東京新聞 2024年1月10日付記事
「八代亜紀さん死去 73歳「舟唄」「雨の慕情」」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/301708
「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られ、
艶っぽくハスキーな歌声で「演歌の女王」と呼ばれた
歌手の八代亜紀(やしろ・あき)さんが昨年12月30日、
急速進行性間質性肺炎のため死去した。
73歳。
熊本県八代市出身。
葬儀は関係者で行った。
後日、お別れの会を開く予定。
所属事務所によると、膠原(こうげん)病の一種で、指定難病の「抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎」と、
急速進行性間質性肺炎を発症。
昨年9月に病を公表し、芸能活動を休止して療養を続けていた。
中学卒業後に歌手を目指して上京。
東京・銀座のクラブの専属歌手を経て、
1971年に「愛は死んでも」でデビューした。
芸名は出身地の熊本県八代市にちなんで付けた。
1972年にテレビの歌謡選手権を勝ち抜き、
翌1973年に「なみだ恋」が大ヒットを記録。
酒場でしみじみとかん酒をあおる男の心理を歌った1979年の「舟唄」で人気を不動のものとした。
1980年には「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞した。
NHK紅白歌合戦には1973年に「なみだ恋」で初出場。
計23回出場した。
「おんな港町」「愛の終着駅」などヒット曲多数。
ブルースやジャズなど幅広いジャンルを歌いこなした。
2010年には「人の哀感を巧みに描き出す魅力的な歌声と歌唱技術」が評価され、
文化庁長官表彰を受けた。
華やかなルックスと気さくな人柄でCMやバラエティー番組でも親しまれた。
フランスの絵画公募展「ル・サロン展」や二科展で入選を重ねるなど、画家としても高く評価された。
全国の女子刑務所や少年院への慰問もライフワークとしていた。
そんな八代亜紀さんの歌を2曲だけで申し訳ないのですが、
紹介できたらと思います。
カモメの鳴き声を模倣したようなシンセサイザーの音、
苦い別れの歌とR&Bのノリが印象に残りました。
特に自分はBメロの
① 別れ~こーとばが~♪
② その場~かーぎりの~♪
③ あんな~おーとーことー♪ という部分に
変拍子が入るところが特に好きなんですね。
わかります?(笑)
この歌を聴くと、八代さんがトラック野郎の人たちに人気が高かったのがつくづくわかります。
おんな港町(1978・八代亜紀)
Photo Ac
Photo PAKUTASO
歌:八代亜紀
作詞:二条冬詩夫
作曲:伊藤雪彦
編曲:伊藤雪彦
そして、「舟唄」と言えばこの映画でしょう。
舟歌(八代亜紀)① ―映画「駅 station」(1981・東宝映画)より
脚本:倉本聰 監督:降旗康男
「先日、20年以上振りに「駅/STATION」を観た。
おかげでこの歌が頭から離れん・・・。
どうしてくれるの?
健さんよぉ~~~~。
こんな大人に成りたかった。」
@eyan1963 さんのコメント。
「大晦日の夜の居酒屋、
ほとんどの人は家族と家に居るところ、
健さんと倍賞さん。
テレビの紅白から流れる八代亜紀の「舟唄」
――これが演歌に目覚めた原点です。
それにしても倍賞千恵子さんはさくらの先入観が余りに大きく、
オイオイ大丈夫かと思いました。」
@utan3711 さんのコメント。
朝日新聞 2024年1月11日付天声人語 「八代亜紀さん 逝く」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15835382.html?iref=pc_rensai_long_61_article
雪の吹きすさぶ海沿いの小さな町。
高倉健の演じる男が、ふらりと居酒屋に入る。
奥には倍賞千恵子演じるおかみ。
他に客はいない。
「正月も、くにには帰らないのかい?」。
ぽつぽつした会話から、孤独を抱えた者同士だと互いに悟る。
その時、店のテレビから歌が流れてくる
〈お酒はぬるめの燗(かん)がいい/
肴(さかな)はあぶった……〉。
哀切に満ちた声で八代亜紀さんが「舟唄(ふなうた)」をうたわなければ、
映画「駅 STATION」は成り立たなかっただろう。
劇中で3度も流れる。
