フロムYtoT 二人に残された日々

私と妻と家族の現在と過去を綴り、私の趣味にまつわる話を書き連ねたいと思っています。

愛を読む人 2

2024-02-29 23:51:00 | 映画
 本日は午後から義父が入居する施設に備える家具等を選定するために一人で出かけていました。安くてよいものをそろえたいと思っているのですが、三か所を回って、結局決めきれずに帰ってきました。 夕方に入居する施設の責任者がやってきて、入居関連の書類に押印をしました。これで入居が確定です。三月の中旬の入居予定となりました。(義父さん、頑張って・・・・) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  前回の投稿から随分と時間が経ちました。この間に、この作品の原作であるベストセラー小説の「朗読者 The Reader」を再読し、その中でマイケルがハンナに読み聞かせたチェーホフの「犬を連れた奥さん」を読み、ホメロスの「オデッセイア」(概略)などを調べたりしました。私は読み聞かせた小説に何らかの鍵があるのかと思ったのですが、チェーホフの「犬を連れた奥さん」は、日本の明治・大正期の耽美派の小説家が書いた高等遊民を主人公にした、くだらなくて鼻持ちならない小説でした。(中には好きな小説もあります)ホメロスの「オデッセイア」は有名な冒険物語で、今後、読んでみたいと思っています。(長すぎて読み始めるのに勇気がいる)何れにしても、この物語の伏線になるものではないと思いました。単なる先生が学生に課題として与えた物語だと感じました。(間違っていたらごめんなさい)  私はこの映画の完全無修正版DVDを二つ持っているのですが、今回はアマゾンで観ました。私が映画館で観た内容が少し違っていました。2008年の作品ですから私が五十五歳の時に観た作品です。私はこの映画の終章に近い一場面で映画館の椅子からとび上がり、その後割り切れない深い悲しみに、しばらく嗚咽を止められませんでした。アマゾンではその一部がカットされています。 『あらすじ ストーリー』 第二次世界大戦ドイツ。15歳のマイケルは、体調が優れず気分が悪かった自分を偶然助けてくれた21歳も年上の女性ハンナと知り合う。 猩紅熱にかかったマイケルは、回復後に毎日のように彼女のアパートに通い、いつしか彼女と男女の関係になる。ハンナはマイケルが本を沢山読む子だと知り、本の朗読を頼むようになる。彼はハンナのために『オデュッセイア』犬を連れた奥さん』『ハックルベリー・フィンの冒険』『 タンタンの冒険旅行』といった作品を朗読した。 だがある日、ハンナは働いていた市鉄での働きぶりを評価され、事務職への昇進を言い渡される。そしてその日を機に、ハンナはマイケルの前から姿を消してしまうのだった。 理由がわからずにハンナに捨てられて長い時間が経つ。マイケルはハイデルベルク大学法学部に入学しゼミ研究のためにナチスの戦犯の裁判(フランクフルト・アウシュビッツ裁判)を傍聴する。そしてその被告席の一つにハンナの姿を見つけるのだった。 アウシュヴィッツ強制収容所の元囚人の著書には、ハンナはアウシュヴィッツの手前のクラクフ近郊の強制収容所の女性看守の6人の一人として名前が挙げられていた。いったん収容した囚人を「選別し」順次アウシュヴィッツに死の行進」で送った未必の故意による殺人容疑(自分が選別し送れば囚人が殺されることを知ってそうした)と、収容所がある町が爆撃を受け、収容所が火事になっても開錠をしなかった結果300人の囚人が焼死した事件についての未必の故意による殺人容疑(開錠しなければ収容所内に閉じ込められた囚人が焼死することを知って開錠しなかった)が問われた。 公判でハンナは「次々と囚人が送り込まれるから、収容所の容量を考えるとすでにいる囚人をアウシュヴィッツに送るのはやむを得なかった」と証言するが、「すでにいる囚人は死んでもいいと考えたのですか」と判事に反論される。