第二次パープル問題

<15代目フーシェ>が管理人のハンネです 

フランス革命でのシェイエスの立場と発言 シェイエスの存在感「私は生きていましたよ」

2015年12月15日 | 日記
 歴史上の人物で好きな人を日本史では<伊能忠敬>。世界史では<メッテルニヒ>とすでに書きました。


 フランス革命には関わった人は、いっぱい出てきますが(タレーランとフーシェは今回は置いといて)その登場人物の中でも、フランス革命の初期に理論上の指導者となった<憲法研究家>のシェイエスの存在感は突出したものがあり、すごいものがありますよ。


 シェイエスは<革命のモグラ>とよばれていますが、フランス革命の初期段階で、第1身分の僧侶の立場として、憲法立案に深く関与しました・・・・・・その後に恐怖政治(テロル)が始まると表舞台からいなくなりますが、同僚(いや同僚かどうかは私にもわからんが(笑)に「あなたは革命の時には、なにをされていたんですか?」と聞かれて

 「生きてましたよ、ただ生きてはいました。」




 素晴らしい回答と言えます。今の日本国は、フランス革命の時代ほど混乱していませんが、今の日本でも同じことが言えるでしょう。

 私も政界に18歳からいますが(最初は共産党、今は社民党)ただ生きているだけの期間も必要です。来年の7月の参院選までは社民党に踏みとどまります。社民党の議席の推移次第で私の生き方も変わってきますが、今の私としては、自分からは名乗りをあげず<応援弁士>として立ち居振る舞いしていきましょう。

 シェイエスみたいに「ただ生きてました」という人生は、私にはムリですが、少しでもシェイエスに近づいていきたいですね。

 *シェイエスは、ナポレオン・ボナパルト将軍のクーデターで総裁政府を打倒した時に、権力にきわめて近い位置にいましたが、統領政府では第1統領にも、第2統領にも、第3統領にもなれず、元老院議長という閑職に落ち着きました。
 タレーラン(外務大臣)やフーシェ(警察大臣)ほど華やかな人生は送っていないものの、シェイエスみたいな存在感の人も、社会を構成する構成員として、欠かしてはならない存在であると強く感じます。


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