第二次パープル問題

<15代目フーシェ>が管理人のハンネです 

第1次回顧録( ただし政治活動のみの回想録)

2016年03月30日 | 日記
第1次回顧録

執筆は2016年3月30日の水曜日


私の政治活動のはじまりは、2009年にさかのぼる

2009年の8月の民主党の政権交代から政治に興味を持ち始め

その時期にGREEで、一時はつぶれていたアンチ自民党を再開

アンチ自民党の初代管理人に

その後、与党になった民主党の政治にうんざりし、民主党ではダメだが、自民党と公明党(当時は野党)も好きじゃないし

じゃあ共産党か?ということで2010年4月に日本共産党に入党

社民党と共産党で、どっちが国会で議席を維持できるかを考えての選択だった

当時は無職で遊び人の共産党員だった

人生の最初の潮の変わり目は《2011年3月11日の東日本大震災》

あの震災が起きた2時46分は、いわき市平のカトリック教会にいました

『死ぬのはこわくないんですよ』という話をしていたら、あの大震災

真っ先に外に逃げ出したのは神父さまだった(笑)

その翌年から働き始めたわけだが、

2011年の福島県議選では、長谷部あつし(当時は元職)の当選に尽力して走り回る。

脱原発運動に積極的に参加

震災後に平和運動にもめざめる

2012年のいわき市議選では《みんなの力》で高橋あき子市議会議員の再選に尽力
私の地区は本来は渡辺ひろゆきさんのエリアなので造反したことに

2012年の秋ごろの集会を最後に政界からの引退を考えたが、なんだかんだで今は社民党員だが

2012年の秋ごろの東京大学教養学部自治会騒動の(全学連脱退のあれやこれやの人)の可ロクさんと出会って、いわき市でジカで話したことも、私の人生の価値観に変化をあたえた

2012年の12月27日に青年支部の荻野支部長から、正式に離党を承認されるものの

2013年1月1日から現在までの3年と4か月、電磁波の被害をうける。

2013年10月にガンダーラから身を守るために社会民主党(社民党)に移籍入党し、現在にいたる。

私の共産党への入党を許可したのは、今は県議会議員の吉田えいさく(いわき双葉地区委員会副委員長)と佐藤敏彦常任委員(前の地区委員長だが持病の心臓病で後進にゆずる)



昔は佐藤常任委員とは幸楽苑のラーメンをよく食べましたね


最新の画像もっと見る

コメントを投稿