また原告の娘は、ハンナがお気に入りの若い娘たちを夜中に部屋に呼び、物語を朗読をさせていたこと、始めは知性のある親切な人だと思ったこと、病気やか弱い人を助けているように思ったが実は彼らを優先してアウシュヴィッツ行きに選んでいたことを証言し、ハンナの心証は悪くなる。 収容所の火災については、ハンナは「爆撃で混乱している市街地へ、収容所を開錠して囚人を出すことはできなかった」と証言。判事らが火災の報告書の証拠調べに移ると、報告書は6人の看守が共同して作成したものだというハンナの証言にたいして、開錠しなかったのもハンナの指図であったと他の元看守がこぞって証言し始める。判事は筆跡鑑定をしようとハンナにペンと紙を渡すがここでハンナは筆跡鑑定を断り、報告書を自分が作成したこと、自分が開錠しないよう指図したことを認める。 傍聴席のマイケルは、ハンナが自分を含めて人に本を朗読させることを好む一方で、自分が朗読することは拒んだことや、自分がメモ書きで知らせた情報を知らないことで行き違いが起きたこと、鉄道会社の事務職への移動を拒否したこと、さらに筆跡鑑定を拒んだことから、ハンナが文盲であることと、それを隠していることに気付く。マイケルはハンナが文盲であることを裁判官に言うべきか悩み、大学のロール教授に相談するが、ハンナが文盲であることを恥じていることを考えると伝えることはできなかった。裁判でハンナは殺人で無期懲役、ほかの5人の女性看守は殺人ほう助で懲役4年という判決が下される。 マイケルは大学卒業後、結婚し一女をもうけるが離婚する。西ベルリンに移転したマイケルは、ハンナの服役している刑務所に本を朗読したテープを送り始める。ハンナは朗読と、本の文章を照合しながら少しずつ独学で文字を学び、マイケルに手紙を出すようになる。服役から20年後のにハンナ仮出所が許されることになった。唯一彼女と連絡を取っている人物としてマイケルの名が挙がり、身元引受人の依頼が刑務所からマイケルのもとに舞い込む。依頼に応じたマイケルは、ハンナの出所1週間前に刑務所のハンナと面会をしに行く。そこで、出所後の生活の用意がしてあることをハンナへと告げる。出所の日、ハンナは首を吊って自殺してしまう。刑務所へハンナを迎えに来たマイケルはハンナの独房へと案内され、遺書らしき物の うちマイケルにあてたくだりだけを刑務所の職員から読み聞かされる。1995年、マイケルは成人した娘とともにハンナの墓参りに訪れるのであった。 引用 映画.com・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  推察するに彼女は文盲で 、それを恥じていた。加えて推察するに彼女はロマつまりジプシーの出身で。ロマは文字を学ぶことを禁じていた。第二次世界大戦で家族を失い、文盲のまま社会に取り残された。ハンナはそれを恥だと強く思っていた。生きるために文盲を隠しながら生きていた。戦争の悲劇だと思う。ハンナはずっとマイケルを愛していた。マイケルもハンナを愛していた。ただ、歳の差を含め、マイケルを愛することは許されないと自覚していた。だから、最終章につながったのだと思う。この物語は人種差別と戦争の意味を問う作品だと思う。  ハンナが、戦時の収容所での出来事の中で、最後まで文盲であることを隠し、罪を被った後あと、裁判官に、「あなたならどうしますか」と問いかける。裁判官は問いかけに無言のまま、終身刑の判決を読み上げる。マイケルは自分が彼女が文盲であることを言えなかったことについて悩むが、愛すればこそ、ハンナの秘密(文盲)は明かすことができなかったのではないかと思います。  コメントの中にマイケルに対する非難の声がいくつか掲載されていますが、批判的なコメントを掲載されている方に問いたい。 「あなたがマイケルと同じ経験をしたとしたら、あなたならどうしますか」
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愛を読む人

