちには理解できないような対応を取り続けた。

 例えば、唯一、生き残ったA教諭はなぜ、逃げ込んだ整備工場に子どもたちの救済を求めなかったのか。なぜ当時の校長が被災した学校現場に来たのは、6日も経ってからだったのか。

校長が市教委に「残っていた児童を校庭避難」「引き渡し中に津波」と語った報告書が1年以上も遺族に開示されず、「校長の側聞」とされたのか。そして、震災2ヵ月後の市教委による子どもたちからの聴き取りメモは一斉に廃棄され、地震発生後に「山に逃げよう」と訴えた子どもの証言がなかったことにされた。

その後に開かれた第2回説明会も1時間で打ち切られたうえ、「説明会はこれが最後」と宣言されて、遺族たちが傷つけられた。

 こうした事後対応を含む真相の解明を期待されたはずの第三者委員会の検証も“失敗”に終わり、遺族たちを大きく失望させた。

「あの時に先生がいなかったら
子どもたちは助かったんじゃないか」

遺族の会見。仙台市内の会場は50社以上のメディアで入り切れないほど

 訴状を地裁に提出後、メディアの前で会見に臨んだのは、原告団のうちの8人の父親だ。

 当時小学5年生の千聖ちゃんを亡くした紫桃隆洋さん(49歳)は、こう語る。

「ここ数日、弁護士の先生と何度も何度も話をして、訴状の『はじめに』に思いを込めた。先生たちのことを悪くは言いたくないが、でもやっぱり、あの時に先生がいなかったら子どもたちは助かっていたんじゃないかと思う。

裁判では遺族の間で、子どもの命に値段をつけることについてどうしても違和感があって、何度も何度も話し合った。一律1億円にしたのは、学年や性別関係ないっていう遺族の思いを込めた。裁判は、これからが大変だと思う。遺族は今、みんな体調を崩している」

ずっと遺族の相談に乗り続けてきた、吉岡和弘弁護士。訴訟費用を勘案して、大きな弁護団とせず、斉藤拓生弁護士との2人体制で臨む

 当時小学3年生の健太君を亡くした佐藤美広さん(52歳)は、こう声を詰まらせる。

「なぜ安全である学校で、先生がついていながら、子どもは命を落とさなければいけなかったのか。第三者委員会できちんとした検証報告を待っていたが、叶えることができなかった。最後に残された道は、法廷の場で真実を知ることしかできない」

 また、当時小学3年生の亮太君、当時小学4年生の大介君を亡くした高橋春夫さん(54歳)は、こう訴えた。

「昨夜は興奮して眠れなかった。先生たちはプロのはず。子どものことを守れないのは、やっぱりおかしいっちゃ。

法廷の場で何が正しいのかをはっきりさせてほしい」

県教委の話
「まだ訴状の内容がう不明のため、現時点での具体的なコメントは差し控えます。なお、提訴の内容に関わらず、ご遺族に対してはこれまで通り、誠実に対応してまいります」

石巻市の話
「大川小学校の児童ご遺族の皆様に対しましては、学校管理下で多数の児童が命を失う事故が発生したことの道義的責任を感じ、お詫びを申し上げてきたところです。

 今般、一部のご遺族から提訴を受けたことにつきましては、ご遺族のお気持ちとしては、やむを得ないものと存じます。

 市としましては、過去に経験したことのない大災害の中で発生した事故であることを斟酌しつつ、他方、原告の主張もよく検討の上、真摯に対応してまいります。

 なお、ご遺族との話し合いにつきましては、捜索や心のサポート等も含め、可能な範囲・方法で続けたいと考えております」



◆2月23日に行われた児童遺族7人の父親による記者会見
大川小検証委「最終報告書」に“見切り”
空白の50分を明らかにすべく一部遺族提訴検討へ

◆2月9日に行われた遺族向けの報告会
大川小遺族が検証委に最後の訴え
不十分な最終報告書に「限界」明記を要望

◆1月26日に行われた遺族向けの報告会
大川小検証委、追加調査の可能性も? 
噴出する疑問点を消化できず報告会は持ち越しに

◆1月19日大川小検証委員会「最終報告案」
大川小検証委「最終報告書案」に落胆する遺族
委員長の「ささやかな達成感がある」発言に唖然

大川小学校関係者や地域の方、一般の皆さまからのお話をお聞きしたいと思っています。情報をお持ちの方は、下記までお寄せください。
teamikegami@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)

