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②2月13日、ジュリーにチェックイン!Playlist of Harborland

2024年02月15日 09時18分16秒 | ジュリーにチェックイン!

2月13日、ジュリーにチェックイン!Playlist of Harborland、パーソナリティは田名部真理さん。

yasukoさんからの新宿ACBの思い出、続きです。


ジュリーとザ・タイガースのファンになったきっかけは、クラスメイトが日劇のウェスタンカーニバルでカッコいいグループを見つけたと、大騒ぎしていたのをきき 行き始めました。
時期は「僕のマリー」の後です。たぶん夏か6月頃かなぁ・・ まだGSなんて言葉があったのかな?という頃です。もちろん当時からジュリーの人気は群を抜いていました。
キムタクが束になっても叶いません。

高校3年の夏で、受験生には大切な時期なのに、ジャズ喫茶には、ザ・タイガースの出演の日には必ず行っていました。それも1日に何回かタイガースの出演があれば、全部行っていたように思います。その入場料をどう工面していたのか、今では全く思い出せません。

ピーのファンの友達と2人でほとんど行動していましたが、そのうち四谷の合宿所やテレビ局など、タイガースを追っかけている間に、学校以外の知り合いも増えていきました。ナベプロの公認の私設のファンクラブ「JFC」の仲間とも繋がっていきました。

テレビ局など今のようにセキュリティもしっかりしていない時代で、出入りは自由でした。フジテレビは当時牛込にあり、黒柳徹子さんや大原麗子さんなんかとお話もしました。加藤剛さんと平幹二朗さんには、サインをもらおうとしたお友達が、君たちはジュリーファンだろ、とか言われました。

仲間に大人の人がいたおかげか、ジュリー自身も当時は柔軟で、一緒に写真を撮らせてくださったり、「JFC」で発行していた会報も手渡しで受け取ってくださり、ジュリーから「会報をいつも拝見させていただいてます」なんて、今じゃ考えられないくらいフランクでした。

信じられないくらいの人気になる、ほんの少し前だったのかもと思います。いつからとははっきりしませんが、ジュリー達の人気は 目に見えて膨れ上がって、瞬く間に手の届かない人になっていき、ステージも小さい所には出られないグループとなっていきました。
ACBにも並んだとは思いますが、ヤングメイツに出る頃には徹夜組も出ていました。

タイガースが解散した武道館のビューティフルコンサートは、最前列で見ました。その時の自分の姿が朝日新聞に載りましたが、その40年後のタイガースの再結成の武道館の日に、再び朝日新聞にインタビューを受け、ネット記事になったのは何かのご縁と思います。

解散後のジュリーのPYG時代にもACBに通いましたが、ジュリー以外のメンバーは、なんだか小汚いような印象がありました。
ジュリーがソロ・シンガーになっていた1972年に地元の兵庫県に帰り、今に至っています。』


当時の貴重な振り返りのメッセージ、そして写真も送って頂いて、私は経験していないけれど、一気に蘇ってきた感じがします。
どんな時代だったのか、今度はジュリーの視点で曲で振り返ってみたいと思います。

沢田研二さんで「ACB」

エーシービーと書いて「ACB」お届けしました。
どんな時代だったのかと思い浮かべながらも、でも信じることしか出来ないんだと、現役感タップリのジュリー、カッコいいですよね。

ジュリーラブさん、ふーみんさんからもリクエストをいただいていたり、でもこれは3月26日にかけようと思っているんです。楽しみにしていてください。
振り返りはやってないんです、ライブのそれをやってから、こんな風にすすめていこうかなと、皆と一緒に作戦会議せて下さいよ、まだまだ楽しくやって行きましょう!
以上、ジュリーにチェックイン!のコーナーでした。

(以上です)



 

yasukoさんから、ご家族の方もラジコで放送を聴かれたそうで、娘さんからは『自分が知らない、お母さんの東京時代の話やった』という感想や、息子さんからはさらにGSやフォークの話などを聴かれたそうです。

この年齢になって、記憶のあるうちに形に残せてよかった。他にも資料がないか捜してみます。ということでした。こちらこそ、貴重なお話を有難うございました。

yasukoさんのアルバムから、ACBとウェスタンカーニバル

コメント
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