脚本家が歌の世界にほれぬいた
映画の2人だけでなく現実でも、孤独にさいなまれる時はある。
見えや体面を放り出したい時もある。
「舟唄」は、そんな背中をそばで静かに見守ってくれる歌だった。
口ずさみながら、夜を過ごした人も多かろう
当初は、美空ひばりをイメージしてつくられたものだったという。
だがめぐりめぐって、デビュー9年目の八代さんの手元に届く。
あの情念の宿ったハスキーな声を通じて、
あるべき一人酒のたしなみ方を教わった身としては、運命の気まぐれに感謝せねばなるまい
かねて「歌は誰かの心を表現する代弁者だ」と語っていた。
だからこそ「なみだ恋」や「雨の慕情」などの名曲に、
多くの人が自分を重ね合わせたに違いない。
八代さんが亡くなった。
享年73
都会の盛り場で、どこかの港町で。
弔いの杯が傾けられていることだろう。
よけいな飾りはいらない。
〈涙がポロリとこぼれたら
/歌いだすのさ 舟唄を〉
…寂しいです。
ほんとうに寂しいです。
舟唄(1979) 【公式】八代亜紀ちゃんねる
Lyricist: 阿久 悠
Composer: 浜 圭介
Arranger: 竜崎孝路
歌詞:Uta - Net
https://www.uta-net.com/song/3971/
「高倉健の「駅 station」のなかで、流れたこの曲は忘れられません。
淋しいです。
昭和が消えていきます。」
@user-cl5mx9qs9k さんのコメント。
この大晦日、実家でのテレビは紅白からすっかり離れて
「年忘れにっぽんの歌」なんて見ていました。
高度経済成長期以降の昭和を知る者にとって、
もう紅白はただの ”若者&ニューファミリーのお祭り騒ぎの場” でしかなくなり、
同じように紅白からの避難民が「年忘れにっぽんの歌」を見たはずです。
紅白は21時以降じっくり聴ける歌手群だけを選抜するようにして、
”若者&ニューファミリーのお祭り騒ぎ”なら19時台ニュース後から21時前ニュースまでに集めて
「NHK MUSIC New Year's Eve Festival」と題して放送すればいいんだ。
三山ひろし氏がけん玉ばかりさせられて可哀想だった。
寺尾聰さんは白組に、
薬師丸ひろ子さんは紅組にカウントしても良かった。
・・・まだ視聴率落としたいかい?
謹んで、八代亜紀さんのご冥福をお祈り申し上げます。
----------------------------
訃報はこれだけではなかった。
日刊スポーツ 2024年1月11日付
「演歌歌手の冠二郎さん元日に死去 79歳、心不全 紅白に3度出場「旅の終りに」などヒット」
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202401110000106.html
NHK紅白歌合戦に3度出場し、「セイヤッ」のかけ声で親しまれた
演歌歌手冠二郎(かんむり・じろう)さん(本名・堀口義弘、ほりぐち・よしひろ)が
1日に埼玉県内の病院で、心不全のために死去していたことが11日、分かった。
79歳。
埼玉県出身。
所属レコード会社が公表した。
関係者によると、以前から心臓病や糖尿病の持病があり、
2013年に口腔がん、2019年には虚血性心不全で手術を受けた。
2022年秋には足腰が弱ったことなどもあって入院し、
以来、入退院を繰り返していたという。
容体が急変して今年1月1日午後4時24分に死去。
最期はみなこ夫人とマネジャーにみとられて旅立った。
通夜・葬儀は既に親族で行った。
お別れの会などは予定していない。
◆冠二郎(かんむり・じろう)
本名・堀口義弘。
1944年(昭19)4月23日、埼玉・秩父市生まれ。
1967年に「命ひとつ」でデビュー。
1977年に「旅の終りに」がミリオンヒット。
NHK紅白歌合戦は1991年に「酒場」で初出場し、
計3回出場した。
「みれん酒」「酒場」「炎」「まごころ」などがヒット。
2002年に松尾芸能大賞の優秀賞。
趣味は日本舞踊、書道。
炎(ほのお)
作詞: 三浦 康照
作曲:和田 香苗
歌詞:Uta - Net
https://www.uta-net.com/song/4196/
「演歌界の革命児…合掌」
@jupiter4746 さんのコメント。
・・・あまりに突然で、あまりに後追いのような訃報に、言葉が出ない・・・
2024年1月11日付訪問者数:126名様
2024年1月12日付訪問者数:183名様
お付き合いいただき、ありがとうございました。
