(昭和記念公園のチューリップ 令和4年4月12日撮影)
1971年6月、大学4年の私は、庶務課のテーブルの上に無造作に積まれた就職案内の山の前にいました。
当時、私が通っていた大学は、現在は松本市の「あがたの森公園」となっている場所にありました。その校舎は、旧制松本高等学校時代のものをそのまま使用しており、現在もあがたの森公園に講堂など一部の建物が保存されています。
そんな古い建物の暗い庶務課で、特段の就職希望ももたない一人の男が、特段の基準もなく、3社の就職案内を選びました。
当時の就職状況は、高度成長期ということもあって、いわゆる売り手市場でした。それもあってか、今のような活発な就職活動は皆無と言って状況でした。大学での就職説明会やサポートも全くない時代でした。単に、『就職案内書をどうぞご覧ください!』程度だったわけです。そんな雰囲気もあって、4年生同士での情報交換もなく、選んだ3社の就職試験を受けることになりました。もっとも、地方の大学、大企業への就職はよほど成績優秀でないと難しく、『〇〇が三菱商事に合格したらしい』などのうわさも伝わってきて、そのことは、就職試験で十分に知ることになります。
選んだ3社はいずれも自動車部品メーカーでした。漫然と『メーカーが安定していていかな?』という思いがあった気がします。うち2社は、地元の愛知県、1社は関東(本社川崎)のメーカーでした。漫然と地元で就職という気持ちがありましたが、これも漫然と、という程度で、ともかく、就職をまじめに考えていなかったことだけは確かでした。
(つづく)