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天空海闊

心の旅路

メインテーマの続編
下方に加筆あり

一つの節目毎に、感じたことを編集

(個人的考察、解釈を含む)



○ 恒例の秋





傷だらけでも
生きてるだけで 
貴方はヒーロー





○ 原点回帰


「独り」  

地上には
大小の道がたくさん通じている。
しかし、みな
目ざすところは同じだ。

馬で行くことも、車で行くことも、
ふたりで行くことも、三人で行くこともできる。
だが、最後の一歩は
自分一人で歩かねばならない。

だからどんなにつらいことでも、
ひとりでするということにまさる
知恵もなければ能力もない。 
            ヘッセ











○ 原点


生きることが
困難に思える時代
誰かが言った
「生きてるだけで丸儲け」
なのかもしれない

そうではあっても人は
「自分が生きる意味」を
探る時がある

時代は高速で
移り変わり
人の心の景色も
街の佇まいのように
変わったかもしれないが
心の底にある(隠されている)
生きることの意味、原点は
殆ど変わらないように思える









○ 大正常


すみません 
ちょっとだけお尋ねします

わたしの故郷はどこですか?
かれこれ200年も探しているのです

此処にいる皆んなは
子供の頃のわたしを知っているらしいのですが

わたしはまったく知らないのです
わたしはあたまが可笑しくなったのでしょうか?

「いえいえ そんな事はありません
 あなたは大正常です!」


*人は6歳までの記憶を食べながら
生きているようなものだ
      ジークムント•フロイト







           
 





○ 理想



事実は簡単に変えられるけれど
理想は簡単には変えられない





 



○ 只今、迷走中





青磁(骨董)の花瓶と菊

色合いが良くマッチ

古美術品は生物と合う





○ ピーターパン症候群*の処方薬

                    *独自の解釈


最近、自分はやはり古臭い人間だと改めて
感じている

例えば、性愛は本来的には、どこまでも、最後に行き着く、ピュアな心の反映であるべきで、自分の性癖などが他者に知られる(推測含む)のは非常に恥であると(日頃の妄想やら言動は棚に上げ、笑)心の片隅、いや、どうやら、自分の心の真ん中辺りで、正にこれを書いている時点でもそう考えている

これは、人にとって様々な保護になっていると思えるが、一方では

「薄汚れた大人にはなりたくない」稚拙な心境を抱えており、ある種の固執とも言える

この固執が強い場合、そこから離れることは容易ではなく、時には非常に時間が掛かり、場合によっては、生涯その固執に囚われることは多々ある、と感じる

なぜならその固執は様々な複層的な要因から成り立ち、

それには、幼少期の環境、宗教的背景、親の言動、その時代のメディアからの非常に強烈な洗脳等がある

その鎖を解くには、ある人たちからは
嫌われているが、哲学がその役目の一部を担っていることは、割と良く知られている

固定化されていない、多様な推論を行うことは、法的な縛り(ある種の強制)とは別に人が「建前ではなく、心底納得して選択する自由を得る」「多様な価値観をできる限り侵さず尊重し合える」「真の優しさや思いやりを保つ」ことの一助になるかもしれない




続く






○ すぐそばにある涅槃


「シッダールタ」を通して
多様な生き方から、ある種の求道的なものを探る



シッダールタは自分の数奇な身の上を考えめぐらしていた。

なぜ自分が波羅門として、苦行者として戦っているのかを…

あまりにも多くの規則、禁欲が彼を(涅槃を)妨げた。

彼は常に一歩先んじたもの、精神的なものであり、司祭であり、賢者であったが、これに対抗する自我(すべてを納得したい原初的衝動)が根をおろしてきた。

彼は断食と苦行によって自我を殺そうと考えたが、気付いた。その道のあらゆる師も彼を救えないと。

それで彼は必然として俗世へ入り、虚楽と権勢、色欲と金にふけねばならなかった。

商人となり、ばくち打ちとなり、酒飲みとなり、花街に赴き、肩に羅針盤のオウムを乗せ、時々行方不明となり、自由人としてあらゆる刺激を求めて旅をし、次々と好奇心を満たしていった。

人生の最たる空虚さを味わい、苦い絶望に達するまで…

さて、彼が旅の途上で、様々な秘密を持ったことは、魂の渇きや寂しさを深めたりもした。

また周りの期待や社会的規範の外圧から逃れようとも考えていたのである。

しかし、その後の紆余曲折を経て、伝統の有益性にも目覚め、また様々な人物との交流も彼を豊かにしていった。

こうしたシッダールタの姿は実は作者のヘッセ自身の若い頃を投影していることは、彼の初期の作品を知っている方にとっては容易に理解できるかもしれない….