「八代亜紀さん死去 73歳「舟唄」「雨の慕情」」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/301708
「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られ、
艶っぽくハスキーな歌声で「演歌の女王」と呼ばれた
歌手の八代亜紀(やしろ・あき)さんが昨年12月30日、
急速進行性間質性肺炎のため死去した。
73歳。
熊本県八代市出身。
葬儀は関係者で行った。
後日、お別れの会を開く予定。
所属事務所によると、膠原(こうげん)病の一種で、指定難病の「抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎」と、
急速進行性間質性肺炎を発症。
昨年9月に病を公表し、芸能活動を休止して療養を続けていた。
中学卒業後に歌手を目指して上京。
東京・銀座のクラブの専属歌手を経て、
1971年に「愛は死んでも」でデビューした。
芸名は出身地の熊本県八代市にちなんで付けた。
1972年にテレビの歌謡選手権を勝ち抜き、
翌1973年に「なみだ恋」が大ヒットを記録。
酒場でしみじみとかん酒をあおる男の心理を歌った1979年の「舟唄」で人気を不動のものとした。
1980年には「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞した。
NHK紅白歌合戦には1973年に「なみだ恋」で初出場。
計23回出場した。
「おんな港町」「愛の終着駅」などヒット曲多数。
ブルースやジャズなど幅広いジャンルを歌いこなした。
2010年には「人の哀感を巧みに描き出す魅力的な歌声と歌唱技術」が評価され、
文化庁長官表彰を受けた。
華やかなルックスと気さくな人柄でCMやバラエティー番組でも親しまれた。
フランスの絵画公募展「ル・サロン展」や二科展で入選を重ねるなど、画家としても高く評価された。
全国の女子刑務所や少年院への慰問もライフワークとしていた。
そんな八代亜紀さんの歌を2曲だけで申し訳ないのですが、
紹介できたらと思います。
カモメの鳴き声を模倣したようなシンセサイザーの音、
苦い別れの歌とR&Bのノリが印象に残りました。
特に自分はBメロの
① 別れ~こーとばが~♪
② その場~かーぎりの~♪
③ あんな~おーとーことー♪ という部分に
変拍子が入るところが特に好きなんですね。
わかります?(笑)
この歌を聴くと、八代さんがトラック野郎の人たちに人気が高かったのがつくづくわかります。
おんな港町(1978・八代亜紀)
Photo Ac
Photo PAKUTASO
歌:八代亜紀
作詞:二条冬詩夫
作曲:伊藤雪彦
編曲:伊藤雪彦
そして、「舟唄」と言えばこの映画でしょう。
舟歌(八代亜紀)① ―映画「駅 station」(1981・東宝映画)より
脚本:倉本聰 監督:降旗康男
「先日、20年以上振りに「駅/STATION」を観た。
おかげでこの歌が頭から離れん・・・。
どうしてくれるの?
健さんよぉ~~~~。
こんな大人に成りたかった。」
@eyan1963 さんのコメント。
「大晦日の夜の居酒屋、
ほとんどの人は家族と家に居るところ、
健さんと倍賞さん。
テレビの紅白から流れる八代亜紀の「舟唄」
――これが演歌に目覚めた原点です。
それにしても倍賞千恵子さんはさくらの先入観が余りに大きく、
オイオイ大丈夫かと思いました。」
@utan3711 さんのコメント。
朝日新聞 2024年1月11日付天声人語 「八代亜紀さん 逝く」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15835382.html?iref=pc_rensai_long_61_article
雪の吹きすさぶ海沿いの小さな町。
高倉健の演じる男が、ふらりと居酒屋に入る。
奥には倍賞千恵子演じるおかみ。
他に客はいない。
「正月も、くにには帰らないのかい?」。
ぽつぽつした会話から、孤独を抱えた者同士だと互いに悟る。
その時、店のテレビから歌が流れてくる
〈お酒はぬるめの燗(かん)がいい/
肴(さかな)はあぶった……〉。
哀切に満ちた声で八代亜紀さんが「舟唄(ふなうた)」をうたわなければ、
映画「駅 STATION」は成り立たなかっただろう。
劇中で3度も流れる。
脚本家が歌の世界にほれぬいた
