「社会外之社会」その12
〈津田きみの事例－自由になるまで〉
津田きみ女、自由を得たり
頃日来読者諸君の深き同情に浴したる津田きみ女は一昨夕を以て全く楼主との関係を絶ちて、純然たる自由潔白の少女となれり。
去二日、彼女の逃れて本社に来るや、本社は此の少女に救護を与ふると同時に、かの玉宝来楼なる者に一書を郵送して、きみ女を救護するの旨趣を通知し、一方には彼女の故郷に向て彼女に関する諸般の偵察に着手し、其の資料の集まるを待ちて社会に法廷に一義戦を開くべき準備せり、過日来本紙に掲げたる記事の如きは、其の開戦前に於て聊か諸君の注意を惹かんと欲せしに過ぎざるなり、然るに玉宝来楼事千葉幸古は人を介して弁護士黒須竜太郎氏に依頼し、平和にきみ女を引渡さんことを申込み来れり、楼主にして平和を切望するに於ては、きみ女に関する一身上の問題に就きては他に言ふべきものなし、依て本社は一昨夕を以て楼主の依頼に応じ示談を終了せり。
楼主はきみ女が負へる十円の借金をば抛棄すべしと言へり、本社は元来此の如き負債の正理に背き公道に違へる者なることを信ず、故に之を法廷に争ふ場合には明白に之を主張すべしと雖も、今や楼主の示談に応ずるに当りては、兎に角きみ女の父母が楼主より受取りたる金円を皆済することは後日きみ女をして心に一点の疚しきことなからしむる所以なるを信じ、即ち彼女の為めに金拾円を千葉幸吉に返却せり。是れによりて津田きみ女は全く不義の拘束より脱離して、清浄無垢の身となれり。
楼主は本社か返済せる十円をば、更ためて之を彼女に贈与せんことを言ひ出でたり、熱れ其此の如き金円を受けて為めに小恩を担ふことは、是れ亦た彼女の将来に向て報恩の重荷を負はしむる所以なることを思ひ、断然之を謝絶せり。（出典 谷川健一編『近代民衆の記録3 娼婦』新人物往来社 1971年6月10日 154頁）
〈津田きみの事例－その後〉
今日のきみ女
彼女に熱き同情を寄せ給へる紳士淑女諸君に向て彼女の現状を報告するは本社の義務ならん。
去る二日の夜は社員の自宅に一泊せり、本社は彼女の将来を思ひ、此の怜悧にして可憐なる孤女の為めに、良き保護者を選び、即ち翌朝彼女を伴ひて、芝区金杉浜町に赴き之を東京婦人矯風会頭なる潮田千勢子に托せり、潮田氏は賤業に陥れる女子、賤業に陥らんとする女子を救護する為めに、かねてより『慈愛館』の事業に尽力せらるゝ人なれば、喜で彼女を引受けられ、爾来きみ女は清雅優美なる同氏の家庭に起臥し、日夜同氏令嬢等の膝下に読書勉学しつゝあり。
一昨夕示談落着を告ぐるや、社員は走せて之を告げ、且つ世上慈善家諸君の厚情を寄せ給はることを伝へしに、彼女は涙を流して歓び謝せり。
潮田氏は婦人矯風会の手によりて彼女を養成し、活ける事実を以て世上に警醒を与ふるの時を造らんと楽しみ居らる。
彼女に就て世の注意を乞はんと欲する事多ければ尚ほ之を次号に記るさん。（上掲 155頁）
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