『折紙技術での作品製作者:折師』Work of Origami skill:Orisi

折紙技術で折紙~紙以外まで何でも有りの作品制作者(師)、そして作品と旅も(笑)

「ある作品の製作敬意と想いと。『希望の無い日々に死にきれなかった一人の、欲望を詰め込んだ最高傑作』の話」

2024年01月14日 | ~文章メインのもの(記録や想いの置き場)

※常連さん方へ「今回は無理してのコメントは不要です、てかコメントしづらい内容なので。

ちゃんと後日、明るい内容の別記事を書きますので!」

 

 まず今回の記事の構成と、注意点について話します。

①構成は

「作品を作るまでの苦悩→→神様に願いて、教えられた事→その苦悩の中で本当の想いに気づく→そこから今後の歩みについて」

 

②まず、この記事は私の勝手な考え方の表明であり、…読みやすさをあまり考えずに書きます。

可能な限り、タイトル『』の文を読んだだけでわかるようには致します。

 

注意:この記事においては「自殺への捉え方(肯定でもあり、その厳しさへの絶望も)」「神様への考え方(神様への批判も含む)」を扱います。

見たくない方は、即座にブラウザバックをお願い致します。

私は一切の責任を取れません。この言葉の具体的な重みは、

…これを見て自殺した方の火葬代も医療費も、生かすために仕送りをする等の人を救う行為もできません。それほどの能力はございません。

 

ただし、コメント欄への批判や、この記事への危険性への批評は真摯に受け止めます。

先に一つ忠告しておきますが、私は

『自殺を否定するなら、その人を一生養い生かす事を約束できるか? それが出来ないなら否定する資格は貴様に無い。 

家族が死んで悲しいという前に、その家族が自殺に踏み切る前に「全ての手を貴様は尽くしたのか!?!!」と問いたい』

考えの持ち主です。

 

では、始めます。

「普通にさえなれないのに希望の無い日々に死にきれず、ささやかな願いを知り自殺せずに帰ってきた一人の話」を

 こんな人も世の中にはいる、そんな変人譚としての読み物にでもなれば、と。

 


『自殺をする為には「全てを失ったと感じるほどの絶望。100%の絶望」が必要である。』

 2023年1月にて、私は最期の悲願としていた「ペーパークラフト 侍(Papercraft Samurai)での検索1位」を終えました。

 そしてその後転職を経て、…失敗に等しい状況になり(相当ホワイトな企業ですが、私の能力が全く不足していた※私が良く見せすぎた)、

 2023年8月19日、最後に伊勢神宮に…報告だけしたいと考え、11111円のお賽銭と共に天照大御神に申し上げた事は以下の内容です…

・夢を叶えられた事への感謝

・もうこれ以上作品は作らない。この才能は、未来ある若者に移し替えて欲しい

・自殺して地獄に行くので、今生の別れになる事

・自殺は私が決めた事なので、もう全ての加護をこの場にて神様へ差し上げる事

・願わくば、迅速かつ楽に死をもたらしてほしい事

…究極的に冒涜的で背信行為だとは想いますし、天照大御神も怒りを覚えたであろう内容です。

…このまま伊勢神宮のどこかで首を吊る事も考えていましたが、結局観光して帰りました。

…もう二度と来ないと誓っていましたし。

 

 …もういつでも死ねる、ふっとした不幸で線路に飛び込むなり、ビルから飛び降りるなりすれば終わる。その日が来るのを待つ日々を送っていました。

 

 首は2回ほど吊りましたが、1回目は「…まぁ、疲れたし、寝るか」と諦め(先に最期の晩餐と称してお腹を満たしたのも悪手でした)、

 2回目は木にもたれ掛かりながら負荷には成功したものの「足が着くと、それ以上下に行かない」

=つまり脚立などに乗って、覚悟を決めた段階で蹴とばし(退路を塞ぐレベル)で無いと、体が死を拒否する事が明らかに解りました。

 

 これらの結果から『体に自分で死を与える(自殺)には、生への執着全てを超える苦しみと損失が必要』という答えを得ました。

 


 

『神様が人の願いを叶えるか否か、それは神の御心次第。

人の生き死には神が決めるものであって、人が願っても叶えるかは神様次第。』

 

 8月19日に日本の最高神である天照大御神に自らの死という願いと背信行為を行って、正直に申し上げますと「サクッと罰が当たって、死ねる」と想っていました。

 

 その一か月後、「鍵を無くす」という大事故が起きました。…罰であろうと考え、絶対に見つからないと踏んで全ての手続きを行いました。

(賃貸なので、その時点で警察への報告も強要されました。)

