宣伝美術家TOMのブログ [1000-B]

宣伝美術家TOMの日常・演劇・デザイン・カメラなブログ。

削れて芽が出て降ってきても、進む

2015-09-22 23:52:36 | ■宣伝美術の大事な話■
似たような題材が続くと特に感じることですけど、
どこかから自分が思いつくこと、作り出すものに限界が見えだすんですよね。
前回作ったものと近くなってくる。近いと感じる。
「自分」の過去に似ているのはパクリとは違うんですけども、
気持ちが悪いというか据わりが悪い。

で違う何かを求めるんですよ。

手っ取り早くテイストを変えたい。何か新しいものを足したい。
他人の作品にそれを見いだすとパクリになってしまうし、
そこいらにあるヒントではだれも納得しない、というか自分が納得できない。
夢にヒントが出てくれたらどうだろう?でもそんなに都合良く夢を見ない。

手当り次第に進むこともあります。
自分が思っていない着地点。
しかししっくりくる着地点。
そんな都合のいいポイントを運だけで探すのは無理がある。

でも進む。

案外、今到達できたところも他人から見たら十分イケテルのかもしれない。
でもそれじゃ何か足りない。自分がしっくり来ない。

だから進む。
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突き詰めたらインフレ

2015-07-06 16:16:21 | ■宣伝美術の大事な話■
毎度、自分で作りたいと思うものを作らせていただいてます。

題材に沿ったアイデア、かつ時流にちょうど合う手法が
見つかればいいんですけど。しっくりくるものがないこともあります。
そんなときは頭を悩ませます。

無難な案で切り抜けるのか。前のめりな案で攻め続けるのか。

僕が作るものは「ここまでやらなくても良いのに」と言われることが割と多いんですけど、
それも大事なことだと思ってます。

僕がいつもやりすぎようとする理由ですが
まず自分が作る物になかなか満足できない、未だ自信を持ててないというのがあります。
でもそれだけじゃないです。

それはチラシのデザインというものが
舞台(というか、エンタテイメント)に関わっているからです。

例えば1000円の舞台なら1000円なりの、
1万円の舞台なら1万円に相当するデザインってのを想像してもらうと、
明確に「これ」とは示せないですけどなんとなくは違いがあると思うんですよ。
デザインでいうと「1万円の舞台ならこれだけのものが出て来てほしいなあ」とか。

それが逆に甘えになってないかと。

たとえば1000円だからここまでやる必要は無い、やりすぎだ、と
どこかで思っていないかということです。

エンタテイメントはインフレだと思ってます。
舞台なりで何かしらを感じてもらうには、
例えば「すごい」と思って欲しい、「不思議」と思って欲しい、
「怖い」とか「懐かしい」とか「わけわかんない」とか
何か感じて欲しいなら全力でそう思わせにいくでしょう。
チラシやパンフレットも同じだと思うんです。

仮に「すごい」と思って欲しいなら、チケット代を越えるのはひとつ目のハードルだと思う。
こんなのやりすぎだ。と言われるのは最高の褒め言葉じゃないでしょうか。
それに慣れたお客さんは、次はもっとすごいものや全然違うものを観たい。
そうやって突き詰めて行くこと自体が、結果お互いが心地良いんじゃないか。
と思うのです。
※念のため、滅私奉公しろと言っているのではないし、徹夜万歳とも思わないです。

突き詰めることを辞めたら、エンタテイメントじゃ無くなる気がしてます。
色々参考になる意見も頂くことができて、6月の舞台を終えました。
次はどう軌道修正するか、別のアプローチはないか、はもちろん考え続けつつ、
突き詰める事だけはやめたくない。
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それが難しい

2015-04-16 23:13:47 | ■宣伝美術の大事な話■
道具のせいにしない。

年月のせいにしない。

センスの有無のせいにしない。

プロか否かのせいにしない。


でもそれが難しいんやで・・・
宣伝美術に限った話じゃないけど。
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非効率派

2015-03-28 23:29:04 | ■宣伝美術の大事な話■
昔作ったものと近いものをもう一度作る。

それが作風と言えば作風なのかもしれない。
長い間製作を続けていれば、自分が得意とするデザインがだんだんわかってくる。
普通はそうやって自分のスタイルが出来上がっていくものなのだろうけど、

僕はそれが嫌でしかたがない。

自分を真似ているようでそれがとても気持ちが悪い。
そうしておけば安心、という自分はなんとなく好きになれない。
いずれは「自分のスタイル」に到達する日が来るだろうと思う。
でもそうなるまではそれをやりたくない。
毎回、何かを探す。自分が納得する何か。どんなものかもわからない何か。

それは効率が悪い。

これも散々言われてきた。そのとおりだと思う。
前作と近しくて何が悪い?
皆このデザインを見るのは初めてなのになぜそんなことを気にする必要があるのか?
前と違いさえすれば納得するのか?それは意味があるのか?

