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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その30

〈暴落した日本軍の軍票(1945年8月25日)〉
 
 
 やがて易家湾駅へつくと、ここには野戦軍事郵便局があって、兵隊たちが持つ軍票を回収するため、通過する部隊にたいして預金をすすめていた。私たちもそれぞれ何がしかの預金をしたが、その後の苦しい俘虜生活を思えば、せめてこの金でラーメンの一杯でも皆で食べればよかった、と悔やまれた。   
 
 二、三日前に私たちが衡陽へ到着したころには、すでに日本軍敗戦の情報は住民たちの末端にまで知れわたっていた。軍票の価値は日に日に暴落し、ラーメン一杯が二万、三万という状態になっていた。それでもまだ日本軍が完全武装のまま駐留していたので、かろうじて通貨として通用してはいたのだが、三億円という多額の軍票をトラックに積んで前線から引き揚げてきた朝鮮人慰安所店主などは、この金の処置に困っていた。   
 
 八月二十五日、私たちはこうした状況のなかで易家湾へ到着したのである。わずか二、三日のあいだに軍票は通貨としての価値をほとんど失墜しており、軍票以外の通貨をわずかしか持たぬ私たちは、食料品の調達にほとほと困りはてた。新しくひらいた憲兵隊から五十メートルほど離れた道ばたに、一軒の小さな中国人食堂があったが、軍票では一杯のラーメンもこころよく売ってはくれなかった。そこで私は、このおやじには悪いと思ったが、窮余の一策で謀略手段を用いることにした-。   
 
 
 あなた方は日本軍が引き揚げたら軍票はまったく無価値になるものと思っているようだが、それはとんでもない認識不足だ。軍票とはいってもこれは軍が勝手に印刷して使っているのではない。これはすべて日本政府が責任をもって発行している立派な通貨なのだ。したがって近い将来、日本政府は額面通りの金貨と交換することになっている。軍票が下落している今こそ、できるだけたくさん手に入れて保存することが、巨万の富を手に入れる近道なのだ。この道理はあなたほどの方ならわからぬはずがないだろう。駅前の日本軍野戦郵便局で、兵隊さんがさかんに預金している風景を見て知っているでしょう。あれは軍票に価値がある証拠で、兵隊たちは帰国と同時に軍票と同額の日本円を手渡されることになっているんです-。   
 
 私がこのようなもっともらしい説明をすると、おやじは目を皿のようにして聞いていた。そして、「憲兵さんがおっしゃることだからまちがいないでしょう。うちでは喜んで軍票を使ってもらいます」ということになった。   
 
 易家湾へついて三日ほどたつと私たちの携帯してきた食糧は早くも底をついた。なんとかして米を手に入れなければならないが、民は軍票では一握りの米も売ってはくれなかった。やむを得ず私たちは数キロはなれた農村へ徴発に出かけた。今までここにいた日本軍が厳しい徴発行為をしていたものらしく、民は私たちの姿を見ると一目散に追げ去ってしまった。人っ子一人いないでは売買の交渉をする相手もいない。民には悪いと思いながらも、私たちも生きるためにはやむを得ぬのだ、と勝手な理屈をつけ、それぞれ何がしかの金をその場に置き無断でいただいて帰ったのである。民の米びつも乏しかった。それでも数軒まわって当座の食糧を手に入れたのだが、徴発行為とはいえこれはなかば掠奪に等しかった。たとえ憲兵だからといっても敗戦の今はこうするより生きのびる手はないのだ、と思うとやけに悲しく、うしろめたさを感じずにはいられなかった。(256-257頁)
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