宣伝美術家TOMのブログ [1000-B]

宣伝美術家TOMの日常・演劇・デザイン・カメラなブログ。

2017年で、一度宣伝美術の製作環境を振り返って

2017-05-24 14:00:00 | ■宣伝美術の大事な話■
(画像は最近作ったチラシです。近代モチーフって久しぶり!また近日説明します)

結構長期間にわたって演劇のチラシばかり作ってますが、
一度引っ越した事以外はあまり作業環境が変わっていません。
いつも通りの環境で作る、それが僕の宣伝美術のベースになってます。
わざと違う環境で考えることで新しい発想が生まれるというテもありますが、
それを実感するためにも「いつも通り」が土台にあってこそ。

一枚目の演劇チラシを作ったのは1996年。今年で22年目。
当時は父のApple LCIIだったかを借りて製作したように記憶してます。
当時Adobeのソフト(PhotoshopやIllustrator)など持っているはずもなく
Wacomのタブレットに付録として付いてきたArtSchoolDoubler、つまりお絵描きソフトで作りました。
それ以来Macの機種やタブレットの型番は変われど中身は同じ。
Mac歴とタブレット歴が22年。よく変わらずに続いたものです。

カメラ歴もほぼ同じぐらいです。
デジタルカメラが発明される以前だったので当時使ったのはフィルムカメラ、NikonのFM2でした。
カメラにフィルム詰めて、撮影して、現像に出して、スキャナーで取り込んで。
大学にいる間にデジカメが発売されたけれど画質が悪かったのでしばらくフィルムで撮っていました。
デジタルに完全移行したのが2007年。とはいえカメラはカメラ。
何かを捉え、画にするという軸は変わってません。

そのかわり、アウトプットは少し変わりましたね。
昔はリソグラフ(輪転印刷機)をガチャガチャ鳴らして白黒のチラシを作ってました。
部数が少ないパンフレットはインクジェットプリンターを使った時期もありました。
自分で印刷所を使ったのは2003年。
コンスタントに印刷所を使うようになったのは翌2004年から。
つまり印刷歴は13年ほどしかありません。現在の経歴でまだ半分ぐらいです。
それ以前は自力で仕上げた印刷ばかりでした。
コピー機、プリントゴッコ、輪転印刷、昇華式熱プリント、インクジェット・・・
紙に仕上げる点だけは変わらずです。

今から先はチラシではなく、SNSなんかでデータで直接PRする事が増えていきそうですね。
会えない人にも。うまくいけば会った事がない人にも。無料で配付(配布)。音声も動画も。
突き詰めるとデータ上で舞台本編まで仕上げて公開できそうですね。できないのは臨場感だけ。
そうすると舞台本編を作る意味が臨場感(その場で見られるという価値)だけになってしまう?
まあ、この辺は舞台側に託しておくとして、自分が考えるべきは
道具が変わって作るものが変わっても「宣伝美術とは何なのか」ですが。

まだまだ作りたいものはいっぱいあります。
どんどん古株になってしまいましたが幸せな事にご依頼もいただけています。
ご依頼と製作欲がある限りは作り続けていきますし、
結局そうしているうちに「宣伝美術がするべき事は何なのか??」なんて小難しい事は
答えを出さずに(出すのを忘れて)活動が続くものかな、と思ってます。
例えば人生とは何ぞや、会社員とは何ぞや、生活とは、国とは・・・
正解か否かは別にして、「そういえば続いてた」が僕の理想です。
次は何を作るかな。
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本当、が欲しいのかも知れない

2017-05-12 17:10:14 | ■宣伝美術の大事な話■
長い時間デザインで何かを作る事をやってきましたが
最近では自分が物を作る動機は「承認欲求」ではないような気がしてます。
いいね!すごい!というお言葉ももちろん嬉しさはあるんですけどそれよりは
頼んで良かった、おかげで助かりました、のほうがずっと嬉しいのです。
その単語を言って欲しい、のではなく、そう「なって」欲しい、そうだった時の嬉しさは大きい。
当然毎度毎度うまく行くものではないので、
実際にそうなったとき、というのが本当に嬉しいんです。
デザイナーを長期間やっているからといって自分がすごい人間だとは今だに思えず、
だからこそ、僕のデザインで他の何かがうまくいったとか誰かが救われたとかの
確かに生まれた何らかの効果や反応が起こると「ああ、よかった」と思えるんです。
モノは目の前に見えてるようでいて効果ははっきりとは見えないのがデザイン。
自分がやっている仕事がちゃんと何かの為になっていて欲しくて、
つまりスタートラインとしては自分のデザインの力をまだ信じてないということで、
それも今ある力全てを注いで作っている前提の上での話で。