僕は特に何も考えてない。
ただただ、作りたい。
自分が無意識に探している何かをこの手で今作りたい、
それだけのシンプルな意思でデザインをしている。

作っている最中は「行ける」と、自分ではいつも思っている。
うまくいかないときは盛大に失敗している。
作ったものが是か否かは公開するまでわからないからだ。
人によって好みも感想も毎回みごとに違うし、結局それでは何もわからない。
なのにどうして作るのをやめないのか、本当はそれもよくわからず作っている。
ゴールできた時、人から褒められた時、どれも本当に楽しい。
でもそれは続ける理由じゃない気がする。

探すのが楽しいから探す。
作るのが楽しいから作る。
そしてやめられない。

今作っているチラシも、
気を緩めると今までのものと同じになりそうになっては白紙に戻している。
20年近くも作っていればいい加減違うものばかり考えるのにも無理がある。

そして久々に、これならどうだ!というものが見えたところです。

ただし、このデザインを実現するにはものすごく時間と労力がかかる。
そんなときに限って〆切が近く、間に合うのが難しいのが簡単にわかる。
やめた方がいいんだろうか。
それに、今までと違いすぎる案は周りの人も戸惑うんだろうな。

でもごめん!
これ、すごく作りたいんです。
なのでこのまま行きます。
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デザインって何?

2015-03-09 11:25:58 | ■宣伝美術の大事な話■
タイトル、ねー、ほんとなんなんでしょうね。
まず初めにtogetterの引用から。


アカデミー賞4冠作品『バードマン』日本版ポスタービジュアルがダサいと話題に

これ、最近デザイン関係者界隈であがったニュースの一つです。
好みはもちろんあると思うんですよ?
Aが好きな人が多くても、中にはBが好きな人もいます。
でも、ひいき目に見ても日本版「だけ」極端に違うのは分かると思います。
元があるデザインなのにここまで変えるなんて、なんなんでしょうねこれは。

もう一件引用です。

『バードマン』ポスターに見るデザインの意味 - ゾンビ、カンフー、ロックンロール ~Disc 2~

あるある・・・
お芝居のチラシでもこの問題はいつも避けて通れないです。
この記事で言う日本版の「情報全部入れろ!全部目立つように!」な注文もたまにあります。
全部目立つとなにも伝わらないのにね。

さてこんな記事を取り上げていますが、
僕はこのバードマンのポスターで言うと本国版と日本版の間を作る事が多いです。
自分の好みは断然本国版ですがそれだけじゃダメだと思ってます。
長年試した結果として、の間です。ただしどちらかに寄せます。



これも記事中より。「舞妓はレディ」のポスターが2種類作られているのって賢いと思います。
デザイナーとしては右案が作りたいけど、左案を求められる。
左案だけだと新たな価値を創造できない。
右案だけだとOKがもらえないし、セブンイレブンのコーヒーサーバーになってしまう危険性がある。
2つとも公式ポスターなんて毎回できる事じゃないけど、
これだけしっかり作った左案右案の組み合わせだったら絶対強い。

それより何より、
今日の引用記事2つから一番感じた事。

ネット上の世論ってすごい力を持つようになってますね。
映画を配給してポスターデザインを本国のものから変えてしまった人たちが
これほどのスピードでデザインを再変更=非を認めるなんてあまり聞いた記憶がないです。
世の中の一意見、ネットの情報、で済まされなかったということでしょうか。

何を感じてもらいたいのか。

それがデザインだとしたら炎上への対応もネット世論への調整も大切なデザインですね。
自分も全然ひと事じゃない。
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期せず嬉しかった事

2015-02-16 17:33:59 | ■宣伝美術の大事な話■
ちょっと書くのが遅くなりましたが、
先週2/9はウイングカップ5の講評会に同席させて頂きました。

常々、宣伝美術は舞台から一番遠いスタッフだと自負しています。
宣伝美術は、小屋入りに寝坊しようが本番当日大けがをしようが
舞台の本番には何も影響しないという、他にない立ち位置のスタッフだからです。

