高橋のブログ

不定期に..

「それでも走りたい」を読み終えて

2014-04-16 06:24:55 | 日記

少し時間が空いてしまいましたが、ニッポンランナーズ会員.大木さんが著した書を読み終えました。
会員の梅田さんがFacebookで紹介してくれました。

大木ご夫妻は、通っていたスポーツクラブで出会い、市民マラソン等が縁でご結婚されるも、奥様が癌と闘病の末、他界。
結婚生活はわずか数年。闘病中も、奥様はマラソンへの情熱を絶やさなかったという話です。

大木さんは、一般企業の営業職のようです。書全体の表現能力はストレートなものが多く、確かにプロ作家の作品群と比べると、
当然ながら素人さを感じますが(私だって同様)、大木さんの本人の心を偽りなく吐露したように思えます。

もし私が大木さんのお立場だったら、ここまで奥様への愛を公に出来るかな?と思うほどです。

私は大木さんの奥様にお会いしたことはありません。ただし前に書いたように2004の北海道マラソンでは、
私と奥様はほぼ同タイムでゴール。当時はゴールは中島公園内でしたから、きっと極めて近くを一緒に走っていたと思います。


また書で長野マラソンの競技後のお疲れパーティーにも触れていて、奥様とシモン選手のツーショット写真も掲載されています。
私もこの時はシモン選手と一緒に撮影したわけで、この会場でもご一緒していたわけです。
この時の「長野」のタイムは私とはだいぶ異なりますが、でも同じコースを走ったということ。

奥様はある会社の社長秘書を務めていて、日々遅くまでお仕事。
大木さんとの交際中に悪性の卵巣癌が見つかり、治療に入ります。卵巣の摘出。奥様、お辛かったことでしょう。

大木さんは励まし、サポートします。体調も戻りかけます。

そういう状況下で第1回東京マラソンに二人とも当選。見事、完走されます。

この第1回は雨は降るわ、ゴール後は荷物はなかなか受け取れないわ、大混乱になった大会。悪天候の下、よくお二人走られたと思います。



そしてご結婚。帰宅後は、ご夫婦お互い疲れているでしょうけど、家事を分担しながら楽しく生活。
休日は二人で手を繋いで、あちこちに散策されていたようです。新婚旅行はウィーンとプラハ。

病気が治ったと思いきや、癌は再発、転移。奥様は数回の手術、再び副作用が強い抗がん剤治療にも耐え、戦います。
髪の毛も抜けました。

癌は肺にも転移、最後には脳にまで影響を与えてきました。
奥様は洋服が一人で着られなくなったり、お化粧にも関心が薄くなり、また、何かと怒っているような感情にもなり、
大木さんは、戸惑います。しかし、彼女の病気を絶対治す!という気持ちは更に強くなっていきます。

奥様はついに脳の麻痺によって車いす生活へ。足が自由に動かなくなったのです。
意識が正常な時は「車いすでパラリンピックを目指す!」と、大木さんに語りかけます。その再起への強い想いには、私も圧倒されました。

この書でのクライマックスは私は転院の部分だと思います。治療をしてくれていた病院から業務縮小で転院を促される部分。


大木さんは紹介状を携えて、奥様の今後を診てくれる病院を探します。しかし、どこも受け付けてくれない。
他の病院で手術した患者だから診てくれないのか!と大木さんは激怒します。
最後に行き着いた病院も、最初は受け付けてくれず。大木さんは、ここで見放されては!と懸命に訴え、ようやく入院が許可されました。

この部分は、奥様への愛というより、末期癌患者の転院についての日本の現状を感じ取れました。似たような方が少なくないのかもしれません。


奥様は脳の転移で、感情等が少しおかしくなる時があったようですが、意識が正常な時もありました。

大木さんは、その時に「いつもの彼女」に会えたと喜びます。しかし、その「いつもの彼女」に戻る場面が日増しに減っていきます。
いつものように大木さんが見舞って、家に戻る時に、奥様は大木さんといつものように手を繋ぎました。
その日は、その時間が長かったようです。そして、その後は意識は戻らず。永眠。

仕事ももっとバリバリやりたかったことでしょう。そしてまだまだ走りたかったと思います。たとえ1kmでも走りたかったはず。
奥様はあの2004北海道マラソンで初サブ4をしたのです。
当時は正午過ぎにスタート!気温30℃近いあの真夏のフルマラソンで初サブ4!という走力なら、練習を積めば、
必ずや国際大会にも出られたかもしれません。

そして何より、ご主人である大木さんともっと長く時間を共有したかったこでしょう。

突然の癌発覚で、人生のコースは大きく変化し、無念に終わりましたが、それでも奥様は大木さんに出会えなかったら、
マラソンの楽しさを感じ取ることはなかったでしょう。

絶対、また走りたい!という気持ちが、進行する癌をしばらく留めたのは間違いないと思います。

最愛なる奥様を失って、しばし放心する大木さんでしたが、少し落ち着きを取り戻し、この書を著したり、
何か社会貢献できるはずと、積極的に行動を起こすようになったようです。

いつも大木さんの心には奥様がいます。奥様は癌治療がどんなに辛くても弱音を吐かなかった....。
大木さんには、お仕事、マラソンを含め、最高のコーチかと思います。辛い部分に出遭っても投げ出すわけにはいかないでしょう。

大木さんには申し訳ないのですが、奥様は私の心にも入ったように思えます。
それはあくまでマラソンのコーチとして。私は「長野」しっかり走りますよ!!

なかなか大木さんにお会いする機会がないのですが、またニッポンランナーズ佐倉練習会、あるいは大会で
ご一緒出来ることを楽しみにしています。大木さん、今度、ガチで競争しましょう!!

本はこちら




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