戦後70年ということで、久ぶりにテレビでは、戦争の関する番組が多かった。
残された白黒写真を解析し、色をつけたり、動画に変えたりして、
原爆投下直後の広島を再現したNHKなど力作も多かった。
アイドルが戦争体験を聞くも(見なかったけど)それなりによかったんじゃないかな。
私は、(何度目かだけど)「火垂るの墓」を改めて観てみた。
改めてというのは、「感涙なし」で観てみた。
多くの人が観ていると思うが、もちろん、兄弟が(特に節子が)かわいいので、
よけいにかわいそうで、2度目に観たときは、最初に節子が登場してから
すでに涙があふれたものだった。
でも、今回、高畑勲がどんなことを訴えたかったのか、自分なりに迫ってみたいと思った。
今回、特に感じたことは
(最初に観たときから印象に残っていたこと、多くの人が同じ感じを持っただろう)
「まわりの人たちの冷たさ」である。
ファーストシーンの駅員は、子供の死体を「汚いわ。」「恥だわ。」とゴミ扱いする。
せっかく診てもらった医者は、子供の栄養失調に無関心、
畑泥棒をあんなになぐる農家の人
そして、何より、一番観客の心に残るキャラクターであるいじわるなおばさん。
みんな、まわりの大人(子供も)非情な人として描かれている。
亡くなった愛川欣也さんが、子供時代の疎開生活を振り返って、
「嫌で嫌でしょうがなかった。食糧難の所に子供がいっぱい都会から来て歓迎されるはずがない。」と
語っていたのが印象に残っている。
そう、高畑監督は、戦争が奪うもの、世界を、人々の心を、凍らせていくものとして捉え直しているのでは
ないだろうか。
戦争に美談や美徳なんてない。
駅員も医者もあのおばさんも平時だったら、子供の空腹に、子供の死に、心を痛ませる心の持ち主であるはず。
そんな人の心も、社会からも温かさ、人間らしさを奪っていくのが戦争の本質なのだとつくつけているのだと思う。
美談の戦争話は危ない、怪しい!(永遠に・・・・)