 ところが、「1日で発見(複製依頼のキャンセルに成功し、損失無し)。

その上、平日に行かなければならないものの、奇跡的なタイミングでテレワークで昼休みに警察署本部へ行けて数日で回収」

 …加護の全てを還したのに、いったい何を考えているんだ、神様、と本気で想いました。

※余談ですが、その鍵には調神社のお守りキーホルダーがついていました。調神社に祀られている神様は…天照大御神。

 

 これだけでもありませんが、「…加護の全てを還し、背信行為で万死に値する行為をした者が…なぜ罰当たりで死なないのか? 神様は何を考えているんだ。」

 

…流石に恩の一つもあるので、「無名(黒の使わない版)」を作成して、調神社にて参拝しました。

※その時はコメントを封印していた「9月25日の記事」になります。

今もなお、「天照大御神に申し上げた内容を残してあります。」

 

 『その時から…なんとなく気はしていました。

天照大御神から

【お前の願いは却下だ。その新作が作れる事の通り、才能の返却も却下。

私が良いと許すまでは、生きて、作り続けろ。】

と…神様がわざと私を殺させないようにしているのでは…と。

※ある意味、罰ではありました…しかも殺さずの塩梅』

 


 

『自殺を探して、死を願う日々の終わり:苦痛に耐えきれなかった私の負け、そして本当の願い』

…自殺の願いは聞き入れられず、死ねないまま、「運命の日:12月17日を迎えました。」

※この事をきっかけに12月18日にブログを再開した…という事です。

その時にも書きましたが

 

「作品と共に、撮れ高を探して…ただ生きているだけで楽しかった時間をもう一度取り戻したい。

…いつでも死ねるのに、覚悟が決まらずその日が来ないまま生きている事が、泣くほど辛かった。」

 

 間違いなく撮れ高とも言えない、小さなお祭り(とは言え、調神社周りをメインとしたお祭り)

…でも、そこで買った300円の屋台飯と作品の写真を撮った時に感じた幸せに

「誰もが馬鹿にするような事が、私にとっては泣くほど嬉しく幸せな事に値する」

 

…ホワイト企業で足手まといになり(能力不足×コミュ力不足×無能疑惑が確定化)、普通な人になれない人間に真っ向から突き付けられた事実

 『発達障害で無いにしろ、失敗作の人間には普通の幸せは掴め無い。

ただし、それは不幸ではなく、その人に合った幸せを掴め。

 自分にとっての幸せを知り、それを為せ。』

 

 『普通の幸せは無理なんです。だって普通の線に届いていないんだから。

なら、自分なりの人生を送り、自分なりの幸せを探すしかない。』

それが現時点の答え、と。

 


 

『今後の活動とかの方向性について、…自分の想うままに、試行錯誤しながらやっていきます。』

 

 上の件も含めて、ツイッター(X)がバズらなかった理由もひとつになるとは思っています。

『普通では無いから、普通の人がウケるものが分からない。

自分が普通でないから、自分が良いと想ったものが当たる確率は当然低い(ズレているから)』

 

なので今後は自分の楽しみの為にボールを投げて、それが他の人のミットに入ったらラッキーな感じが良いのだと。

だって、普通じゃないから「ストライクゾーンが分からない」から。

※ちなみに他人の評価を分析する事は無理なのでしません。出来たら仕事で無能になってないんだわ(爆笑)

 

 今後の私の人生の目標は

『自分の好きなようにやっていき(他人の評価を気にする部分も自分勝手にやる部分も含めて)、そのまま苦労や損失を起きても構わず突っ込み、自殺できる分の覚悟が溜まったら決行する。

 ただし、それが溜まるのが寿命より短いかは…不明。

 結局死ぬまでどんな形にしろ、戦い続ける事になる。 それが現時点の私の答えになります。』

 

…そんな普通にさえなれなかった馬鹿な制作者に、苦労や狂気ばかりだろうが付き合ってもらうぞ…

私の人生で磨き上げた折紙技術と実践データの結晶である…『相棒』!!