<お知らせ>
当連載の著者 池上正樹と加藤順子による新刊本『石巻市立大川小学校事故検証委員会を検証する』が、2014年3月11日、ポプラ社から発売されます。

当連載の内容に加えて、最新の動向や、一般的な学校事件・事故の検証委員会を巡る問題点も取り上げています。同検証委員会が、形作られる前の段階から、最終報告書の提出までを追ったルポ。


石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する (一般書): 池上 正樹, 加藤 順子: 本" >Amazon.co.jp: 石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する (一般書): 池上 正樹, 加藤 順子: 本
Amazon.co.jp: 石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する (一般書): 池上 正樹, 加藤 順子: 本


ダイヤモンド・オンラインより
http://diamond.jp/articles/-/49898?display=b


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平安「貞観地震」の9年後に「関東巨大地震」その9年後に「南海トラフ巨大地震」東京五輪の年!古文書-


【重罪】東日本大震災、巨大津波を認識していた原発官僚・東電ら!報道されていれば犠牲者は減った! ー2015年09年9月ー3月11日の2年前!「クビになるよ」と津波対策を封殺──


東日本大震災「 巨大地震・津波の警告」を隠した国、宮城県の責任は重大!知っていれば逃げられた!「仙台平野の歴史津波〜巨大津波が仙台平野を襲う!」「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と1995年に警告を発していた郷土史家がいる。津波襲来は近年中に起こる!その要請を宮城県、仙台市はじめ行政側に示し、その津波襲来は近年中に起こる事を訴えた!


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東日本大震災「 巨大地震・津波の警告」を隠した国、宮城県の責任は重大!知っていれば逃げられた!

2014-03-11 03:37:50 | 地震
東日本大震災「 巨大地震・津波の警告」を

隠した国、宮城県の責任は重大!

知っていれば逃げられた!


歴史学者 飯沼勇義著
3・11東日本大震災・警告の書「近日中、巨大津波が仙台平野を襲う!」1995年、飯沼勇義著


東日本大震災で無念の命を
落とされた数万の御霊に代わって。



☆「仙台平野の歴史津波~巨大津波が仙台平野を襲う!」
☆「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と
☆1995年に警告を発していた郷土史家がいる。
☆津波襲来は近年中に起こる
☆その要請を宮城県、仙台市はじめ行政側に示し、
☆その津波襲来は近年中に起こる事を訴えた。

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さらに、国では

☆原発事故の責任をめぐっては、東電は「想定外の津波」を強調してきた。
☆しかし、 原告らは訴状で、2000年ごろから経済産業省などで
☆津波想定の見直しや対策の検討が始まり、
☆津波の危険性が認識されていたと指摘。



その他、多くの専門家、研究者が予想、警告を

国や地方自治体に警告、訴えていました。

甚大な津波被害にあった宮城県石巻の

私の知人の親類は皆、逃げられました。

知っていたからです。。

親類の個人的地震研究者から、

宮城県に近く巨大地震が来る可能性がある

必ず大津波が来るから、すぐ逃げろ!と

その人は学者さんですが、専門外で個人的研究で

地層など調べ、警告していたのです。

その親類達は、少し馬鹿にしていましたが

『すぐ逃げろ』が頭に残っていて、

すぐ逃げ、全員、その石巻の知人、

親戚は無事だったのです。


宮城県、仙台市も、そして国も東電
原発ムラの経済優先、人命無視の政策が
多くの警告、訴えが、庶民に、隠された。
ちなみに、宮城県には女川原発があります。

国、地方自治体が、少しでも巨大地震の可能性と
【津波が来る、逃げろ】!!と、公表していれば、、。

3・11 【みんなもっと逃げられた!!】
巨大地震・津波の警告を隠した国、県の責任は重大!!

