フロムYtoT 二人に残された日々

私と妻と家族の現在と過去を綴り、私の趣味にまつわる話を書き連ねたいと思っています。

眼瞼下垂の顛末

2021-01-17 23:01:32 | 日記

二か月ぶりの投稿です。

私は2年ほど前に妻からうつされて、ひどいウイルス性結膜炎を患い1週間ほど休みました。それまで年齢からすると視力は驚くほど良好で、年相応に老眼鏡は使っていましたが、これまで眼科の診療は一度も受けたことがありませんでした。

その時に、少し眼圧が高いという診断が出て、持病に糖尿病があるので緑内障のリスクがあるということで定期的な受診を勧められました。それからずっと定期的に眼科受診をしていました。

しばらくして視野検査で異常が現れるようになりました。その後、運転をしているときに、少し視野が欠けていることに気づきました。右目と左目を交互につぶって視野を確かめると、右目の視野が上から3分の1がクモっていることに気づきました。右目を見開くと右目のクモりが消えるのです。

定期健診の時に、

「先生、どうも私の症状は眼瞼下垂かもしれない」というと

「そうかも知れません。形成外科を受診しますか。紹介しますよ」というのです。

その時に初めて知った事実は、眼瞼下垂の手術は形成外科なのだということ。

「眼科じゃないんだ」(よく考えるとそうですよね)

しばらく躊躇していたのですが、意を決して手術を受けることにしました。

診察の結果、右目は重度、利き目の左目は中等度の眼瞼下垂だと診断されました。

「右目だけだとバランスが悪くなるので、両目とも手術をした方がよいですよ」

ということで、両目とも手術をすることになりました。

手術は私の67歳の誕生日ということになりました。

当日、私の手術の執刀医は某大学医学部の教授となり、局部麻酔で意識がある私にとっては手術の経過が手に取るようにわかり、安心して手術を受けることができました。(ありがたい)

当初、1泊2日の入院で職場復帰をしようと考えていたのですが、術後の私の瞼は縄文時代の遮光器土偶のように腫れていて人前に出ることができるような状態ではありません。週末まで休みを頂きました。

週末に長女と長男が子供たちを連れてやってきました。子供たちは私の顔を見るなり固まって、孫たちは言葉をなくしてしまいました。私が話しかけても返事をしません。じっと私を見つめています。たぶんおじいちゃんのようだけど、おじいちゃんとは違うと思っているのだと思います。

私の手術から1か月を迎えようとしています。私の瞼も随分と落ち着いてきました。今は年齢から考えると不自然なくらいキラキラのお目めです。年齢から考えると目だけが若い。妻は私の手術後の経過・顛末を子供たちや友達にラインで拡散しています。(ヤメティー!!!)

妻は私の目の経過にすごい興味を示しています。

「youさん、昔は今のような目をしていたと思う。よかったね」

私は少し恥ずかしいと思いながら、妻の私を思う気持ちに幸せを感じています。

 

 

 

 

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11月の花火

2020-11-09 21:05:26 | 日記

 今日、ブログを覗いてみるとコメントを頂いていました。私にとってこのブログでは初めてのコメントです。時折訪問させていただいているブログの方からですが、私が好感をもって拝見させていただいた方からのコメントで嬉しかったです。ありがとうございました。

 2020.11.01

  11月の花火です。75発、5分弱の花火ですが、一般への周知は一切行わず、医療従事者だけを対象に感謝の気持ちを込めて、地元のテレビ局に打ち上げていただいた花火です。百道浜の浜辺には200名を超えているのではと思える人が集まっていました。たぶん地行浜、豊浜などの博多湾には、今年初めで最後の花火を見物に来ていた医療関係者は少なからずいたと思います。このテレビ局に感謝です。

 このテレビ局はコロナ第1派が静まりを見せるまでの間、テレビ局のテラスから毎週金曜日に私たちの病院にフライディオベーションを続けてくれました。最後の日に我々の病院も医者をはじめとして幹部職員一同がテラスに立って、これまでの激励に感謝の意を込めて、拍手を送りました。看護師の中には涙ぐむものもいました。我々が拍手をすると、テレビ局側がオベーションを返し、それが何度か繰り返されました。私も目頭を熱くしていました。 

 そんな思いを抱きながら、花火がはじけ、夜空に舞う花火の儚さと、心臓を揺さぶるような爆音を体に感じていると、心の中のささくれ立った塊が砕けていくような安らぎを感じました。私たちの病院の医師や看護師や医療専門職もコロナ感染の恐怖と闘いながら、笑顔でコロナと闘っています。本当に感謝です。

 

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ドライブインシアター

2020-11-08 23:13:08 | 日記

2020.10.30

 私の仕事場の近くに地元の放送局が2社あるのですが、その1社から医療従事者の方限定でドライブインシアターを計画しているので、病院の方に来ていただけませんかという案内があって、病院で募集をかけましたが、開始時間が19時からで、病院従事者には観にいくには時間的に難しくて、私の病院からは10人ほどしか集まりませんでした。私は妻と2人で出かけましたが、風が強くて開催が危ぶまれる状況でした。

