東京新聞 2020年3月11日付社説
「3・11から9年 千年先の郷土を守る」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020031102000169.html
牡鹿半島の付け根に位置する宮城県女川町は、東北電力女川原発のある町です。
リアス海岸の岬を巡るとあちこちで、高さ2メートル、幅1メートルほどの平たい石碑に出合います。
「女川いのちの石碑」です。
建てているのは、女川中学校卒業生の有志でつくる「女川1000年後のいのちを守る会」。
今月1日、18基目ができました。
あの日女川町は、最大14・8メートルの津波に襲われました。
人口約1万人のうち、死者・行方不明者は827人に上り、全住宅の9割に当たる約3900棟が被害に遭いました。
東日本大震災の被災市町村の中で、最も被災率の高かった町だと言われています。
◆大震災を記録に残す
震災翌月、当時の女川第一中(2013年に女川第二中と統合して女川中)に入学した一年生は、
社会科の授業で「ふるさとのために何ができるか」を話し合いました。
そして「震災を記録に残す」活動の実践に乗り出すことを決めたのです。
町内に21ある浜の集落すべてに津波は押し寄せました。
それぞれの津波到達点に石碑を建てておこう、
ふるさとの風景に震災の記憶を刻みつけ、千年先まで命を守る避難の目安にしてもらおう-。
街頭やSNSで寄付を募ると、半年で目標額の1000万円が集まりました。
石碑には、警告が刻まれます。
<ここは、津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。
もし、大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください。
逃げない人がいても、無理矢理にでも連れ出してください。
家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください>
◆津波わずかに高ければ
末尾には、卒業生から未来へ贈るメッセージも添えました。
<今、女川町は、どうなっていますか?
悲しみで涙を流す人が少しでも減り、笑顔あふれる町になっていることを祈り、そして信じています>と。
第1号は2013年11月、女川浜を見下ろす母校の校庭に建ちました。
今年中には21基目が完成し、プロジェクトは完了する予定です。
そんな女川町でも、原発再稼働の手続きが最終段階を迎えています。
女川原発は、震源に最も近い原発です。
福島同様、激しい揺れと津波に襲われました。
到達点よりわずかに高い所にあったため、辛うじて難を逃れたにすぎません。
原発の敷地は、大地震の影響で1メートルも沈下しました。
原子炉建屋の壁からは、1130カ所ものひび割れが見つかりました。
震災で、満身創痍(そうい)にされた原発です。
原子力規制委員会の審査を終えて、規制基準に「適合」と判断されはしたものの、
とても安心とは言えません。
規制委も安全だとは言いません。
「あと30センチ津波が高ければ、福島と同じになったと思います。
原発に絶対の安全はなく、ふるさと喪失のリスクが付きまとう。
福島の教訓です。
再稼働を許すとすれば、これからも多大なリスクを、しょっていかねばならんのです。
住民の命を預かるものとして、そんなことはできません」
原発から30キロ圏内にある宮城県美里町の相沢清一町長は、
再稼働にきっぱりと「ノー」を突きつけます。
「目の前に、現実の課題が山積みです。
風化だなんてとんでもない。
(放射性物質をかぶった)稲わらひとつ、処分できない。
避難計画をつくれと言われても、なかなか答えが見つからない。
高齢者はどうなるか?
複合災害が起こったときは?
途中で風向きが変わったら?