演劇の宣伝美術でいうなら予想動員であったり、期待であったり、予算のやりくり、
ものすごくうまくいく場合は演技や演出の成立までもが
僕が作った事でスムーズに回ってくれる、そんな時。それ以上のことはないです。
自分が生んだものの見た目がカッコいいかどうかはどんなに全力を尽くしていても本当に信用していないので。

だから、日程が苦しそうだとしても、予算や条件が難しいものであっても
とにかく依頼したい、相談したいと言って頂ける状態をキープしたいと思っています。
頼もうと思われる宣伝美術さんでいたい。あの人ならうまく回ると思って欲しい。
そのあたり僕は芸術家ではないんだと思います。美しい、素敵っていう言葉よりも信頼が欲しいあたり。

たまに来る、自分が他の何かのうまくいく一因になれる瞬間が
本当にたまにしか来ないので、今日もまたそれを追って考え続けます。
今月は忙しくなりそうです。この忙しさは嬉しい方の忙しさです。
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良いせめぎ合いでできたデザイン

2017-03-09 16:56:57 | ■宣伝美術の大事な話■
奈良県香芝市に3/19オープンのクライミングジム、Fellows climbing(フェローズ クライミング)さんにご依頼をいただいてショップツールひととおりを製作しました。
歳も近しい店長さんが会社勤めから独立しての開業。ご指名を戴いたからには!という思いと、自身に重ねて思うところがある事とが交錯した結果、こういった製作は初めてながらも全力を出しました。

まず先方さんで店舗ロゴまでは決まっていた(=名刺にあるもの)ので、筆記体の柔らかなロゴとイメージカラーのピンクを軸にデザイン展開させました。
もっとこんなものやあんな事もやってみたい、と脳内からあふれる提案はもちろんあります。ゲージュツ家だったら自分の思うまま好きにやれば良いんですけど、でもそれは「デザイナー=宣伝美術」とは違う(と僕は思う)のです。
お店の方針、予算、日程などなど照らし合わせてみると、全部デザイナーの思う通りにできるのではありません。
基本的に安い印刷、早い仕上げで済まそうとするのがお店にしてみれば必然ですし、
例えばお金のかかる事を選んでもらうにはその方が良いという理由がないといけません。
こちらが提案することがあって、先方さんが考えることがあって、そのやりとりのおかげですっきりシンプルに、そして楽しいものが仕上がりました。タイトルにも書きましたが、良い意味でのせめぎ合いができたと思います。

店舗を見て打ち合わせでお話しして互いが思った「お客さん」がこのチラシを気に留めるように。
重要なのは「まだクライミングをやった事がない人」。
小中学生さん、そしてお子さん連れの保護者さん。
奈良で楽しい壁を探している人。
ちょっと欲張りで幅広いターゲットですが、伝わったかどうかはオープンしてから答えが出ます。楽しみだ。

店舗の情報はこちら
Fellows climbing(フェローズ クライミング)
www.fellows-climbing.com
〒639-0264 奈良県香芝市今泉648  0745-47-1620
通常11:00〜22:00(曜日によってクローズの時間が変わります。店舗サイトを参照ください)
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自分のわだち

2017-02-13 16:20:09 | ■宣伝美術の大事な話■
1996年からずっとデザイン、特に演劇・お芝居周りの「宣伝美術」ばかりを続けています。
わずかな例外を除いてほとんどが宣伝美術(=演劇周りのデザインをするスタッフの事)です。

