SYUUの仕事部屋:ものづくりの世界のしくみをもっと深く知ろう!

製造業(メーカー)の仕事の仕組みをご紹介しています。

市販品メーカーへの道2・カバレッジ拡大策

2024-02-25 11:22:19 | 888私の履歴書ー仕事編-

(よみうりランドジュエルミネーションより    2023年12月19日撮影)

 

ということで、市販品メーカーへの道がスタートしました。

 私が補修品営業部に赴任した時はすでに一部スタートしていましたが、あくまで、自社で製造していた部品だけでのビジネスでした。
 目指すは既存の市販品メーカーと最低でも同じレベルのカバレッジ(品揃え)、可能ならそれ以上100%以上のカバレッジでした。
 以来、「カバレッジ」の合言葉のもと、カバレッジ拡大作戦が展開されました。

 営業部門では全く新人ですが、社内の身分が上ということで、私の下に年上の部下が2人付きました。それと、新しい部品の設計が必要なため、所属はあくまで設計部でしたが、2人の専任がついて、カバレッジ拡大チームは5人でスタートしました。

 全ての自動車メーカーとの取引があれば、カバレッジ100%はかなり楽なのですが、実際は限定されたメーカーとしか取引がなく、まずは何点のカバレッジが必要かの調査からスタートしました。
 その方法は、ライバルのカタログを入手して、自社のアイテムで消し込んで、消せなかったアイテムが新規カバレッジが必要、と判断する単純なやり方でした。その結果、実に新規開発が必要なアイテム数は1,000点ほどと、気の遠くなるほどの点数でした。

 1,000点ものアイテムは一挙にそろえられません。そこで、以下の4区分で品揃えを行うことを方針として立てました。

  • 主要車種(販売台数の多い車)の部品は自社設計する。(内製の投資をしても採算性が確保できること)
  • 品質重視の上から、主要車種以外の部品は、純正品メーカー(ライバル部品メーカー)から可能な限り純正品を調達する。
  • ①、②にて調達が難しい部品は、やむを得ず市販品メーカーからの調達も検討する。当然、品質の確認は十分行う。
  • 特殊、また非常に旧式の車種で、売上がほとんど期待できないアイテムは、カバレッジ対象外とする。

 この区分の結果、4区分でのアイテム数は、ほぼ同数でした。①社内生産となるため、主に設計グループの仕事になります。つまり、われわれ調達グループの最初の仕事は、純正部品メーカーとの取引です。つまり、自動車メーカーへの納入という点ではライバルメーカーとの交渉ということになります。購買手続きが出来れば大丈夫といった簡単な話ではないのです。

 そんな難しい仕事がいきなり始められることになりました。

 

 今日はここまでです。続きは次回に!

 

(つづく)

 

 

 


市販品メーカーへの道1

2024-02-18 09:28:59 | 888私の履歴書ー仕事編-

(よみうりランドジュエルミネーションより    2023年12月19日撮影)

 

 何故私が、補修品営業部に呼ばれたか?それは「購買の知識」つまり、物の購入を営業部門でもすることになったためです。

 では、それは何故か?以下、お話していきます。

 答えを一言で言えば、純正品メーカーであると同時に、市販品メーカーにもなるためです。

 前回お話したように、自動車用の補用品(修理用の部品)には、自動車メーカー自身が販売する純正品とそれを模倣して製造販売する市販品とがあります。
 私の会社は、自動車メーカーへの部品供給を行っていましたから、当然純正品の納入を行っていたのですが、同じ部品を市販品メーカー―にも販売していたのです。
 つまり、全く同じ部品でも自動車メーカーからは純正品として、市販品メーカーからは市販品として販売されていたことになります。
 見方を変えて、市販品メーカーの立場になってみると、自社ですべての部品を製造するよりも、自動車メーカーに納入している部品メーカーから、純正品と同じものが調達できれば、その分製造の手間が省けることになります。そこで、こう言った取引が成立していたわけです。

 実は、こう言った取引が成立している理由には、部品メーカーの立場に立つと、全く同じ部品でも、その納入価格は、自動車製造用部品価格<純正品価格<市販品価格という関係にあるのです。つまり、市販ルートが一番利益率が高かったのです。
 したがって、市販ルートの強化は会社として重点施策の一つであったのです。しかし、市販品メーカーへの販売を増やすのは、他力本願で簡単ではありません。
 そこで、取られた対応が、自らが市販品メーカーなることだったのです。

