独学日記

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風塵抄

2024-09-19 16:56:23 | 日記

大村益次郎についてかかねば。

 

と考えているうち、司馬遼󠄁太郎のエッセイ、「風塵抄」を手にとる。独学する人間にとって、眩い文章がならぶ。以下、中公文庫版から引用。

 

「学問をするというのは、かがやくような心構えがいる。まず、子供が一定の好みのもとにものを収集するように、できるだけ多くの知識を記憶せねばならない。記憶するだけでは、学問にはならない。知識群を手がたい方法で分析し、また独自の仮説をうちたて、あたらしい理論を構築しなければならない。」58頁

 

目の覚めるような文章だ。そうだ、ただ集めるだけではいけないのだ。

 

「もっともこんにち、外国語の塾はあっても、漢学塾や日本古典の塾、哲学の塾、経済概論や法律概論の塾はなさそうである。しかし社会に需要があればやがてできるにちがいない。」59頁

「師を得なければ、図書館に四、五年通うのもいい。文科系の大学で教養として学ぶことは、本を読むことで十分である。」59頁

 

学ばねば。

 

 

 

 

 

 


大村益次郎

2024-09-17 19:25:42 | 日記

先月、礫川全次さんの「独学の冒険」を読み、歴史の独学を始めた。47歳にして。

 

「独学の冒険」では、独学者にすすめる百冊の本が紹介されている。そのなかの本を、ぽつぽつ読み、勉強する日々である。今日から絲屋寿雄「大村益次郎」を読み始める。

大村益次郎については、

①日本陸軍の創設者

②司馬遼󠄁太郎「花神」の主人公

というくらいの知識しかもっていない。

「花神」を読んだのは二十年以上前になるので、内容もほとんど覚えていない。一から勉強しなくてはならない。

 

「大村の幼年時代のことはおよそ詳らかでない」(4頁)と絲屋は書いている。おそらく僻地の田舎の餓鬼大将であったろう、と。

 

他の本では大村の子供時代はどう書かれているのだろう。そう思い国会図書館デジタルコレクションで調べると、伝記が何冊か見つかった。やはり、日本陸軍の創設者だけはある。

 

「大村益次郎」著者・佐山咲平 学習社 昭和17年

「大村益次郎」著者・和田政雄 講談社 昭和15年

など。

和田政雄の描く少年・大村益次郎は獰猛である。荒々しい。太平洋戦争へ向かおうとしている日本の精神を表しているのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「独学のすすめ」をよむ

2024-09-16 17:26:22 | 日記

たまたま、本棚にある加藤秀俊「独学のすすめ」を読んでいたら、次のような文章にであった。

 

「アメリカの心理学者に、D・マクレランドという人がいる。」39頁 ちくま文庫からの引用。

 

河原宏の本で批判されていたマックレランドの事だろうか。おそらく同一人物だとおもわれる。

加藤秀俊はマックレランド(マクレランド)の思想に肯定的である。マックレランドの著作、「達成動機」について加藤はこう書く。以下、「学問のすすめ」からの引用。

 

「この書物は、かなり大きな本だが、その要点をかいつまんでいうと、およそ社会が生き生きと活気をもっているときには、かならずそれに並行、あるいは先行して、その社会を構成する人びとがつよい「達成動機」をしめした時期がある、という一種の歴史心理学なのである。「達成動機」とはなにか。それは、わたしたちの日常言語に置きかえていえば、「やる気」ということである。なにごとかを成しとげてやろう、という積極的な気がまえのことである。そういう「やる気」が根源になって、社会は発展し繁栄する、というのがマクレランドの学説なのだ。」39〜40頁

 

河原宏には「前傾的な思考」と見えたものが、加藤秀俊には、「すばらしいもの」に見えているのだ。河原の言う、戦後の日本人の「怨念」は、加藤にはおそらく見えていない。

 

 

 

 

 

 

 


河原宏をよむ・続き

2024-09-16 16:18:33 | 日記

河原宏「漂白する現代人・現代日本の心情と生活」を読んでいる。

 

敗戦後、日本の復興のエネルギーとなったものはなにか?河原は「怨念」だ、と言う。

 

「一人一人の日本人が自己の後ろに背負っているものはなにか。それはある種の怨念であろう。鎮められることのない怨念は、行動の一つのエネルギー源たりうる。このような行動は憑きであり、憑依である。こういってしまえば実もふたもないが、戦後経済成長も実は日本人が背後に背負う怨念にもとづく憑依の行動の成果だったのではないか。」12〜13頁

幕末の開国から太平洋戦争までの近代日本の歴史も、このような「怨念」に貫かれていると河原は言う。

「よかれ悪しかれ百数十年間、鎖国しながら太平の眠りをまどろんだ日本人が、心の底から開国を歓迎して受け入れたのではない。ましてやそれはペルリ艦隊の威圧の下に行われたのである。このことは、日本人の心の底に深い怨念をひそませることとなった。」14頁

 

筆者の幕末、明治時代のイメージは司馬遼󠄁太郎からもらい受けたものが多い。つまり、「明るい明治」。司馬史観、とも呼ばれるものだ。だが、河原の語る「怨念を背負っている明治」のほうが、なぜだかリアルに迫ってくる気がする。

 

 

 

 


河原宏をよむ

2024-09-15 18:45:06 | 日記

日本の政治学者、河原宏の「日本人の戦争」を読み、感銘を受けた事をふと、思い出した。2008年、講談社学術文庫から出たものだ。

恥ずかしながら、内容はあまり覚えていない。だが、良い本を読んだゾ、という感触だけは残っている。

国会図書館デジタルコレクションで、彼の著作を読む。「漂白する現代人:現代日本の心情と生活」という作品だ。1974年、学陽書房。

この本で河原は、ハーヴァード大学の心理学教授、デヴィット・C・マックレランドの提唱する概念、''メンタル・ビールス"(成就の欲求)を批判し、こう書く。以下、引用。

 

「…マックレランドのいう近代化のメンタル・ビールスとは成就であり、達成であり、獲得である。そこには暗黙のうちに、人間とは将来のある一点に、なんらかの形の目標を定め、それに到達しようとして努力をするものだ、という前提がある。いいかえれば、人間は前に目標があるから前進するのだという前傾的思考方法である。近代化や経済成長の推進力も当然このような考え方によって説明される。この考え方は、人間観としては合理的ではあるが、比較的単純なものだと思う。少なくとも日本人の経済成長に対する心理的動因はより屈折したもののように思われる。簡単にいえば、日本の場合、戦後経済成長の真の動因は、未来に掲げた目標にあるのではなく、過去にあるのではないか。前にあるのではなく、後にあるのではないか。成就ではなく、解消ではないのか。獲得ではなく、脱出ではないのか」

12頁から引用