フロムYtoT 二人に残された日々

私と妻と家族の現在と過去を綴り、私の趣味にまつわる話を書き連ねたいと思っています。

送別会 2

2024-03-28 23:57:39 | 日々の記憶
 昨日のブログで、明日、会社に行って、私が記憶を失っていた時に粗相がなかったか確認しすると言っていましたが、今日、昨日の出席者三人に聞きました。
 ところが三人とも私がちゃんと最後の挨拶をし、他の出席者にエールを送って、自分で車に乗り込んだというのです。しかし覚えていません。ネットで調べると、これをアルコール関連のブラックアウトというのだそうです。
 アルコール関連のブラックアウトは、酔っているときに起こった出来事ついて、記憶が飛んでしまうことを指します。この一時的な記憶の空白は、海馬と呼ばれる脳領域で、短期記憶保存から長期記憶保存への記憶の移動を一時的に阻害する(記憶の固定)のに十分なアルコールを摂取した場合に生じますと書かれています。(要するに酒の飲みすぎが原因)
 takaちゃんにこのことを話すと、
「そんなことどうでもいいヤン。酒の飲みすぎタイ。いい年して、いいかげんにシーヨォ」とまた叱られました。

 さて、今日は五十年近くに及ぶサラリーマン生活の最後の日です。デスクを片付けを終わり事務室に戻りました。私が最後の挨拶をした後、記念品と花束を頂き、集合写真を撮っていただきました。このグループには十八年余り務めました。集合写真を撮った後、エレベーターで地下の駐車場に向かうときに、直近一年ほど企画室という部署で一緒に働いた六十の定年間近の室長と五十代半ばの女子職員が乗り込んできました。
室長が「色々とありがとうございました。体にくれぐれも気を付けて」
女子職員が「私、常務が上司でなかったら、とっくに、この会社辞めていたと思います。常務のおかげです」と言うのです。

 私のサラリーマン生活は今日で終わりです。私は部下に支えられ、前職でも今の職場でも、そこそこの出世をしました。私は、生い立ちもあって上昇志向が強かったと思います。それは100%は実現できなかったのかもしれませんが、良い家族に恵まれ、良い部下に恵まれ、良い人生だったと思います。
 私は自己肯定感が低い人間だと思います。私のサラリーマン生活は今日で終わりですが、これからはそれを克服していかなくてはいけないと思っています。
 私はtakaちゃんが私のことを尊敬していると言ってくれたことを信じて、新たな挑戦をしていかなくてはいけない。
 新たな生きがいを見つけて、それを実践していくことが必要だと感じています。
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送別会

2024-03-27 21:22:05 | 日々の記憶
 昨日は、社長の次男の専務が主催する、私と、私と同じ銀行出身の五十代手前の出向者で銀行に戻る行員の送別会で、九州地区の幹部職員が出席していました。
 おいしい焼肉とワインで送別会は盛り上がっていました。私は、皆さんの私に対する思いやりが胸にしみて、気分が高揚していたのだと思いますが、赤ワインをがぶ飲みしていました。(たぶん私だけで飲んだ量は赤ワイン1本は超えていたと思います)
 それから私の記憶がまだらになっていきました。
 かすかに記憶があるのは、記念品と花束の贈呈を受けた場面、自宅マンションの入り口付近で転倒してしまった場面、マンションの住人の方に私の住む家の階まで送っていただいた場面、takaちゃんに叱責(罵倒?)されながら傷の手当てをしてもらってた場面です。
 以前に私が自分の意識が飛ぶほど酩酊したのは二十年以上前だったと思います。(七十歳も過ぎて、我ながら恥ずかしい)

 takaちゃんは私の惨状をラインで拡散していました。
「なんで子供たちに拡散するとヤ。子供たちが心配するヤロガ」というと、
「ナン言いヨウトネ。子供たち、みんな心配しトッタヨ。(おまえが拡散するからヤロガ) sei(長男)が心配して訪ねてきたの覚えトウト。(覚えていない) マンションのエントランスに血痕と花弁が散ばっていたって言っトッタヨ。記憶が亡くなるまで飲みなサンナ。好カンガァー(そう心がけます)」

 明日、会社に行って、私が記憶を失っていた時に粗相がなかったか確認します。

 

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義父の施設探し 8

2024-03-14 21:27:37 | 日々の記憶
 義父の施設探しを始めてから一カ月余り。今日、義父が施設に入居しました。義父が我が家に来て三カ月近く。施設選びから始まって、施設に入れる家具の組み立てや、電化製品の接続などをして、やっと義父を施設に送る用意ができました。私は私の確定申告や仕事での官庁への提出書類のチェックが捗らず、イライラする自分の気持ちを抑えるのに苦労していました。
 昨日はtakaちゃんが我が家と義父の施設に飾る黄色いラナンキュラスを買ってきていました。また、少し前から私たちの子供に義父の入居施設に飾る写真や色紙を依頼していて、義父に対する温かい言葉と写真を用意してくれていたのです。
 義父に対する鬼娘のtakaちゃんの親子の愛を感じました。
 今日、私が自宅から義父を施設に送るときには、近くにいる長男の嫁と孫娘三人が見送りに来ていて、孫たちがたちが、
「おじいちゃん、またね」「おじいちゃん、元気でいてね」と元気よくお見送りをしてくれました、義父も嬉しそうに手を振っていました。
 施設にはいってから、義父が、
「youさん、いろいろとありがとうね」と言ってくれました。
 私はの自分の両親には親孝行をできたとは思っていません。(ごめんなさい)
 しかし、残された義父を大切にしながら生きていきたいと思っています。
 施設から自宅への帰りがけにtakaちゃんが、
「youさん、色々とありがとう」というのです。
 なんとなく幸せな気分です。でも『もう少し、私にやさしくしてね』と思うのです。

 


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夫婦喧嘩

2024-03-07 23:27:51 | 日々の記憶
 前にもブログで投稿しているのですが・・・・・  私はロマンチストでセンチメンタリストで女々しい。takaちゃんはリアリストで母性本能旺盛で雄々しい。自分で言うのも憚れるが、私は忍耐強くて、上昇志向が強い。takaちゃんは周りにいる子供や孫たちに愛情を注ぐが、上昇志向はほとんど見られず、今を最大限、幸せに生きたいと願っていると思う。  私とtakaちゃんは大学時代に知り合ってから50年、結婚してから45年を経過している。末娘が一人暮らしを始めてから15年以上、週末や祝日に子供や孫が来ることはあっても、日常生活を2人で暮らしている。けんかをすることはあっても長引くことはない。 先日、ちょっとしたけんかで、 「you さん、酒の飲みすぎやろが」 「you さん、隠れてたばこ吸いよろうが」 「you さん、寝るのが遅すぎやろが」  等等、私を詰り倒してきます。(いつものことですが)  けんかの原因は別のところにあるのですが、いつも最後にtakaちゃんは私を責め立てます。  私が、 「俺は生涯お前以外の人を愛したことはない。お前は俺を愛しているのか。愛しているのであれば、俺をそんなことで詰らないでほしい」というと、takaちゃんは、 「私はyou さんのこと、尊敬してるよ]と言うのです。  絶句。私はこんな私のことを尊敬してくれる妻に感謝するとともに、 「愛じゃないんだ」と思いました。でも私を尊敬すると言ってくれる妻に感謝です。 しかし、70歳を超えた夫婦にとって大切なことは愛よりもお互いの思いやり、つまりお互いを理解し、尊敬しあうことが大切なのだと思うのでした。  
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