大村益次郎についてかかねば。
と考えているうち、司馬遼󠄁太郎のエッセイ、「風塵抄」を手にとる。独学する人間にとって、眩い文章がならぶ。以下、中公文庫版から引用。
「学問をするというのは、かがやくような心構えがいる。まず、子供が一定の好みのもとにものを収集するように、できるだけ多くの知識を記憶せねばならない。記憶するだけでは、学問にはならない。知識群を手がたい方法で分析し、また独自の仮説をうちたて、あたらしい理論を構築しなければならない。」58頁
目の覚めるような文章だ。そうだ、ただ集めるだけではいけないのだ。
「もっともこんにち、外国語の塾はあっても、漢学塾や日本古典の塾、哲学の塾、経済概論や法律概論の塾はなさそうである。しかし社会に需要があればやがてできるにちがいない。」59頁
「師を得なければ、図書館に四、五年通うのもいい。文科系の大学で教養として学ぶことは、本を読むことで十分である。」59頁
学ばねば。