 ということで、市販品メーカーへの道がスタートすることになったのです。

 とは言え、市販品メーカーで成功するのは単純ではありません。特に重要なのは、まずは「品揃え」(商品カバレッジ)です。
 マーケティングの上で、販売ルートの確保も当然重要ですが、これまで顧客であった市販品メーカーと対抗するためには、それらのメーカーと変わらない品揃えが無ければ、ビジネスを続けることが難しいのです。
 そこで取られた手段は、市販品メーカーと同じ手法をとることでした。

 つまり、自社で全て製造するのではなく、他の部品メーカーから購入することです。つまり、ここで購入手続きが必要となり、それを購買部門でするのではなく、営業の部門内でも可能なように社内手続きの変更が行われたのです。

 ということで、営業に購買業務の専門家を、となって、私が呼ばれたわけです。

 

 本日はここまでです。続きは次回に。

 (つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


営業時代:補修品営業部

2024-02-11 09:59:48 | 888私の履歴書ー仕事編-

(よみうりランドジュエルミネーションより    2023年12月19日撮影)

 

 当時営業部は東京の神田にありました。神田というと下町の雰囲気もありますが、事務所は大手町にも近いビル街の一角にありました。川崎の本社時代もありましたが、都心の事務所ということもあって、何やらやっと上京したという気分でした。

 山梨の独身寮から、横浜の独身寮に出戻り、横浜から神田への通勤がスタートしました。

 いわゆるサービス残業が当たり前だった時代ですから、実際の勤務時間は変わりがないのですが、営業部門は本社や工場と違い、出勤時刻が30分遅く、既定の勤務時間も少なく、そんなことも、何か特別の部門ということも感じたものです。

 さて、今日は所属した「補修品営業部」とはどんな部門か、紹介しておきたいと思います。

 先にもお話したように、自動車部品を主力とするメーカーで、私の所属した部門も自動車部品の販売担当の部門でした。
 自動車部品ですから、お客様は当然自動車メーカーということになるわけです。納入さられた部品は、自動車の製造に使われることになります。
 しかし、補修品営業部で扱う部品は、その「補修品」という用語のとおり、車の生産に直接使われる部品ではなく、車が故障した場合などの修理用に使われる部品を扱っていました。したがって、納入先も自動車メーカーの工場ではなく、一般的に部品センターといわれる場所になります。つまり、納入した部品は、部品センター→カーデーラー→修理工場といったルートをたどって使用されることになります。
 つまり、デーラーに修理の車を持ち込むと、このルートを通って、必要な部品は修理に使用されるわけです。このルートを「純正ルート」使われる部品を「純正品」と呼びます。

 一方、デーラーでなく、町の修理工場に直接持ち込んだ時は、このルートで部品が修理工場に届けられることもありますが、別のルートがあります。それを一般的に「市販ルート」、使われる部品を「市販品」と呼びます。
 ここで市販品とは純正品を模倣して造られた部品のことで、その製造メーカーは市販品メーカーと呼ばれます。製造された部品は自動車メーカーに納められることはなく、市販品メーカー→自動車部品卸店→自動車部品小売店→町の修理工場のルートで、修理用にのみ使われるわけです。
 例えば、プリンターのインクで「純正品」と「純正相当品」とがありますが、自動車部品の市販品も、この「純正相当品」にあたります。当然、市販品は純正品より価格が安く、町の修理工場では、修理費を少しでも安くするため、市販品を使用することが多いのです。

 説明が長くなりましたが、補修品営業部では、これらの2つのルートのメーカー、つまりは、自動車メーカー(純正品)と市販品メーカー(市販品)を顧客にして販売をする部門となります。

 ということで、この補修品営業部に私は所属することになったのです。つまりは単純には営業マンになったことになるのです。
 しかし、私がこの部門で必要になったのには「購買業務の知識」だったわけで、単に販売だけなら、私は不要なまずです。

 では、それはなぜか? 話が長くなりましたので、続きは次回に!

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 


転籍

2024-01-28 10:05:31 | 888私の履歴書ー仕事編-

(よみうりランドジュエルミネーションより    2023年12月19日撮影)

 

 メーカー勤務の27年半の中で、山梨工場での勤務は2年間と短いものでした。しかし、強い印象を残した2年間でした。

 その後の仕事の大きな手段となったコンピュータによるシステム化の方法を学んだこと、素晴らしい上司に巡り会ったこと、仕事以外でも、同年配の仕事仲間も多く、楽しい2年間でした。

 しばらく山梨も訪れていませんが、一度ゆっくり遊びに行きたいと時々思います。工場もどうなっているか見てみたいですね。独身寮から歩いて数分の所に小さな商店街がありました。レコード屋さんもあって、そこで買ったレコードを今も持っています。さすがにお店はもうないでしょうね。

