皆さん。さようなら。
枯れた噴水で落ち葉が舞うような、平坦な戦場で私達が生き延びる為に足掻く無様な様子を、直視すればよい。
要望と現実をすりかえてはならない。無いものはあくまで無いのだし、欠けているものはあくまで欠けているのだ。率直に先ずそれを凝視することから始めるべきだ。
つまらない新聞を読んで「なんて近頃はくだらないんだ!」と言った時代もあったろうが、最近の読者はこう言う。「なんてくだらない新聞なんだ!」と。
テレビは、何もすることがない人々に、何もすることができない人々を見せるための装置である。
人々はお金で貴いものは買えないという。そういう決まり文句こそ貧乏を経験したことのない何よりの証拠だ。
賢い人は、よく考えるからしゃべる暇がない。愚かな人は、よくしゃべるから考える暇がない。
テレビという娯楽は、数百万人の人々に同じ冗談を聞かせながら、それでいて各人を孤独のままに置く。
地獄への道は、善意で舗装されている。
この街では誰もが神様みたいなもんさ。居ながらにしてその目で見、その手で触れることのできぬあらゆる現実を知る。何一つしない神様だ。
メディアの連中が傲慢なんじゃありませんよ。メディアそのものがそもそも傲慢なんです。
世の中砂糖菓子でいっぱいだ。そんなものばかり見てたら、脳が腐ってヨーグルトになっちまうぜ。
現場を知らない企画屋ほどやっかいなものはない。
素人が3だと哀願し、評論家が5だとわめいても、2+2はこの先もずっと4である。
問題の定義と分類なくして事実を知ることはできない。データを知りうるのみである。問題の定義と分類によってのみ、意味あるデータ、すなわち事実を知ることができる。面白いが関係のないデータから解放される。
倉敷美観地区の陶芸店に勤務しております。書痴で音痴で方向音痴な甘い物好き。好きな音楽のジャンルはプログレ。得意技は投げっぱなしジャーマンです(色々な意味で)。
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