…あるでしょ、あなたも。
『そんな人と思ってなかった』
と言われたことや、そう思ったことの
一回や二回は。
いや〜でも、よぅ考えてみぃよ。
そう思ってるのは、相手が勝手に作りあげた
その人の、その人による、その人のための
『私』なんだよな。
しかしながら、自分自身は
良からぬとこも含めて自分なのだ。
そんな部分を見て、
百年の恋が覚めたかのように
“そんな人と思ってなかった”っつーのは
おかしな話。
“いやいや、私、そんな人やで。
ええ風に思い込んでたあんたの方がどうか
してるんちゃいまっか”と思う。
…なんて事を、今日延々と考えていた。
私も、“あの人はいい人だ。”と思っていた人が、
意外とそうでなかったりしたときもある。
いい人と信じていたことを残念に
思う瞬間でもあるけど、よくよく
考えたら“私が作りあげていた人物像”
なんだよな。
そう考えると、自分にとって
いい人から、そうでない人に変貌を遂げても、
モヤモヤもしないし腹も立たない。
例えば、このブログの諸賢が、
私のことを“何だかんだ言っても
人情味溢れる大阪人”と思って
くれていたとする。
(イメージ画像)
ところがどっこい、私は
人間より動物を愛で、何を差し置いても
動物を優先する人物なのだ。人間なんか、
自分を含めて二の次なのだ。
休みの日は怠惰に過ごし、
お尻をかきながらお昼寝をするのが
至福のひとときだ。
度々こういう挿絵を載せているが、
あながち嘘ではない。
どうだ、まいったか。
“そんな人とは思ってなかった”だろう?
そんな人でもあるんだよ。
まいったと言いなさい。
言えったら、コンニャロ。
エエとこ見て、エエ人と思うのは
やめてくれってオハナシ。
恋に恋する、夢見る夢子チャンかよ。
そんな奴には、のしを付けて
このセリフを贈りたい。
ではでは、またね。