そんなもんですからウイングフィールドでの講評会(兼、後夜祭)に
TOMさんも是非!と誘って下さった劇団転機予報の方々には申し訳ないながら
「宣伝美術がここに座るのは場違いじゃないか」と心配していました。

それでまずその講評会では
各演目について、多方面の審査員の方々から感想と講評がありまして。
僕が観ていない団体の演目であっても
様々な講評が細かに聞けてとても嬉しかったです。
「それ」が嬉しかった、というのがまた興味深く
自分が純粋に観客だと思っているなら逆に講評など聞きたくないのでしょうから
僕は意図せずとも「舞台を作る側」なんだと分かりました。
劇団転機予報の演目に足りなかったものもしっかり指摘され、
「足りない気がしていた自分」は間違いではなかったんだと
むしろ安心(着地)できる講評でした。

しかしなにより講評会で、個人的に一番収穫があった事は
後半の「自由質問」コーナーの質疑内容。

「皆さんがチラシを作るとき(ひいては宣伝をするとき)に
集客を上げるために気をつけている事はありますか?」

があがったんですね。
※質問者さんがどちらの劇団さんか失念してしまったんですがすみません。

演劇祭の講評会で。まさかのチラシの質問。

これは主観ですが普通、舞台ものの評価の場に「チラシ」ってのはまず上がりません。
まれに、その話題に触れる事を嫌う方もいらっしゃるぐらいです。
あくまで上演された作品とチラシは関係ないというシンプルな理由と
舞台が良かったか否かの話し合いの場に「まあチラシがよかったね」を出すのは
別の種の勇気がいる事だと思うから(馬鹿にしているととられてもおかしくないというか)。
実際舞台のアンケートにもチラシがどうと書かれる事はほぼありません。

で、演技のフェスティバルでチラシの事を質問されたら、皆は何と応えるだろう?
(前置きで「この場を借りて聞きたいが良いですか?」と断ってますので
質問自体怒られる事じゃないし、審査員にではなく参加者たちに質問しています)

宣伝美術家を名乗っている自分は、ワクワクしながら気配を消して(笑)見守りました。

現状の「紙チラシ」ではいけないという危機感。
「呼べていない」チラシへの不安。
自分なりの試行錯誤がいくつか。

いやあ皆さん色々考えてるんだなあ。と。宣伝美術家TOMは嬉しかったです。
こういう場では宣伝美術はもう少し軽視されていると思っていました。
さすがに長々と話す議題ではないですし時間にして数分でしたが、
かわされた意見は「宣伝美術(or制作)ワークショップ」に劣らないものでした。

僕が発言しなかった主な理由は、「長くなりすぎるから」です。
そんな漠然とした楽しい議題、たぶん一晩かかっても話し終わりません(笑)。
あの日が徹夜明けでなければ帰りにその人をつかまえて飲みに行きたいぐらいでした。
やらなくてよかった、そりゃ不審者だ。

何も言わないままではいけない気がするので
ここでひとつ、自分が気にしてチラシを作ったポイントも書いておきます。

「たくさんお客さんが来てくれるのは目的ではない」です。

ええ、制作さんと喧嘩になりそうですけどね。

先の質疑応答の時、審査員が今回の挟み込みで目にとまったチラシを上げてましたが
例えばそこにはTOMのチラシはあがってませんでした。
えらそーに宣伝美術家と名乗っておきながら僕のチラシは選ばれてないのですよ。

それは審査員さんたちがターゲットになっていないからです。
・・・だと思う(恥ずかしい流れですが気にせず続けましょう)

この例で行くと、
ここから先は勝手に考えて作ってた事ですけど、

奈良の劇団が完全にアウェーで大阪の演劇フェスに混ざってたわけですよ。
誰も劇団転機予報なんか知らないのですよ。
で、奈良の人たちにとっては大阪は結構遠くて、割と観に来ない。
すると大阪の人、かつ一見(いちげん)さんを呼ばなきゃいけない。
正直、見通しでいうと客席は到底埋まらない。
旗揚げ1年の転機予報は、決して技量がすごいとか経験が厚いという劇団ではない。
しかし転機予報の脚本には哲学があって、ぺらぺらした宣伝をしたいわけじゃない。
その他の条件もいくつもあるわけです。

そこで、じゃあ、転機予報は誰を呼びたいんだ?