東日本大震災で無念の命を落とされた数万の御霊に代わって。。

3・11東日本大震災・警告の書「近日中、巨大津波が仙台平野を襲う!」1995年、飯沼勇義著|

3・11東日本大震災・警告の書「近日中、巨大津波が仙台平野を襲う!」
1995年、 歴史学者 飯沼勇義著

☆「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と
☆1995年に警告を発していた郷土史家がいる。

☆津波襲来は近年中に起こる

☆その要請を宮城県、仙台市はじめ行政側に示し、
☆その津波襲来は近年中に起こる事を訴えた。

☆平成6年(1995年)9月、私、飯沼勇義は
☆「仙台平野の歴史津波」の著書をまとめ、 全国発売した。

☆著述した要点は、仙台沿岸は歴史津波によると
☆津波の常襲地帯であるということ。

☆この津波は大規模津波となって仙台沿岸を襲うことになる。
☆波高は 十数メートルを超える事になる。

☆背後に山地を抱えている三陸地方と違い、
☆仙台平野に巨大津波が襲ってきたら逃げ場がないので
☆急いで高台を作る必要がある。

☆しかし、中央防災会議の委員の先生、地元の地震、津波の学者さん、
☆行政側 の方々・・・すべての専門家、防災対応すべき人たちに、
☆この本の記述は虚構だといわれ、無視されてきた。

☆然るに平成23年(2011年)3月11日、私の進言もむなしく、
☆遂に東日本大震災が起こってしまった。
☆甚大な被害については周知のところである。

さらに、国、原発ムラでも。。

☆津波による全電源喪失の危険性は
☆遅くとも二〇〇六年までに把握されており
☆「必要な行政指導や改善・停止命令を怠った」と、
☆国に瑕疵(かし)があったと断じている。

☆原発事故の責任をめぐっては、東電は「想定外の津波」を強調してきた。
☆しかし、 原告らは訴状で、2000年ごろから経済産業省などで
☆津波想定の見直しや対策の検討が始まり、津波の危険性が認識されていたと指摘。

☆2006年には原子力安全・保安院(当時)が
☆中心となった勉強会に、東電も参加し

☆「福島第一原発事故の津波に匹敵する津波想定などの
☆危険性が示されている」と、「想定外」の主張を否定している。

☆国策として原子力政策を進めてきた国に対し、
☆原発建設の差し止めなどを求める訴訟はあったが、
☆国の主張は「安全神話」に守られ続けてきた。

「福島返せ」1650人国を提訴 原発事故、東電も【空間放射線量を事故前と同じ状態に戻せ】|happyluckyのブログ

★★★★★★★★★

「仙台平野に巨大津波」1995年に警告本 仙台の郷土史家

河北新報2011年4月5日(火)
……………………………………

飯沼さんによると、慶長津波でタコとともに
打ち上げられたとされる薬師像をまつる蛸薬師
=仙台市太白区長町4丁目

「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と
16年前に警告を発していた郷土史家がいる。

津波の歴史を研究し、対策の充実を訴えていた
仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。

東日本大震災の大津波を目の当たりにし、
「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。

飯沼さんは元公立学校教諭。
教壇に立つ傍ら歴史書をひもとき、
仙台平野を襲った過去の巨大 津波を研究してきた。

869年の貞観津波は国府多賀城の城下を襲い、多数の溺死者を出した。
1611年の慶長津波でも 仙台平野は一帯が冠水。

津波は現在の太白区長町4丁目周辺にまで押し寄せ、
薬師如来をまつる 「蛸薬師」の由来にもなった。

飯沼さんは「仙台平野は180~200年の周期で大津波が起きている。

次の大津波は、いつ来て もおかしくない」と警告していた。

1994年に宮城県と仙台市に対し、3階以上の鉄筋コンクリートビルの建設、
防潮林の充実など対策を講じるよう陳情。

95年には「仙台平野の歴史津波 巨大津波が仙台平野を襲う!」
(宝文堂)を出版した。

飯沼さんは「津波被害が出るのはリアス式の三陸沿岸で
仙台の沿岸に大きな津波は来ない、と いう根拠のない安心感が、
行政にも住民にもあった」と振り返る。

震災後、飯沼さんが出版した本は再評価され、
インターネットには「津波を予言した内容」と いう書き込みも見られる。

飯沼さんが暮らす宮城野区蒲生のアパートも津波で壊滅的な被害を受けた。
身を寄せる避難所 で飯沼さんは
「歴史は繰り返す。震災を教訓に、
津波対策や避難誘導のシステムを早急に構築するべきだ」と語っている。
(神田一道)

作成者 しばけん

河北新報 2011年4月5日(火)
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/asaonet/view/20110405/1302006719


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首都直下”が危ない!!関東大震災70年周期は過ぎて‥‥五輪で浮かれていますが、東南海地震も‥‥

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3月10日(月)のつぶやき

2014-03-11 03:01:54 | 脱原発

映画『遺言 原発さえなければ』監督 豊田直巳さんインタビュー 通販生活® カタログハウス goo.gl/O50fMF

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