さて。
関心ない人にとってはどうでもいいコンテンツかもしれませんが、
先ほど紹介した「みのや雅彦」って誰!? と関心を持たれた方のために
自分なりに紹介してみたいと思います。
みのや雅彦(本名、ならびにCBSソニー時代表記:蓑谷雅彦)
1961年6月23日、北海道苫前郡羽幌町生まれ。
ウィキペディア解説は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%AE%E3%82%84%E9%9B%85%E5%BD%A6
成績不良で、地元・道立羽幌高校で1年留年、1学年下の人間たちと暮らすことに。
その頃、シンガーソングライター・松山千春のコンサートを観て感激して彼に憧れ、
高校時代にSTVラジオのオーディションに参加。
その頃(自分にとって中学・高校時代)の千春は、みのや氏のみならず自分にとっても
まさに“兄貴”だった。
(今の容姿は変わり果ててしまいましたが)
夜明け 松山千春 1979
歌詞:J-Lyric.net
https://j-lyric.net/artist/a001fb5/l005def.html
千春に憧れ、彼を目指して歌手になったエピソードを、彼は「歌」にした。
みのや雅彦 - 「羽幌より~憧れのフォークシンガーへの手紙~」 -
(注:みのや雅彦氏本人でなく、lovesong0818jpさんによるカバーです)
歌詞リンク:「プチリリ」
https://petitlyrics.com/lyrics/909661
→みのや氏の熱唱に近いほどですね。
少なくともみのや氏は、ギターの腕前は確実に千春を超えたと思いますが。
その後、STVラジオの番組などに出演して活躍していたことが契機となり、
1981年11月1日にシングル「白い嵐」でCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)からデビュー。
(なお、同日には白井貴子もみのやと同じレコード会社からデビューしている。)
自身最高のヒット曲は、ドラマ主題歌にもなった「笑えないピエロ」(1983年11月発売/オリコン最高68位/売上数26,620枚)である。
「笑えないピエロ」(新録音)みのや雅彦
その他、大仁田厚に提供し、自身もセルフカバーした「夢しかなかった」も、代表曲である。
デビュー以来、地元・北海道を中心に活動しており、道内各地でイベントやライブを行なう。
今この人の話が聞きたい第2回 みのや雅彦さんインタビュー映像(2012年)
・ブレイクせずに30周年
・人生観が出たニューアルバム『百の言葉 千の想い』
・ラジオ番組でリスナーに思いを届ける
・親孝行で母を道新ホールのステージに上げる
・”寅さん”が理想の存在
公式ホームページ:
http://www.mminoya.net/top.html
公式ブログ「みのやの気持ち 楽しく哀しくよろしく」:
http://blog.livedoor.jp/minoblog/
千春もみのやさんも、酒は控えてタバコは止めて
歌い続けていって欲しいです。
今の音楽シーンを観てると、ふたりの歌を歌い継げる人はだーれもいないので、ね。
ちなみに、みのや雅彦の歌をもっと知りたい方は、まずこちらからどうぞ。
↓
関心ない人にとってはどうでもいいコンテンツかもしれませんが、
先ほど紹介した「みのや雅彦」って誰!? と関心を持たれた方のために
自分なりに紹介してみたいと思います。
みのや雅彦(本名、ならびにCBSソニー時代表記:蓑谷雅彦)
1961年6月23日、北海道苫前郡羽幌町生まれ。
ウィキペディア解説は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%AE%E3%82%84%E9%9B%85%E5%BD%A6
成績不良で、地元・道立羽幌高校で1年留年、1学年下の人間たちと暮らすことに。
その頃、シンガーソングライター・松山千春のコンサートを観て感激して彼に憧れ、
高校時代にSTVラジオのオーディションに参加。
その頃(自分にとって中学・高校時代)の千春は、みのや氏のみならず自分にとっても
まさに“兄貴”だった。
(今の容姿は変わり果ててしまいましたが)
夜明け 松山千春 1979
歌詞:J-Lyric.net
https://j-lyric.net/artist/a001fb5/l005def.html
千春に憧れ、彼を目指して歌手になったエピソードを、彼は「歌」にした。
みのや雅彦 - 「羽幌より~憧れのフォークシンガーへの手紙~」 -
(注:みのや雅彦氏本人でなく、lovesong0818jpさんによるカバーです)
歌詞リンク:「プチリリ」
https://petitlyrics.com/lyrics/909661
→みのや氏の熱唱に近いほどですね。
少なくともみのや氏は、ギターの腕前は確実に千春を超えたと思いますが。
その後、STVラジオの番組などに出演して活躍していたことが契機となり、
1981年11月1日にシングル「白い嵐」でCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)からデビュー。
(なお、同日には白井貴子もみのやと同じレコード会社からデビューしている。)
自身最高のヒット曲は、ドラマ主題歌にもなった「笑えないピエロ」(1983年11月発売/オリコン最高68位/売上数26,620枚)である。
「笑えないピエロ」(新録音)みのや雅彦
その他、大仁田厚に提供し、自身もセルフカバーした「夢しかなかった」も、代表曲である。
デビュー以来、地元・北海道を中心に活動しており、道内各地でイベントやライブを行なう。
今この人の話が聞きたい第2回 みのや雅彦さんインタビュー映像(2012年)
・ブレイクせずに30周年
・人生観が出たニューアルバム『百の言葉 千の想い』
・ラジオ番組でリスナーに思いを届ける
・親孝行で母を道新ホールのステージに上げる
・”寅さん”が理想の存在
公式ホームページ:
http://www.mminoya.net/top.html
公式ブログ「みのやの気持ち 楽しく哀しくよろしく」:
http://blog.livedoor.jp/minoblog/
千春もみのやさんも、酒は控えてタバコは止めて
歌い続けていって欲しいです。
今の音楽シーンを観てると、ふたりの歌を歌い継げる人はだーれもいないので、ね。
ちなみに、みのや雅彦の歌をもっと知りたい方は、まずこちらからどうぞ。
↓