ずっと続けていると見えていなかった道筋が見えるようになるというか、
自然と自分の作風がどこか一点に収束していくのがわかります。

ほんとうに自然に。
スタイルが定まっていくんです。
好みか、知識か、それ以外の何かなのか。

一見いいように聞こえるスタイルの収束。
もちろんいいところもあります。
長年の経験で研ぎすますというか。積み重ねるというか。
そういう利点。

ただ同じように、気付かないうちに自分の道を狭めていることがあります。
何周も回っている道に知らない間についたわだち。変なクセ。手の馴染み。


さて
先日本当に偶然に声をかけて頂いて、演劇以外のデザインを製作しています。

久しぶりのというか、なんなら初めての分野のデザイン。

すごい。
どっちに走っても良い。
アイムフリー。

いつも無意識に守っていた演劇チラシのセオリーだとか、
積み重なった作風も、なにもない世界。
周囲360度、どっちに走っても良い世界。

楽しい。

もちろん今までのデザインセオリーは完全に活かせるし、素人ではありません。
でも無意識の制約がないというか、解放感というか。
これはいい。
この気持ちを忘れずに演劇の宣伝美術に持って戻りたい。

初心を忘れてるのを気付いたこの気持ち。

いつもちゃんと宣伝美術を楽しんでいたけれど、
この気持ちはうっすら透明になっていたのかもしれません。
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じぶん(幼少期)があらわれた

2017-01-07 14:38:40 | ■宣伝美術の大事な話■
宣伝美術もとうとう21年目となりました。
ずっと自己流で細々とやってきましたが
さすがに20年も作り続けると見えたり分かったりする事があります。

いえ、センスが良くなるとかじゃなくて。
自分が昔作ったものがどんなにイケてなかったかが分かるようになるんです。

もし20年前に作った落書きとかポエムとかが現れたらどう思います?
年月で言っても子どもと大人の差。

もうすごいですよ。恥ずかしさに転げ回りそうです。

というのも今、
20年作り溜めてきたデザインのデータを順々に
旧来のHTMLサイトからtumblrサイトに移行していまして。
(=言い換えると昔ながらのホームページ(今や死語のような)から、
スマホでもサクサク見やすく運用しやすい現代的な展示方法に乗り換えている)

なので、かなり初期の作品を久しぶりに目にする機会ができたんですね。
もはや載せるのをためらう事がしばしば起こってます。
我ながら昔へ進めば進むほど手が止まるとは・・・
何も変わってないつもりだったけど、ちゃんと進歩してるのがわかりました。

それでふとデザインの才能って、センスがいいとかよりも

「自分に鈍感な事」

ではないかと思いました。

じゃ無ければデザインなんか続けていられないです。
ちょっと探せばすごい人は世の中にすぐ見つかります。
自分がこれまで続けて来れた(辞めようと思えなかった)「才能」と強運に感謝。
あと、もうしばらく自分に鈍感でいさせて下さい。

そんな薄黒い過去まで垣間みられるtumblrサイト
「宣伝美術の紹介」はこちらから。
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衝動

2016-09-09 15:19:02 | ■宣伝美術の大事な話■
舞台でもデザインでも歌でもいいんですが、
何かを作る人はそれを作る理由、なぜ作るのかがとても大事だと思うんです。
演劇の世界で宣伝美術と名乗ってデザインをさせてもらってますが
僕もたまにそれを見失います。
別に大それた理由じゃなくてもよくて、
もてたいとか。褒められたいとか。
誰かに負けたくなかったからとか。
理由なんてそんなので良いんです。とにかくそれが強いと、なお良い。

そういう人たちや舞台を助けたい。
そのための宣伝美術でありたいと思います。

ちなみに頼まれてから僕の中で燃える衝動で最近多いのは
「過去の自分に負けたくない」です。
頭が冴える時期、依頼が合致してすごいものが作れた時期、そうでない時期。
波があるからこそ、すごかった自分に負けたくない。何せ自分なので。
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もう一度、の意味

2016-08-23 18:00:17 | ■宣伝美術の大事な話■
例えば同じ食べ物をずっと食べると飽きますよね。
例えば全く同じ服。同じ仕事。同じテレビ番組・・・
よほどのお気に入りは別として、それらは基本的に飽きるものです。

しかしそんななかでも「またあれを!」とリクエストが来るものがあります。
それは作る者としてすごく嬉しく、それぐらい「力」があるできごとだと思います。
それと同時に、安易に「同じ」を踏んではいけないよなあとも思うのです。