 作品は「僕のワンダフルジャーニー」という作品で、犬が主人公の物語です。私は学生時代から映画が大好きで、好きな映画のDVDやダウンロード版は数多く持っています。映画が始まって、しばらくは駄作だと思ってみていました。ところが後半になって、はまってしまいました。

 私はもともと涙腺が緩いタイプです。涙をこらえられなくなって、最後にはむせび泣きそうになったのです。妻は私の方を、時々、伺っています。私は妻の前で大声で泣きそうな気分でした。でも、ここで泣いたら妻から揶揄されます。私は幼いころ泣き虫でした。その時に、私に言った母の言葉がよみがえりました。

「youさん。泣きたくなったら、いつまでも泣いて良いトヨ。でも、泣きたくないときは、鼻をつまんで深呼吸すると涙が止まるよ」と言われました。

 確かに、そうすると涙が止まります。

 母は人生の中で、何度も泣き叫びたくなる経験をしたのだと思います。

 

 

 

 

 

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 コロナにつて

2020-11-03 22:03:55 | 日記

 前回の投稿からずいぶん時間が空きました。

 私は医療関係と教育関係の仕事を兼務しているのですが、8月から仕事の中心が教育関係に移り、週の3分2には教育関係の仕事をしています。

 その間、2度発熱をしました。発熱といっても37.5度以内なのですが、医療機関にも所属している私にとって、37.0度を超えるとコロナ検査を受ける必要があります。それで、その都度、コロナ検査は受けました。陰性でした。業種柄、毎朝、体温測定をして仕事に行くのですが、先週、今回は37.8度まで上がっており、とりあえず休みを取ることにしました。たぶん、風邪かなと思って売薬を飲んでいたのですが、次の日も熱が下がりません。発熱外来に電話を入れると、

 「常務、いつから熱があるのですか」

 「昨日の朝からです」

 「37.0以上の熱が出たら、すぐにコロナ検査を受けるのが病院の職員のマニュアルですよ」

 それから、10分以内に病院に出向き、検査を受けました。結果は陰性でした。

 今の状況の中で、私が陽性との判断になったとしたら、何も悪いことはしていませんが、場合によっては地元のマスコミの餌食になることも想定できます。

 

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5人目の孫

2020-10-19 01:21:54 | 日記

2020.10.18 (日曜日)

14日に長男の第3子が生まれ、長男の嫁が入院中、孫2人を預かっていました。

長男の子供たち2人は天真爛漫で、10分ごとに喜怒哀楽をくり返しています。微笑んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、そして、走ったり、跳んだり、叫んだり・・・・。

妻は、いつもより朝早く起きて、2人を幼稚園に送り出す準備をしています。昼間は洗濯や掃除をしても幼稚園のお迎えに出かけます。

孫が帰ってくると、妻の言うことを聞かない孫を、妻は叱ったり、抱きしめたり、抱っこしたり、たべもので-服従させたり、いつもとは違った姿で頑張っています。気疲れしていると思います。(妻の母性には頭が下がります。私のことは、そっちのけで、孫に対する母性を全開にしています。私にとっては、少しだけありがたい・・・・)

 

私と妻の家族は、私たち夫婦を含め13人となりました。

今日、5人目の孫と対面しました。まだ、生まれてから5日目なので、顔は遮光土偶のようですが(ごめんなさい)、時折薄目を開け、首や唇を動かす姿を見て、私は心が熱くなりました。

昨日、長女夫婦がやってきて、孫2人を預けて帰りました。昨夜は、私たち2人と孫4人の6人で夜を過ごしました。まるで修羅場でした。子供たちが走り回り、大声で笑い、泣き叫びます。妻は食事の用意しながら、泣き叫ぶ孫をあやしたり、風呂に入れたり、飛び回り走り回る子供を叱ったり大変です。(私も頑張っているつもりなのですが、私の手には負えません。ごめんなさい。私の言うことは聞きません)

 

時折、私の長女の長女が3人を叱ります。現在小学校3年生なのですが、次は長男の長女の幼稚園年長で4年間が空いています。不思議なことに、我々夫婦が注意しても聞かないのに、長女の長女のSIOちゃんの言うことは聞くのです。

「大声出したらダメヨ」

「走らないで、下の人から怒られるヨ」

 

孫たちがいなくなり、また二人きりで夕食を迎えました。いつもの2人だけの静かな夜です。

「お疲れさん。大変やったネ」

「うん。大変ヤッタケド。楽しかった。でももう少し言うことを聞くと思ったけど、全然聞カン」

「そうヤネ。俺たちも40年前は同じような状況の中で子育てをしていたと思うけど、俺たちの両親はどう感じていたンだろうネ。同じように感じていたのかも知れないネ。今日は疲れているヤろうケン早く寝リイ」

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