「統一教会問題」に就いて、橋下徹君、古市憲寿君、
三浦瑠璃君、パックン君らは、ほぼ同意見である。
①信教の自由がある。
②政治家と教会は法に触れぬ付き合い方をしている。
③統一教会問題が大きく報じられれば報じられるほど、
安倍元首相を暗殺した犯人が喜ぶだけである。
以上3点に私はホイッスルを吹く。
①に就いての反論。
統一教会は宗教の名を借りた詐欺カルト集団だ。
自由は義務を果たして得られる価値であることを
知るべきである。宗教に於ける義務とは、信者に
安寧を与えることである。だから統一教会が信教
の自由を口にするのは、そもそもおこがましい。
そして擁護する人も先ずは自由の意味を考えよ。
②に就いての反論。
法律とは最終的な判断で、法律以前に倫理とか
道徳があるのは中学生でもわかること。
政治家と宗教団体に法律以前の倫理や道徳を
国民が求めるのは当たり前である。
求められるのがイヤなら教祖・政治家を辞めよ。
③に就いての反論。
犯人は、これから確実に罰せられるのである。
しめしめと思っていようが、殺人者のまま生きる。
騒ぎ立てることが犯人の思うツボであるとしても、
宗教を語る詐欺集団と政権を握る政治家の関係
も大きな問題であることは違いないのである。
だから、それとこれとは分けて考えるのが大人の
思考というものであろう。
特に考えるべきは、「明日からどうあるべきか」だ。
時は戻せないから、死者は還らない。
だから、思考は、安倍晋三君の死から始まるべし。
死によって明らかになった不健全な姿、不気味な
闇をどう解決すれば良いのか、が大事なのである。
だから、犯人が喜んでいいのか、などと考えるのは
とても小さなことで、統一教会の味方をしている、と
言われるのである。
「法律に触れなければ何でもOK」が安倍晋三政治の
特徴だった。
それで居ながら、子供たちには道徳を押し付ける人格
だった。
彼に功績があるとすれば、その死によって「現在も続く
統一教会の犯罪的な活動と政治家との闇の繋がり」を
国民の前に開示されたことであろう。
だから、「そんなにご立派な人だったのならば安倍神社
でも建立したらいいじゃないか」と申し上げたのである。