隣町から逃げて来る人たちは?…。
(国や東北電力は)何をそう急ぐのか」
東北の被災原発を再稼働に導いて、「復興原発」にしたいのか。
原発は安全です、ちゃんと制御(アンダー・コントロール)できていますと、五輪を前に世界へアピールしたいのか。
いずれにしても、
原発のある風景や暮らしの中に刻み込まれた震災の痕跡を、見過ごすことはできません。
風化を許してはいけません。
その一つ一つが、未来ではなく、今を生きる私たちへの「警告」になるはずだから。
◆ふるさとを奪わないで
女川いのちの石碑には、震災直後に生徒たちが詠んだ句を一句ずつ刻んでいます。
原発に近い塚浜の公園に立つ13番目の石碑には、こんな句が添えられました。
<故郷を 奪わないでと 手を伸ばす>
この痛切な願い、忘れるわけにはいきません。
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2020年3月12日付訪問者数:246名様
お付き合いいただきありがとうございました。
「3・11から9年 千年先の郷土を守る」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020031102000169.html
牡鹿半島の付け根に位置する宮城県女川町は、東北電力女川原発のある町です。
リアス海岸の岬を巡るとあちこちで、高さ2メートル、幅1メートルほどの平たい石碑に出合います。
「女川いのちの石碑」です。
建てているのは、女川中学校卒業生の有志でつくる「女川1000年後のいのちを守る会」。
今月1日、18基目ができました。
あの日女川町は、最大14・8メートルの津波に襲われました。
人口約1万人のうち、死者・行方不明者は827人に上り、全住宅の9割に当たる約3900棟が被害に遭いました。
東日本大震災の被災市町村の中で、最も被災率の高かった町だと言われています。
◆大震災を記録に残す
震災翌月、当時の女川第一中(2013年に女川第二中と統合して女川中)に入学した一年生は、
社会科の授業で「ふるさとのために何ができるか」を話し合いました。
そして「震災を記録に残す」活動の実践に乗り出すことを決めたのです。
町内に21ある浜の集落すべてに津波は押し寄せました。
それぞれの津波到達点に石碑を建てておこう、
ふるさとの風景に震災の記憶を刻みつけ、千年先まで命を守る避難の目安にしてもらおう-。
街頭やSNSで寄付を募ると、半年で目標額の1000万円が集まりました。
石碑には、警告が刻まれます。
<ここは、津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。
もし、大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください。
逃げない人がいても、無理矢理にでも連れ出してください。
家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください>
◆津波わずかに高ければ
末尾には、卒業生から未来へ贈るメッセージも添えました。
<今、女川町は、どうなっていますか?
悲しみで涙を流す人が少しでも減り、笑顔あふれる町になっていることを祈り、そして信じています>と。
第1号は2013年11月、女川浜を見下ろす母校の校庭に建ちました。
今年中には21基目が完成し、プロジェクトは完了する予定です。
そんな女川町でも、原発再稼働の手続きが最終段階を迎えています。
女川原発は、震源に最も近い原発です。
福島同様、激しい揺れと津波に襲われました。
到達点よりわずかに高い所にあったため、辛うじて難を逃れたにすぎません。
原発の敷地は、大地震の影響で1メートルも沈下しました。
原子炉建屋の壁からは、1130カ所ものひび割れが見つかりました。
震災で、満身創痍(そうい)にされた原発です。
原子力規制委員会の審査を終えて、規制基準に「適合」と判断されはしたものの、
とても安心とは言えません。
規制委も安全だとは言いません。
「あと30センチ津波が高ければ、福島と同じになったと思います。
原発に絶対の安全はなく、ふるさと喪失のリスクが付きまとう。
福島の教訓です。
再稼働を許すとすれば、これからも多大なリスクを、しょっていかねばならんのです。
住民の命を預かるものとして、そんなことはできません」
原発から30キロ圏内にある宮城県美里町の相沢清一町長は、
再稼働にきっぱりと「ノー」を突きつけます。
「目の前に、現実の課題が山積みです。
風化だなんてとんでもない。
(放射性物質をかぶった)稲わらひとつ、処分できない。
避難計画をつくれと言われても、なかなか答えが見つからない。
高齢者はどうなるか?
複合災害が起こったときは?
途中で風向きが変わったら?
隣町から逃げて来る人たちは?…。
(国や東北電力は)何をそう急ぐのか」
東北の被災原発を再稼働に導いて、「復興原発」にしたいのか。
原発は安全です、ちゃんと制御(アンダー・コントロール)できていますと、五輪を前に世界へアピールしたいのか。
いずれにしても、
原発のある風景や暮らしの中に刻み込まれた震災の痕跡を、見過ごすことはできません。
風化を許してはいけません。
その一つ一つが、未来ではなく、今を生きる私たちへの「警告」になるはずだから。
◆ふるさとを奪わないで
女川いのちの石碑には、震災直後に生徒たちが詠んだ句を一句ずつ刻んでいます。
原発に近い塚浜の公園に立つ13番目の石碑には、こんな句が添えられました。
<故郷を 奪わないでと 手を伸ばす>
この痛切な願い、忘れるわけにはいきません。
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お付き合いいただきありがとうございました。