ところで自分1人が作れるものって限界があって
どうしても出発点というか経由地点というか、どこかが必ず自分なのです。
創作活動が短いうちは気にしないことですが長く続ければ続けるほどこれを思い知ります。
それでも「これが良い」と感じられるものが自分の中にある限り創作活動は続きます。
気が付かないうちに自分の好きの基準が動いていたり、新しい何かに影響を受けたりして
同じつもりで新しくなれているのかもしれません。
なにより僕に声を頂けているという点ではまだ陳腐になっていないのでしょう。

またお願いしたい、と言ってもらえる嬉しさと
同じものになってしまうのではいけない、と思う相反する気持ち。
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宣伝美術と、他のスタッフとの相似点

2016-03-04 15:38:55 | ■宣伝美術の大事な話■
脚本家がこれぞと感じているものを脚本に仕上げる。
演出家がこうと思った演出を駆使して舞台に仕上げる。

それはうまく言葉にしにくいんだけど、
例えば自分が好きなものを誰かにわかってもらうための努力というか、
それがお客様に正しく通じた時の気持ちよさというか、
いっそ自分の頭にある味を知って欲しいがために自らレストランを開くような、
料理なら1品、芝居ならたった1本のために
何ヶ月もの練習や何年もの調査や多くの人の力まで借りて
それでお客様に「これはおいしい」と正しく伝わったときの喜びというか、
そこに正しい感想の言い方は存在しないというか、無言でもいいというか、
正しく頭に浮かべてもらいたいがためにあらゆる手を尽くすところは
宣伝美術と同じなのではないかと思います。

そんなゴールを目指すために作られる「膨大なものたち」の一つに
僕のチラシがあって、何らかの役に立って、
彼ら(作る側とお客様とどちらでも)からも必要だと指名されるのなら
これ以上の幸福はないなと思いました。

僕は宣伝美術ながら
小道具も作ったり、足りぬ配役分のセリフを代読したり、
自分だけが分かる分野なら演出に意見を出したり、舞台設営や撤収まで手伝ったり、
かなり節操なく出没するんですが
それで目指すところは結局は同じで
僕が作ったチラシが面白い舞台のチラシであること、
それが巡って、僕のチラシが面白いことで舞台が面白いこと。
割といつもこう考えてます。
良いデザインというものはいまだによく分かってません。
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虹の色

2016-02-26 16:24:26 | ■宣伝美術の大事な話■
虹を見て7色だと感じるのは、人間の勝手な解釈です。
連続するグラデーションなのではっきり7色に分かれるわけではない。無限です。
虹は3色だと考える文化圏も、8色だとする国もあります。

演劇は定量化できません。1人だけ面白かったと感じる舞台もあるし、その逆もあります。
デザインだって計れません。デザイン理論はいくつもあっても点数はつけようがない。

虹が本当は何色かわからないように、
虹をつかんだ人がいないように、
でも、
虹はやっぱり綺麗だなあと思う気持ち。

もっというと、

虹って○○だなあ、を、うまく言葉にできない、
なんて言ったらこの感じを表せるだろう。
そういう感覚をどうにかして分かってもらう為に作ったもの。
言葉や数字でポンと伝えきれないから作ったもの。

それが舞台だったり、デザインだったりするんですよ。
演劇と宣伝美術は似てる気がする。
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削れて芽が出て降ってきても、進む

2015-09-22 23:52:36 | ■宣伝美術の大事な話■
似たような題材が続くと特に感じることですけど、
どこかから自分が思いつくこと、作り出すものに限界が見えだすんですよね。
前回作ったものと近くなってくる。近いと感じる。
「自分」の過去に似ているのはパクリとは違うんですけども、
気持ちが悪いというか据わりが悪い。

で違う何かを求めるんですよ。

手っ取り早くテイストを変えたい。何か新しいものを足したい。
他人の作品にそれを見いだすとパクリになってしまうし、
そこいらにあるヒントではだれも納得しない、というか自分が納得できない。
夢にヒントが出てくれたらどうだろう?でもそんなに都合良く夢を見ない。

手当り次第に進むこともあります。
自分が思っていない着地点。
しかししっくりくる着地点。
そんな都合のいいポイントを運だけで探すのは無理がある。

でも進む。

案外、今到達できたところも他人から見たら十分イケテルのかもしれない。
でもそれじゃ何か足りない。自分がしっくり来ない。

だから進む。
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