北海道新聞 2020年5月17日付「風・論説室から」より
「非常時だから批判を 西山由佳子」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/421672?rct=c_wind
“盗人を見てから縄をなう―。”
大正中期、日本でも猛威を振るっていたスペイン風邪への対処が遅い政府について、
歌人の与謝野晶子は新聞に寄せた一文でこのように酷評した。
根本的な処置をせず、その場しのぎで済ますような政府の対応を「日本人の便宜主義」とあきれもした。
約1世紀の後、新型コロナウイルスへの対応が後手に回っている安倍晋三政権を
かの歌人が知れば、嘆いたに違いない。
感染の有無を調べる検査の件数はなかなか増えず、
首相は「医師が必要と判断した方が受けられるようにしたい」 と2カ月前と同じ答弁を繰り返す。
外出自粛の要請で感染拡大のスピードを抑え、
流行ピークまでの時間を稼いで医療体制を整えたのかと思いきや、
病床確保も防護用具の用意も綱渡りだ。
目の前の支払いにも窮する人がいるのに、
現金給付に複雑で厳しい条件を課そうとしたかと思えば、
全国民への一律10万円給付に急転換して補正予算の成立を遅らせた。
それも“選挙が戦えない”とか“政権が持たない”といった動機が引き金である。
スピード感が重要だというスペイン風邪の教訓が生かされたようには見えない。
ところが、ちまたでは「今は政府への批判を控えよ」という声が上がる。
非常時で国民が心を一つにして協力すべき局面だからというが、
そうだろうか。
緊急事態宣言が発令され、政府や知事に強力な権限が与えられた。
その権限が適切に行使されているかを監視しなければならない。
対策の財源も首相のポケットマネーではなく、私たちの税金である。
非常時だからこそ、納得できないことがあれば注文を付けるべきだ。
そもそも、批判することが相手を攻撃する悪行と捉えられがちな風潮にも違和感を覚える。
臨時休校中の子供の世話で仕事を休んだ保護者らへの収入補償を思い返してほしい。
当初は対象外だったフリーランスも、金額に差はあれども支援を受けられることになった。
批判が出なければ実現しただろうか。
それは10万円給付も例外ではあるまい。
黙っていたら、国民に届くのは布マスク2枚だけだったかもしれない。
今はコロナ対応に集中すべきで、検証は後からすればいいといった意見も聞く。
だが対応が遅れれば医療が崩壊しかねない。
補償なき自粛で収入が途絶えたり、失業したりして自殺に追い込まれる人が増えるかもしれない。
後で検証しても失った命は戻らない。
今なら誤りを正せる可能性がある。
しかも、この政権は検証に欠かせない公文書の管理すら怪しい。
京都大人文科学研究所の藤原辰史准教授(旭川出身)はこう指摘する。
「データを改竄(ざん)したり部下に改竄を指示したりせず、
きちんと後世に残す文書を尊重し、歴史を重視する組織であれば、
ひょっとして死ななくてもよかったはずの命を救えるかもしれない」
(パンデミックを生きる指針―歴史研究のアプローチ)
たとえ検証で失政が明らかになっても、現政権はどう受け止めるだろう。
責任は認めても「取る」とは言わない首相である。
コロナ対応を巡っては「最悪の事態になった場合に責任を取ればいいというものではない」と言ってのけた。
危機に直面した時、政権の本質が現れる。
政治に無関心だった人も、コロナ危機を通じて自分の生活と政治が地続きであることを実感したはずだ。
どんな時であれ、おかしいと思えば声を上げる。
それが主権者である国民の権利であり義務だ。
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シーナ&ザ・ロケッツ 突然雨が降ると
歌詞: 「nana」
https://nana-music.com/songs/42775
↑
作詞家・阿久悠氏とのコラボレーションと、ロンドンでのアナログ録音による
『Rock on Baby』 (1994)に「収録。
「非常時だから批判を 西山由佳子」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/421672?rct=c_wind
“盗人を見てから縄をなう―。”
大正中期、日本でも猛威を振るっていたスペイン風邪への対処が遅い政府について、
歌人の与謝野晶子は新聞に寄せた一文でこのように酷評した。
根本的な処置をせず、その場しのぎで済ますような政府の対応を「日本人の便宜主義」とあきれもした。
約1世紀の後、新型コロナウイルスへの対応が後手に回っている安倍晋三政権を
かの歌人が知れば、嘆いたに違いない。
感染の有無を調べる検査の件数はなかなか増えず、
首相は「医師が必要と判断した方が受けられるようにしたい」 と2カ月前と同じ答弁を繰り返す。
外出自粛の要請で感染拡大のスピードを抑え、
流行ピークまでの時間を稼いで医療体制を整えたのかと思いきや、
病床確保も防護用具の用意も綱渡りだ。
目の前の支払いにも窮する人がいるのに、
現金給付に複雑で厳しい条件を課そうとしたかと思えば、
全国民への一律10万円給付に急転換して補正予算の成立を遅らせた。
それも“選挙が戦えない”とか“政権が持たない”といった動機が引き金である。
スピード感が重要だというスペイン風邪の教訓が生かされたようには見えない。
ところが、ちまたでは「今は政府への批判を控えよ」という声が上がる。
非常時で国民が心を一つにして協力すべき局面だからというが、
そうだろうか。
緊急事態宣言が発令され、政府や知事に強力な権限が与えられた。
その権限が適切に行使されているかを監視しなければならない。
対策の財源も首相のポケットマネーではなく、私たちの税金である。
非常時だからこそ、納得できないことがあれば注文を付けるべきだ。
そもそも、批判することが相手を攻撃する悪行と捉えられがちな風潮にも違和感を覚える。
臨時休校中の子供の世話で仕事を休んだ保護者らへの収入補償を思い返してほしい。
当初は対象外だったフリーランスも、金額に差はあれども支援を受けられることになった。
批判が出なければ実現しただろうか。
それは10万円給付も例外ではあるまい。
黙っていたら、国民に届くのは布マスク2枚だけだったかもしれない。
今はコロナ対応に集中すべきで、検証は後からすればいいといった意見も聞く。
だが対応が遅れれば医療が崩壊しかねない。
補償なき自粛で収入が途絶えたり、失業したりして自殺に追い込まれる人が増えるかもしれない。
後で検証しても失った命は戻らない。
今なら誤りを正せる可能性がある。
しかも、この政権は検証に欠かせない公文書の管理すら怪しい。
京都大人文科学研究所の藤原辰史准教授(旭川出身)はこう指摘する。
「データを改竄(ざん)したり部下に改竄を指示したりせず、
きちんと後世に残す文書を尊重し、歴史を重視する組織であれば、
ひょっとして死ななくてもよかったはずの命を救えるかもしれない」
(パンデミックを生きる指針―歴史研究のアプローチ)
たとえ検証で失政が明らかになっても、現政権はどう受け止めるだろう。
責任は認めても「取る」とは言わない首相である。
コロナ対応を巡っては「最悪の事態になった場合に責任を取ればいいというものではない」と言ってのけた。
危機に直面した時、政権の本質が現れる。
政治に無関心だった人も、コロナ危機を通じて自分の生活と政治が地続きであることを実感したはずだ。
どんな時であれ、おかしいと思えば声を上げる。
それが主権者である国民の権利であり義務だ。
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シーナ&ザ・ロケッツ 突然雨が降ると
歌詞: 「nana」
https://nana-music.com/songs/42775
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作詞家・阿久悠氏とのコラボレーションと、ロンドンでのアナログ録音による
『Rock on Baby』 (1994)に「収録。