この「誰を」が僕にはすごく大切なんです。
どのみち老若男女がむしゃらに集客しまくるすごい紙切れを
つくる技量がTOMにはまだないので狙いを絞るんですね。
1億2千万人呼びたいとは思ってないんです。

これ舞台と同じじゃないですかね。
誰が観ても一様に楽しめるハリウッド映画とかとは違って
観た人で気に入る人もいればがっかりな人もいるのが演劇だと思うんですけど
それとチラシは結局同じ立ち位置にあるんじゃないでしょうか。

「あらゆる人を呼ぶためにもあるものだけれど、それは結果でしかないから気にしすぎない」
と言えば良いのかなあ。結論が見えてるわけじゃないので締まりが悪い文章ですみません。

何にせよ、あの数分はとても嬉しかったです。
みんな、宣伝の事も考えてるんだなあと。眠気が覚めました。
もし将来どこかでご一緒する事があったら、僕なりのフルスイングでお応えします。

いやーほんと、
どうやったら客席いっぱいにできるんすかねー(笑)
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告知方法で最近特に感じること

2014-12-19 15:44:51 | ■宣伝美術の大事な話■
twitter、LINE、facebook。これらなどなどのSNSで、メッセージとして告知を流す劇団が増えてます。
僕はチラシを作る「宣伝美術」なので、あえて言っておきます。

ツールのひとつとしてならともかく、
そればっかりでチラシがおろそかになる劇団は甘すぎです。

動員はどうでしたか?席はちゃんと埋まりましたか?
それとも知り合いしか来ませんでしたか?

SNSの機能として当然ですけど、
それだといずれ知らない人は来なくなりますよ。

人間、慣れれば慣れるほどいい加減になっていく。
のが良い場合と良くない場合があります。

余分な力が抜ける、は良い方。
手を抜く、は良くない方。

手を抜かないうまい使い方ならお客として大歓迎です。
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作る事

2014-10-24 15:05:25 | ■宣伝美術の大事な話■
ちょっととりとめが無くなりそうだけど、

いつにも増して真面目すぎで、顰蹙を買いそうだけど
書いておきたいので書きます。これ、長いやつです。

僕はどういう因果か、18歳のある日のささいなキッカケから
デザイナーの「まねごと」をするに至って
今も関西小劇場界の隅っこで「宣伝美術」を続けています。

あくまで本業じゃなく趣味として続けているあたりがまねごとで、
我ながら不思議なバランスです。綱渡りだし薄氷だし生兵法です。

僕はこの趣味のおかげで
僕より「ちゃんと」デザインをしてる人に星の数ほど出会ってきました。
彼らと自分を比べると、どう考えても自分はデザイナーじゃない。
上手いとか下手ではないのです。うまく言えないです。なんか僕は「違う」のです。

ただ、本職じゃないけど、僕はたぶん辞めないです。
そういう意味では僕のはデザイナーという「一生ものの趣味」です。


幼い頃から絵に執着がありました。
何がって、確か絵のうまい友達が苦手でした(笑)
ジェラシーだったんでしょうね。

小学生の頃、親戚兄弟で集まって祖父に習字を手ほどきしてもらいました。
何回かですぐ立ち消えたように覚えてますが今も自分の書く字にしっかり受け継がれてます。

父は油絵を描くのが「趣味」でしたが、
子供に強制しないタチでしたので特に習いはしませんでした。

他には
子供ながらに、マンガ描いてみたい!と思ったものの思っただけで断念、
中学・高校は美術の授業が好きなぐらいで美術部や美術科に行ったわけでもなく
大学でやっと芸大を選ぶも、
芸大の仲間は(当たり前だけど)皆絵がうまく、僕の頭が飛び出す事はなかった。


つまり?

割とどこにでもいる「絵が好きだけどそれほど飛び抜けてない」子。
今もずっとそうなんです。
で?


何が言いたいかって、そんな過去はつい昨日のようだって気付いたんです。
気が付くともう人生半分過ぎてる。
いつが旬とか、達人とか本職とかプロとか、
子供だった頃の自分が見てた「大人」ってどんな歳だっけとか
そんなこと考えてる間に時間がすごい速さで流れてててててて・・・
あれっ、すでに大人じゃないか。

まだ本気出してないないとか、将来目指す!とか
そんなこと言ってる場合じゃないです。
今まだ若い学生さんでも、
デザイン以外、役者やスタッフでも、そうなんです。

この先製作できる年数や作れそうな作品数を逆算すると色々考えます。
未来はどうなるかわからないものだし、
結局そうすると、上手くなってからじゃなくて
下手な「今」作れるものたち、が全てだと思うんです。
まだまだ作りますよ!
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宣伝美術の限界と希望を書き残すブログ