 そんな山梨工場を去る時が来ました。

 本社の部長からは、少しの間勉強をして来いと送り出されたので、当然本社に戻るものと思っていましたが、結果は違っていました。営業に行くことになったのです。
 詳しくは、次回にお話ししますが、山梨工場は自動車部品の工場でしたから、営業も自動車部品の担当でした。しかし、私の行った営業は新設された特殊な部門でした。

 どうして、本社に戻らず、営業に行くことになったのか、どうやら上司の働きかけによるものだったようです。面談があったわけではありませんが、上司との雑談の中で、私の今後について話をしたことがありました。その時に、『工場は日々の変化があって面白い』といった内容のことを話した記憶があります。上司はそれを『本社は面白くない』と私が思っていると判断したようです。

 新設された営業部門では購買の知識が必要な業務があって、そのために購買部門から人を出す必要があったようです。その人材に私が向いていると上司は判断して強く推薦したようです。
 後で、本社の資材部に挨拶に行った時、苦々しい顔で部長から、ともかく仕事の段取りをつけたら戻って来いと言われましたが、結局、購買部門に戻ることはありませんでした。また、転籍した営業の部長からは、どうしても私を欲しいと懇願して実現したということでしたから、この転籍は結構もめたようです。

 とにもかくにも、1978年(昭和53年)12月に山梨工場調度課から、営業部門への転籍となりました。

 

(山梨工場時代:終わり)

 

 

 

 

 


上司交代

2024-01-21 11:48:06 | 888私の履歴書ー仕事編-

(よみうりランドジュエルミネーション・噴水ショーより    12月19日撮影)

 

 山梨工場勤務から1年ほどで上司の課長が交代となりました。新しい課長は購買部門内ではなく、他部門からでした。

 このため、購買業務の手続きについては、私が教える立場となりました。もっとも、新しい上司は室伏さんと言いましたが、この室伏さん、私の社会人人生では、仕事上の先生の一人として、尊敬する存在となりました。

 上司は、元は設計部門に所属し、見積業務を担当していました。ここで言う見積とは、製品の原価を算定する業務をさしています。会社としての利益計画の基となる原価を算定する重要な業務です。
 部品費や組立費用などを集計することで、一つの製品の原価が計算されることになります。このため、購買部門と見積部門は仕事上の繋がりがあり、見積部門からは部品単価の問合せがありますし、購買部門も新規の購入部品については、事前に見積部門に予定価格を聞いておいて価格交渉の参考にもします。交渉で予定価格を下回れない場合は、見積部門の承認が必要にもなりました。

 本社の資材部にいた時に当時の室伏さんとのやり取りが多かったのですが、特に、「原価低減プロジェクト」が出来、二人がそのメンバーに入った時には原価算定の方法など詳しく教えていただきました。
 すでにご紹介の生産管理マニュアルにも「原価管理」の説明がありますが、この内容のかなりの部分は、この時の室伏さんからの教育の結果でもあるわけです。

 それと、上司になってから教えられたことは「仕事は誠実に!」ということです。
 上司と部下としての山梨工場での直接の関係は、結果として1年だけだったのですが、その間に忘れられないことが一つあるのです。それは外注との関係でした。

 ある外注からの納入部品に不良が発生したのです。組立時にその部品が割れるという不良です。しかし、納入部品を図面と照合すると図面の指示どおりです。したがって、図面上は不良ではないのです。
 このため、外注より再納入させ、テストしてみましたが、やはり組立で割れてしまったのです。
 こうなると、外注は力関係でどうしても、不利になります。社内の各部門からは購買に圧力がかかります。「外注先」の変更要求があったのです。私もしかたがないと思っていました。
 しかし、新上司の対応は違っていました。「図面どおり出来ているので不良ではない」と突っぱねたのです。これも、後のテストで分かったことですが、図面指定の材料に問題があったのです。材料変更で問題は解決したのです。
 さらに、上司は社内稟議を書いて、不良となった部品代も外注での在庫分も含めて買い取る処理をしたのです。
 今の時代なら、下請法の厳しく適用される事案ですが、もう40年近い昔のこと、まだまだ下請けいじめが当たり前の時代でしたから、他の上司なら、なあなあで済ませてしまった事案だった気がします。

 「誠実な仕事」、その後の私はそうできたかは甚だ疑問ですが、何か問題があると、同じような事案ではなくてもこのことを思い出すようにしていました。

 

 

(おわり)