村山先生に言われて一瞬戸惑った。
まだまだバンカラなイメージが強い時代である。
旺文社模擬テスト結果が出ていた。
専修大学あと一歩届かずレベルだった。
数年後急に国士舘の偏差値が上がるが
当時はまだウェルカムだった。
親父に話してみた。
反対するかと思ったら問題なかった。
親父は戦時中は東大工学部にいたが
運動は銃剣をやっており
国士舘大学大講堂で合宿の経験もある。
「いいじゃないか」
という事で方向決定。
おかげで肩が軽くなった。
これで受験気張らずに済む。
極真の動向が気になっていた。
なにしろ
第一回世界空手道選手権大会はもう来月。
「日本が負けたら腹を切る」
と館長が言いきっているのだ。
とにかく気になっていて勉強どころではなかったからだ。
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