映画の2人だけでなく現実でも、孤独にさいなまれる時はある。
見えや体面を放り出したい時もある。
「舟唄」は、そんな背中をそばで静かに見守ってくれる歌だった。
口ずさみながら、夜を過ごした人も多かろう
当初は、美空ひばりをイメージしてつくられたものだったという。
だがめぐりめぐって、デビュー9年目の八代さんの手元に届く。
あの情念の宿ったハスキーな声を通じて、
あるべき一人酒のたしなみ方を教わった身としては、運命の気まぐれに感謝せねばなるまい
かねて「歌は誰かの心を表現する代弁者だ」と語っていた。
だからこそ「なみだ恋」や「雨の慕情」などの名曲に、
多くの人が自分を重ね合わせたに違いない。
八代さんが亡くなった。
享年73
都会の盛り場で、どこかの港町で。
弔いの杯が傾けられていることだろう。
よけいな飾りはいらない。
〈涙がポロリとこぼれたら
/歌いだすのさ 舟唄を〉
…寂しいです。
ほんとうに寂しいです。
舟唄(1979) 【公式】八代亜紀ちゃんねる
Lyricist: 阿久 悠
Composer: 浜 圭介
Arranger: 竜崎孝路
歌詞:Uta - Net
https://www.uta-net.com/song/3971/
「高倉健の「駅 station」のなかで、流れたこの曲は忘れられません。
淋しいです。
昭和が消えていきます。」
@user-cl5mx9qs9k さんのコメント。
この大晦日、実家でのテレビは紅白からすっかり離れて
「年忘れにっぽんの歌」なんて見ていました。
高度経済成長期以降の昭和を知る者にとって、
もう紅白はただの ”若者&ニューファミリーのお祭り騒ぎの場” でしかなくなり、
同じように紅白からの避難民が「年忘れにっぽんの歌」を見たはずです。
紅白は21時以降じっくり聴ける歌手群だけを選抜するようにして、
”若者&ニューファミリーのお祭り騒ぎ”なら19時台ニュース後から21時前ニュースまでに集めて
「NHK MUSIC New Year's Eve Festival」と題して放送すればいいんだ。
三山ひろし氏がけん玉ばかりさせられて可哀想だった。
寺尾聰さんは白組に、
薬師丸ひろ子さんは紅組にカウントしても良かった。
・・・まだ視聴率落としたいかい?
謹んで、八代亜紀さんのご冥福をお祈り申し上げます。
----------------------------
訃報はこれだけではなかった。
日刊スポーツ 2024年1月11日付
「演歌歌手の冠二郎さん元日に死去 79歳、心不全 紅白に3度出場「旅の終りに」などヒット」
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202401110000106.html
NHK紅白歌合戦に3度出場し、「セイヤッ」のかけ声で親しまれた
演歌歌手冠二郎(かんむり・じろう)さん(本名・堀口義弘、ほりぐち・よしひろ)が
1日に埼玉県内の病院で、心不全のために死去していたことが11日、分かった。
79歳。
埼玉県出身。
所属レコード会社が公表した。
関係者によると、以前から心臓病や糖尿病の持病があり、
2013年に口腔がん、2019年には虚血性心不全で手術を受けた。
2022年秋には足腰が弱ったことなどもあって入院し、
以来、入退院を繰り返していたという。
容体が急変して今年1月1日午後4時24分に死去。
最期はみなこ夫人とマネジャーにみとられて旅立った。
通夜・葬儀は既に親族で行った。
お別れの会などは予定していない。
◆冠二郎(かんむり・じろう)
本名・堀口義弘。
1944年(昭19)4月23日、埼玉・秩父市生まれ。
1967年に「命ひとつ」でデビュー。
1977年に「旅の終りに」がミリオンヒット。
NHK紅白歌合戦は1991年に「酒場」で初出場し、
計3回出場した。
「みれん酒」「酒場」「炎」「まごころ」などがヒット。
2002年に松尾芸能大賞の優秀賞。
趣味は日本舞踊、書道。
炎(ほのお)
作詞: 三浦 康照
作曲:和田 香苗
歌詞:Uta - Net
https://www.uta-net.com/song/4196/
「演歌界の革命児…合掌」
@jupiter4746 さんのコメント。
・・・あまりに突然で、あまりに後追いのような訃報に、言葉が出ない・・・
2024年1月11日付訪問者数:126名様
2024年1月12日付訪問者数:183名様
お付き合いいただき、ありがとうございました。