フロムYtoT 二人に残された日々

私と妻と家族の現在と過去を綴り、私の趣味にまつわる話を書き連ねたいと思っています。

私の病気について 1

2024-02-24 18:35:30 | 日々の記憶

   本日は早朝から、わたしが一昨年の八月まで在籍していた総合病院で、眼科、肝・胆・膵内科、糖尿病内科を半日がかりで受診しました。この病院の立上げ者として、先生たちも私に気を使ってくれます。結果は良好で、受診した結果は、眼科は緑内障で、眼圧は正常で視力も変わりなし、肝・胆・膵内科、糖尿病内科関係は、一時的にγーGTPが300近くまで上昇していたのですが許容範囲の90まで回復していました。

 眼についてですが、私の視力は右が1.2、左が1.5と普通の人よりかなり視力は良いのです。(70歳という年齢から老眼鏡は離せません・・・・)ただし、左目だけを閉じると右目の左目頭から下瞼にかけて黒っぽい影が見えるのです。眼の中心部は影がないので視力検査にはあまり影響がありません。(皆さんも一度片目を閉じて、影があるかどうかを確認してみてください ) また、緑内障の原因は高い眼圧にあるとされているのですが、眼圧が正常でも緑内障になることはあるのらしいのです。(怖い)

 最初は視力の良さを武器に、医者の言うことを気にもしていませんでしが、左目と比較して右目が見づらいということは事実でした。おそらく眼瞼下垂が原因と思い込んで手術もしましたが、それでも少しずつ右目の黒い影は拡大しています。緑内障は突然視力を失うことで知られています。右目はそのうちダメかも。(しかし、97歳の義父が我が家にきてから、我が家の近くの眼科を受診したのですが、その時に初めて義父の左目が失明していることがわかりました。それまで義父は自分の左目が失明していることを知らなかったそうです。実家近くの眼科にも受診していたそうですが、一度も右目が失明していることは知らされていなかったそうです。今でも毎朝必ず新聞を読んでいます????片目だけでもなんとかなるのですね)

 私の家系は糖尿病の家系です。父、母、姉、叔母は糖尿病でした。父と母は九十歳まで生きましたが、姉と叔母は糖尿病が主因で早世しました。私も五十歳を過ぎてから血糖値があがっていきました。六十歳を過ぎると薬を服用するようになりました。その頃は、糖尿病の初期的な状況で、糖尿病関連の薬を数種類処方してもらい、なんとか悪化せずに、その後もインシュリンなどの薬剤は処方されることはありませんでした。

 その後、一昨年の春過ぎから座骨神経痛と思われるひどい腰痛を患い、整形外科を受診したのですが、病名は座骨神経痛とのことで痛み止めの服用とシップで4カ月ほどが経過しましたが、効果は診られず、痛みと闘いながら過ぎていきました。先生が変わって初めてレントゲンを撮っていただき、手術が必要なほど強度の脊椎間狭窄症とヘルニアの合併症が痛みの原因だと診断していただきました。

 その際、服用していただきました神経障害性疼痛薬はよく効きました。加えてリハビリに一カ月通い、リハビリも私にとっては初めての経験でしたが、それまでネットで仕入れた知識で私がやっていたストレッチは間違っており、悪化させるようなストレッチであることがわかりました。やはり専門家が教えてくれたストレッチは効果的だと納得がいき、その時の経験をもとに今でも続けています。時折チリチリと痛むのですが、シップでなんとか抑えられています。先生と相談して、神経障害性疼痛薬も二カ月前からやめています。肝・胆・膵内科の先生も数値が悪くなったらまた来てくださいとのことで、ピーク同時に5診療科のお世話になっていた私が、上部内視鏡と下部内視鏡と脳のMRIもここ一年以内に終わらせていますので、久しぶりに眼科と糖尿病内科の2診療科の受診に戻りました。これは一生付き合っていくのだと思っています。 

 私が「γーGTPの数値が急に上がって急に落ち着いたのは神経障害性疼痛薬の副作用じゃないですか」というと、笑いながら、

 「常務(わたしの旧役職名)、お酒が原因です。お酒を控えてくださいね。これからも・・・」

 名医ですね。

 

 

 

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