2024-02-18 18:08:47 | 映画

愛を読む人

愛を読むひと 特集: 世界的ベストセラーを映画化した至高のラブ ...

 昨日から熊本にいる末娘と孫が来ていました。我々夫婦にとっては6番目の孫(すべて女の子 )で、二歳の可愛い盛りです。97歳の義父も、普段は昼は寝たり起きたりなのですが、終始テーブルに腰かけて、孫娘を笑顔で見守っていました。私は、やらなければならないことを後回しにする性格が出て、先週持ち帰った仕事があるのですが、末娘が帰った後、仮眠をとって、ブログを更新しています。

 罪悪感はあるのですが、明日一日時間があるので(火・水の二日勤務です)、なんとかなると自分に言い聞かせて、ブログと向き合っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 本日は「愛を読む人」です。この映画の原作は『朗読者』というベルンハルト・シュリンクが書いた私小説で、ベルハント・シュリンクはドイツの法学者(専門公法学)で、ボン大学やフンボルト大学などで教鞭をとる傍ら数多くの小説を執筆し、その代表作とも言える作品が『朗読者』です。 

 監督はスティーブン・ダルドリー。「愛を読む人」は、第81回アカデミー賞に作品賞を含む5部門にノミネートされ、ケイト・ウィンスレット主演女優賞を受賞した。主演女優は当初にコール・キッドマンが予定されていたが、妊娠のためケイト・ウィンスレットが起用され受賞を手にしました。

 ケイト・ウィンスレットは数々の受賞歴を持つ女優です。

 私は1997年の「タイタニック」で彼女を知り、2008年の「愛を読む人」で彼女のファンになりました。彼女は多数の映画で主役や脇役を演じていますが、半分程度は実際に映画館で、またはDVDで観ています。彼女は家族全員俳優という環境で生まれ、自らも俳優として人生を歩んできています。彼女の名演技はやはり血筋なのだと思います。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 もう1時を過ぎてしまいました。

 これ以上夜更かしをするとtakaちゃんに、

「昨日も遅くまで起きとたろがぁ。わかっとうとよ。そうやけん、朝が起きれんかろうが」と詰られます。

 次回は、この作品のあらすじと私の想い、数あるコメントに対する私の意見についてお話をしたいと思います。水曜日ぐらいかな。

 

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映画 「哀愁」

2024-01-25 01:01:20 | 映画

『映画 哀愁』との出会い

  

 出典wiki

 私と映画との出会いは高校に入学してからのことです。洋楽との出会いは中学生の頃題名は忘れましたが、テレビで放映されていたモンキーズが主演のドタバタコメディで流れるDaydream Believerなどの曲や、「シャボン玉ホリデイ」で流れる外国の曲を聴いて、はまってしまいました。その後、「ラヴ・ミー・ドゥ」などの曲でビートルズに出会い、サイモン&ガーファンクル、クイーン、ピンクフロイドなどを聞くようになりました。

  私の家は貧しかったのですが、高校生になったときに、母は、おこずかいを2,500円に上げてくれました。私は地元の三角公園の近くにある、洋画映画館の500円の学生会員に入会して、それから休みの日は月に2~3度、朝から晩まで、映画館で映画を見ていました。料金は学生会員料金で250円だったと思います。    

 その当時の映画館は一回入ったら出るまで同じ料金で、基本的に2作から3作の上映していました。たぶん高校時代の3年間で毎年 70作程度の映画を見ました。

 その後大学に進み、社会人になって、回数は減りましたが,良いと思う映画があれば時には妻と一緒に、時には一人で観にいっています。

 たぶん高校時代に観た映画で私が忘れられない映画の一つがこの映画です。

 この映画の主題歌は「蛍の光」で、私たちが幼いころ別れの詩として記憶しているものです。実はこの曲は「オールド・ラング・サイン」とうスコットランド民謡なんですね。

 日本の「蛍の光」の歌詞はスコットランド民謡の歌詞とは違いますが、私たちの年代の日本人には心に響く歌詞ですね。

この映画は1940の作品ですから、私が生まれる13年前の作品です。

 私がこの映画を見たのは、たぶん高校生の頃です。私は、まだ子供で、家族以外の人間を愛することも、家族以外の人間から愛されることも知らない年齢でしたが、何故かこの映画を見て涙腺が爆発しました。

 それから50年余りの間に何度かこの映画を見ましたが、この作品はいつも私の涙腺を刺激してくれます。

『哀愁』ストーリー

 第二次世界大戦が勃発し、イギリスが参戦した1940年燈火等制下のロンドン。ロイ・クローニン大佐(俳優ロバート・テイラー)はフランスへ赴任するためウォータルー駅へと車を向かわせている。