こうしたヘッセの作品に見られる、思春期への共感、自己の中の多様性、自己と他者との関係、自我の発達と性衝動との関連、無意識(潜在意識)科学文明と自然の関係、東洋文明への傾倒、

また進化論を仄めかす内容は当時の精神的なルネッサンスとも言える時代の影響を強く感じる。

もしあの当時生まれていたら、毎日がクラクラするほどの魅力に溢れていたように思えるが、 

「シッダールタ」と「デーミアン」はこの時代背景を集合、洗練したものとしてはある種の金字塔を成しているのではなかろうか。

これまでの価値観が急激に変化している昨今も、こうした作品から、多少は得るものがあるかもしれない


以下、一時期のヘッセの東洋思想を集約している描写を見てみよう。



(引用)

….ゴーヴィンダ(主人公)の友シッダールタの顔がもう見えなくなって、そのかわりにほかのたくさんの顔が見えた。

たくさんの顔、百も千もの顔の長い列、流れる川が見えた。それが現れては消えたが、みんなそこにあるように見えた。

そのすべてが絶えず変わり、新たになった。が、そのすべてがシッダールタであった。

魚の顔、はてしもなく苦しそうに口をあけたコイの顔、目を曇らせて死にかかっている魚の顔が見えた。

生まれたばかりの、赤く、しわだらけの、泣き出しそうにゆがんでいる顔が見えた。

……人殺しの顔が見えた。彼が刃物を人間の腹に突き刺すのが見えた。──同じ瞬間に、その犯罪人が縛られてひざまずき、刑吏に刀で首をはねられるのが見えた。

男女の肉体が裸で狂乱の恋の攻防をしているのが見えた。

死体が手足をのばしてじっと冷たく空虚に倒れているのが見えた。──イノシシ、ワニ、象、雄牛、鳥など、動物の頭が見えた。神々が、苦理修那神が、阿耆尼神が見えた。

……すべてこれらの姿と顔が互いに無数の関係を持ち、互いに助け合い、愛し合い、憎み合い、滅ぼし合い、新しく産み合っているのが見えた。どれもが死のうとする意志、無常の痛切な告白であった。

……しかも、どれもが死にはせず、変化するだけだった。絶えず新しく産み出され、絶えず新しい顔を与えられた。しかし、一つ一つの顔の間には時間が存在してはいなかった。─すべてこれらの姿と顔は静止し、流れ、産み、ただよい去り、合流した。いっさいのものを、絶えず何か薄いもの、ふわりとしたもの、しかも存在するものが、おおっていた。

…..時間が存在するかどうかを知らず、この観察の続いたのが一秒であったか、百年であったか知らず、シッダールタなるもの、ゴータマなるものが存在するのかどうか、我となんじが存在するのかどうかも知らず、

…..その顔は、今しがたまであらゆる姿、あらゆる生成、あらゆる存在の舞台であったが、その表面の下で千変万化の深い神秘が幕を閉じた後は、不変不動であった。彼は静かに微笑した。おそらく非常にやさしく、おそらく非常に嘲笑的に、覚者が微笑したときそっくりに。






『貴方は、何時か私になり、私は何時か貴方になる』

争う必要は何もない






# ある実験では、脳の海馬付近に特異な刺激を与えると、意識混濁となり、本人とは異なる個性、それは親族や知人であったり、また時には、各時代の著名な人物らしき個性が出現するとのこと。
 人間の個性は、それ程強固なものでは無いのかも知れない。

# シッダールタでは、魂としての進化の途方もない旅路の一里塚には、魂(個性含む)の融合と分離があることが示唆されているように思える。
 言い換えれば、多数体験の究極的な共有や共感が進化には必須である。しかし通常の活動や環境では、分離化が強すぎて、「そこに至ること」は困難だが、先人たちが幾多の道筋を残してくれている。

# 時が停止したと感じるほど、じっくりと周りの自然や生命を注視する時、人的な見方では表現できない感動に驚き、時には素早く世界の本質に迫ることがあるかも知れない。




…..

『外殻から離れると、私たちは、時空を超えた純粋な意識そのものになります。』

『それは、宇宙をすべて
 包み込むほどです。』

     アニータ•ムアジャーニ



我らは其々異なるが、また
同根のコスモスで生きている。




○ 生きるとは


愛し憎み

清楚に
また本能に溺れ

天使と
悪魔の顔を持ち

騙し
騙され

助け
助けられ

束の間悦び

やがて
静かに
暮れてゆく










*天才が夭折するのは『神さまが嫉妬して、早く自分の元に呼び寄せる』とか..
何となく納得の日々


過去達は(どんなものであれ)
 優しく睫毛に憩う

思い通りにならない夢を…










○ 心の故郷

此処に居るのが、何となく場違いに思える瞬間がある


ふるさと求めて花一匁




○ 現世(残像のようなもの)の実体は
時の流れから隔絶された世界、別次元にあり

【時間の無い世界?】

例えば、人は時間の流れという制約の中で生きているので、時間がない(時間の制約を受けない)世界については想像し難い。

過去→現在→未来

しかし、これは人間が現世で生きる為に考案された方便であり、絶対的なものではなく、相対的なものになる。

現世は、実質的?には瞬間の連続であり、過去や未来に物理的な実体はない。この「瞬間」にしても、事象の発生と脳が受け取るまでにはタイムラグがあり、厳密にいえば瞬間ではない。時間とは人が脳内宇宙に描く絵画の様なものである。







仮に不老不死の有機体?又はアップデートされ続ける肢体に個人固有の知識、経験などを移せるような未来が来れば、時の流れに対する印象は今とは全く異なることだろう。
(自意識の継続など既に研究中)

時間の流れは止まったかの様に非常にゆっくりと感じるかも知れない。

また、殆ど時間に制約されないその様においては、人の意識の底にある、限られた命、時間の制約から来るある種の焦りから解放され、現世の様々な「こだわり」を笑い飛ばしてしまうかもしれない。

『どうして、あんなどうでも良いことにエネルギーを費やしていたのだろう』etc…

或いは、今はどうでも良い、とされていることがより重視される、というパラダイムシフトが至るところで起きてくることが考えられる。


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