高橋のブログ

不定期に..

【新交響楽団 第239回定期演奏会を聴く】

2017-10-09 07:44:06 | 日記

2017年10月8日(日)14時開演
指揮:湯浅卓雄
東京芸術劇場コンサートホール

早坂文雄 左方の舞と右方の舞
黛敏郎 曼荼羅交響曲
ホルスト 組曲「惑星」

邦人作品演奏にも積極的な新響ですが、今回も素晴らしい演奏をしてくれました。
早坂、黛共に、私はレコード、CD等で曲は聴いていますが、実演に接したのは初めてです。
早坂の代表的な作品である「左方の舞と右方の舞」では、管楽器の名手も多い新響ゆえ、
とても鮮やかな演奏に聞こえ、CDでは、やや白黒の世界を感じていた私でしたが、とても色彩豊かに感じることが出来ました。Trbのグリッサンド等もお見事。


早坂は戦前にホルン協奏曲を書こうとするも、未完に終わったという話を聞いたことがあります。着想で終わったのか、それとも途中まで書き上げていたのか?
オーケストレーションは??等、関心があるのですが、よくわかりません。もし書き上げていたら、どんな曲だったのでしょう?

早坂は渡欧歴もなかったと思います。この「左方~」も初演は1942年。まだ西洋音楽を模索している時代でもあったわけで、
その中でよくぞ、ここまで見事な管弦楽曲を作り上げたものだと改めて感動しました。


次に曼荼羅交響曲。私は今回の演奏会のメインはこの曲だったように思えます。早坂作品が終わって、配置転換になるわけですが(休憩には入らない)、
まぁ、いろいろと動かすこと(^^;)、
しかも紙等を見ずに、テキパキと譜面台、椅子等をあちこちに移動する(これが複雑な配置なのです)新響スタッフを見てびっくりです。

その配置ですが、指揮者の左にチェレスタ、ほぼ、真正面にハープ、右にピアノ。弦楽器群は少し指揮台から離れて左右配置。
Tp等の金管は雛壇1段め、後ろに木管という特異な感じ。

CDでは当曲は知っていましたが、まさかこんな配置だったとは!驚きです。曲目解説は団のフルート奏者がお書きになっていましたが、
これが非常に読み応えのある内容でした。

西洋音楽が「純粋な調和」を目指すも、20世紀になってそれが崩壊したことに対し、日本の音楽は、昔から「明らかな意図によって」、微妙にピッチをずらし、
それが時に荘厳な音楽を作り上げてきて、その音楽は20世紀になっても生き続けている..といった話で、非常に感銘を受けました。

黛さんといえば、「鐘」の分析も有名ですが、西洋の鐘は連打だが、日本は1つの鐘の音色を余韻も含めて楽しむ..という話を、生前の「題名のない音楽会」で
説明していたのも思い出しました。一つの鐘(正確に梵鐘)ですが、そこから聞こえてくる音色は様々な不規則な音程なわけで、それが黛の代表作「涅槃交響曲」に繋がり、
次作のこの「曼荼羅」になったのかもしれません。

この特異なオーケストラ配置も(この配置でないと)、梵鐘の独特な響きは出せなかったのでしょう。
またCDではよく聞き取れなかった「音の数々」を今回の演奏で多数見出せたように思えました。

しかし難曲です。新響だから演奏できた!そういう印象でした。

演奏がラストに向かっていくと少しずつ照明が落ちていき、最後はホール内、完全に真っ暗(これは譜面に書いてあるのか?あるいは指揮者の解釈なのか?わかりませんが)、
心が空っぽになったというか、洗われたというかそういう心境になりました。


後半は「惑星」。「火星」を聞き始めるや、ホルストには大変失礼ですが、「曼荼羅」に比べ、なんと安い音楽なんだろう??って思いましたが、聴き入っているうちに
曲というよりは新響のアンサンブルの高さに感銘。

「天王星」は少し騒ぎ過ぎかな?と思うほど(ショスタコヴィチのような..)。また、ある金管が1拍早く出てしまうという部分もありましたが、底力を感じました。
解説を読んで初めて知ったのですが、冒頭のTrbによる4音が作曲家の名前を表すという説もあるとのこと。

「惑星」は全体にテンポが早く、また曲間の休みも短く、それも驚き。
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