2014-10-20 11:31:12 | ■宣伝美術の大事な話■
劇団転機予報の第三転機「シカクの無い部屋」が無事終演しました。

※もしも公演タイトル等から検索して見つけた人には申し訳ないんですが
これはほとんど観劇感想日記ではなく、中の人の一員としての記録ブログです。
人によっては幕内身内の話ですが物を作らせてもらった自分の覚え書きとして、
相変わらず堅い文章を残しておきます。

僕は宣伝美術として参加し、チラシを作りました。
当日パンフやチケットは劇団に任せていたので
8月にチラシが出来た後、僕がやることは特になかったんですが
7月から昨日までの4ヶ月間、初顔合わせの稽古から千秋楽までご一緒させてもらいました。

知り合いではない関係者さんや初めて会うお客様から
チラシについて良い感想を頂戴した(と、聞いた)のが大変嬉しかったです。
僕のやる事はこの紙切れの中にしか込められませんが
それが紙面から飛び出たことが、ちょっとした喜びでした。

でもこの舞台で、デザインだけじゃどうにもならない事、限界も感じました。

何をしたって役者さんには敵わない。
そして本編舞台には敵わない。

一応これまでだってそうでしたが、僕はチラシを作るとき、
想定した本番の雰囲気よりもかなり高い完成度に見積もってデザインしてます。

それでも結果、チラシは役者さんに追い越されるものだと思ってます。

追い越される分には想定内なんです。
で追い越すにあたってスタートからの当面の方向性、一里塚、ハードルとして
チラシが提供するのが幻のゴール、仮の想定目標で、
これが逸(そ)れているとスタートダッシュが狂うので
ノリだけで作って見えても結構慎重に、舞台が目指しそうな方向を
僕なりに計算して作ってる蜃気楼。もや。それが僕のチラシです。

シカクの無い部屋は稽古の進行途中、かなり大きな方向転換がありました。
チラシ製作段階でもうっすら予想していた事だったのに
僕ではそれをサポートしきれず、最終的に役者と舞台周りのスタッフとで
本番を成し遂げた感じでした。

それでも、チラシでは出来ない事があるなんてのはわかってるので、
稽古を見守ったりおせっかいを焼いたりしてます。

彼らにとって遠い遠い先輩の一人として、かもしれないし
また、一人で独学から始めた自分は一度ももらえなかった
(るはずがなかった)先輩面をしてあげたいのかも。

今回のは、それも不足。
僕のチラシやおせっかいだけではこの舞台を完全には支えきれなかった。
役者同士の結束がすべてを支え、スタッフがクリアに仕上げて見事にゴール。
客席で観ました。見応えある芝居でした。

事を終えて悔しい人、怒る人は、真剣に取り組んでいた証拠。
皆悔しそうでした。そして僕も悔しかった、そういう事です。



しかし一縷(いちる)の希望も発見できた現場でした。

現場でかなり悩んでいた人を元気づけたいなと思って
ちょっとしたデザインを仕掛けたんです。

少し元気になってくれたらいいなあと思っていたら
まさかの大泣きでお礼を言われました。
サッと作ったものだからそこまでの力はないだろう、と
思い込んでいたのが恥ずかしくなりました。
僕の心も大きく変わりました。


自分の作る物は思い通りになるとは限らない。
うまくいかない事だって、ある。
ものすごくうまくいく事だって、ある。


宣伝美術って何なんだろう。

この現場でもらった結果はどちらも
忘れてはいけない初心だと思う。
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蕭々(しゅくしゅく)と作る

2014-06-17 17:16:25 | ■宣伝美術の大事な話■
タイトルはGEKITONGの座長、フランキー仲村さんの口ぐせ。
「役者(またはスタッフ)は蕭々とやるべきことをやるだけだ」
TOMも気に入ってます。

劇団EVENT-STATION.第27回公演「政十郎見参!」は無事終演しました。
チラシは結構良い出来になったと思ってます。
しかし集客動員数は自分の期待値には届きませんでした。
チラシだけが動員数を決めているとは思わないですけども
僕ら宣伝美術がチラシを作る究極の理由は「観にきてもらう事」だとも思うんです。
お天気。他のイベントやタイミング。人づての評判。
アクセスや価格。脚本や題材。お知らせをするための余暇。
そして僕にできる「呼ぶ為のデザイン」とは何だろう。
人が来てくれる、それとも来てくれないのは何の為なんだろう。
と調べ、人の話を聞き、少しずつ毎回探り、変えてます。

次はどうやって呼ぼう。何を伝えよう。
そして僕はまた、蕭々とチラシを作るのです。
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