 物語の主軸は第一次世界大戦での物語であるが、時を経て、第二次世界大戦が勃発した後のウォータールー橋に佇むロイ・クローニン大佐の場面から始まる。駅に近くのウォータールー橋にさしかかると大佐は車を止めるよう指示し、車を降りる。霧に霞む欄干に佇み、出会いから20年以上がたち、初老の紳士となったロイが、ポケットから小さなお守りを取り出し、それを見つめながら過去へと思いを馳せる。

 1917年、彼は当時25歳の陸軍大尉であった。スコットランドの名家クローニン家に生まれ、軍人として第一次世界大戦勃発のためフランスへの出征の途上であった。

空襲のサイレンが鳴り人々はウォータルー駅の避難所へ駆け出す。途中、近くにいた女性が何か落とし、ロイはそれを拾って彼女を追いかけ、共に避難する。

 そこでお守りの持ち主であるマイラ(俳優ビビアン・リー)はロイの幸運を願ってお守りをロイに託す。まだ女学生のような彼女はマイラと名乗った。オルガ・キローワ・バレー団のダンサーなのだ。ロイは彼女の舞台を見物すると、夜食に誘ったのであるが、厳格なキローワ女史はマイラに外出することを禁じた。 

 しかし彼女は親友のキティの助けでぬけ出してロイと会った。翌日、ロイはマイラを訪ねて結婚を申込み、その次の日、式を挙げる約束が出来た。ところがその晩,彼女は速達便を受取った。出発命令が下ったから直ぐ立つ、会いたい、というのである。マイラは飛出して駅へかけつけたが走り行く車上に立つロイの姿を見ただけであった。劇場に急いでもどると、舞台に穴をあけたというのでキローワ女史はクビを申し渡し、マイラの弁護をしたキティも諸共クビになった。

 貯蓄の全部をはたいて結婚衣装を買ったマイラは、ロイからの手紙で、ロイの母に会いに行った。その約束のカフェでロイの殉死の報を新聞で見て卒倒した。それから2ヵ月間マイラは病床にふした。

 マイラは、キティが二人の生活費を稼ぐため、夜の女(娼婦)となっていることを、全快して初めて知って、その友情に泣かされた。そして今やロイ亡きあと何の生がいもなくなったマイラは、自らもキティと同じ道に身を落とした。それから1年、ウォータルー駅でマイラは凱旋して帰ったロイと偶然会った。彼女が待っていてくれたと思って喜んだ彼は、彼女の身の上の変化に気がつかず、彼女をスコットランドの家へ伴った。

 マイラはロイへの愛がすべてである。その他のあらゆる事は関係ないと、自分自身に言い聞かせたが、もしも彼女の1年間の行状が知れれば、ロイの破滅となるに違いないと思い直して、ロンドンへひとり帰ってしまった。ロイはマイラのあとを追ったがマイラは身を隠した。マイラは思い出のウォータルー橋の上に、いつか来てしまっていた。何度考えても彼女は愛するロイに幸福を与えることは出来ないとしか思えない。思いつめたマイラは突進して来る軍用トラックの前に身を投げた。

<映画com引用>

 ビビアン・リーは「風と共に去りぬ」「欲望という名の電車」でアカデミー賞を受賞するなど、数多くの映画や舞台で活躍した女優ですが、やっぱり、この映画が一番心に刺さります。そして大好きな女優の一人として、心に刻みました。

 この映画はアマゾンプライム等で観ることもできますし、ネットでDVDを見つけることもできます。興味がある方は観てください、もちろん白黒映画です。

『ビビアン・リー略歴』

『風と共に去りぬ』(1939)より

本名       Vivian Mary Hartley

生年月日              1913年11月5日

没年月日              1967年7月8日(53歳没)

出生地   イギリス領インド帝国 イギリス領インド帝国・西ベンガル州ダージリン

死没地   イングランドの旗 イングランド・ロンドン・ベルグレイヴィア

国籍       イギリス

身長       161 cm[1]

職業       女優

ジャンル              舞台、映画

活動期間              1933年 - 1967年

配偶者   ハーバート・リー・ホルマン(1932年 - 1940年)

ローレンス・オリヴィエ (1940年 - 1960年)

著名な家族          スーザン・ファーリントン(娘)

出典Wikipedia

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