二人目
ハイキックが上手い黄帯だったが警戒して前に出てこない。
「見てたって相手は倒れないぞ」 真樹先輩の一喝。
すぐ打ち合いになった。
俺の左そでをつかみながら右へステップ
左ハイを出そうとしたのだろう
左へステップ、俺の回転右後ろ蹴りが黄帯の右わき腹を捉えた。
ドンッ!。 一本である。
「止め!。 村田~、あまり練習に来てないのに強くなったな!」
三人組手ラスト
なんと毛利先生である。
毛利先生(本名 安部)は同じ横浜一商の同期である。
茅ヶ崎にある真樹先輩の家でも稽古をつけてもらっていて
ヨーロッパでも大会に出場
のちに芦原カラテの流れを組んだ誠英学舎を立ち上げるのだ。
しかし当時はまだ発展途上
「村田!ムキになるなよ」と真樹先輩に釘を刺された。
冷静に捌いて1分キチンとこなして1分終了。
こうして無事五級に昇級した。
心技体絶好調、ある意味一番強かった時期かもしれない。
「万一、ウチの緑帯が他流の二段にやられたら道場を閉める」
と大山館長が言われていた時代である。
一歩手前だが嬉しかった。
この後 紆余曲折 黒帯を取るまでに23年かかるのだが。
その間(いやさ今でも)
「実力極真五級です」と答えるのは
卑屈ではなく自信があるからである。
これからもいろいろあるだろうが
「力なき正義は無能なり」
真理だと思う。
『頑張って稽古続けなければな』
この気持ちは還暦前の今でも変わっていない。
もっともこの時は
『さて、九州に報告に行かなくちゃな』
という気持ちの方が強かったが(笑)。
ということで ここでペンを置く次第。
押忍!
2カ月もの間 おつきあいいただきありがとうございました。
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