※2024年1月14日 王子神社にて。(なお、ランニングにも付き合ってもらってます。耐久テストとして。)

 

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「作品と過ごすお正月(2024... | トップ | 折紙技術作品:「挑戦者」 W... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (桂蓮)
2024-01-16 03:17:04
なんていうか、私の30代~40代のことを
そっくり書かれた感じですね。
40代後半の時、
経営していた塾は赤字悪化して
お金を全く作れず、
けど生徒の入試までの責任があるので
やめることができず、
自分の貯金から塾を維持していました。
未来が全く見えず
離婚した韓国人として
赤字の学習塾を経営しているなどの
失敗者、負け犬として生きていました。
自殺も勿論、
すべてを整理してお寺に入るかなど
考えなかったことは無かったです。
私は日本で全く一人でしたので、
誰かに苦しみを話す人もいなかったです。

でも、死ねないことがわかったので
辛くても生きることを選びました。

今の夫に出会ったのも
あの時あまり鬱だったので
別に、幸せに思ってなかったです。
夫はそれも全部分かってくれて
私も全部正直だったから
何でも彼には話したのです。

今も願うこと、幸せは全部ゲットしたのですが、
それがなに?という感じです。

今も私は負け犬だったことを冗談で話したりします。
人に負け犬だったことをよく話します。
失敗したことも、何でも話します。

でも、話しても話さなくても
負け犬だったことを変えませんよね。

ただ言えるのは
負け犬、失敗することが必要だということです。
生きるなら、何でもありえます。
生きるのに理由は必要無いです。

才能も保証など無いです。
あればラッキー
無ければ、それでもいいーって感じですかね。
返信する
桂蓮様のコメントに、敬意と返答と。 (無名(折師))
2024-01-16 22:52:50
 ”なんていうか、私の30代~40代のことをそっくり書かれた感じですね。
~ 未来が全く見えず~自殺も勿論~でも、死ねないことがわかったので”

「絶望したものの、死ぬことは出来ず…」
こうした光景と感情は…民族に関わらず「人が共通の状態で共通に抱く物」なのかもしれません。

ただ、桂蓮様の強さは
”辛くても生きることを選びました。”
”夫はそれも全部分かってくれて私も全部正直だったから何でも彼には話したのです。”

…その状況で「生きる事を選んだと言える事」「そしてそうした事を話せる人が隣にいた事」
 
 明言します、『その強さは、全くなかった』…と。
 今でも「死を探していますし、恐らく一生」「相談できる人がいない」という弱さは諦めていきていますので。
 過去ゆえに変えられぬ未来。

 ”今も願うこと、幸せは全部ゲットしたのですが、それがなに?という感じです。
今も私は負け犬だったことを冗談で話したりします。
人に負け犬だったことをよく話します。
失敗したことも、何でも話します。

でも、話しても話さなくても
負け犬だったことを変えませんよね。”

 …ブログを拝見させていただいてもそうですが
『思考』『鍛錬』の果てが、今の桂蓮様の持っている力なんだと
(と、私が言っても、桂蓮様の理想が非常に高いのも存じ上げておりますが。)

 ”ただ言えるのは負け犬、失敗することが必要だということです。生きるなら、何でもありえます。生きるのに理由は必要無いです。

才能も保証など無いです。あればラッキー無ければ、それでもいいーって感じですかね。”

 そこまで行くにはまだ私には『努力』『鍛錬』が足らないのは感じています。
 あと、素の力もですね。

 逆境の中で「吹き飛ばされつつもしがみつく力」「自らの欠点と向き合う力」
 それが私には無かった。

 私の転職も磨いてきた物も、実は「逃げの結果」でもあります。
 ※とは言え、後者に関しては「全てから逃げた結果、誰も辿り着いた事の無い世界を見つけた」という幸運はありました。

 仕事においては、実は「一般的にホワイトと言われている仕事が軒並み不得手」
※要は仕事が出来ない。特にコミュニケーション能力やミスしない事が必要な仕事は、まず出来ない。

 こうした面では間違いなく「桂蓮様は、強い!本当に強い。」と感じます。


 ただ一つ、私なりに足掻く事とすれば
『どうせ不幸な最期が決まっているなら、今回の転職で分かったようにまともな社会人は絶対に無理なら、
 無様でもいいから、希望を胸に弾け飛ぶように死にたい』
とは想っています。
 私が不幸と決めつけた悪魔に、一矢報いてやりたい。人生が無意味かどうかは、私が決める事で神が決める事では無い
 ※神様を信じてはいますが、従うかどうかは私が決める主義
 最後は自殺と決まっているなら、それまでの間で人生を楽しんで終えたい。

 私に足りないものが見えた事、そしてその末で私が歩む道が
すこしだけ悩みの中に見えた気がします。

そうした意味で「桂蓮様に敬意と感謝を」
ここに記します。
 あなたほど強くは無いが、私なりに残った力で最期を飾ろうと。
返信する

~文章メインのもの(記録や想いの置き場)」カテゴリの最新記事