昨年の台風被害と言い、今のコロナと言い、なんでこんなに災禍が多いのか?
10年ほど前のラジオで
「今の時代は戊辰戦争のときの星回りと同じ・・・数十年は大変な疫病や災害に見舞われる」というような内容のラジオを聞きました。
恐ろしいことですが、災害、戦争が次から次と舞い込んでくる時代なそうなんです。
正直、勘弁してほしい
どなたか詳しい方がいたら、いつ頃この星回りとやらが終わるのか教えてください。
コロナの前の大きな災禍は仙台勤務で経験した東日本大震災でした。
築30年以上の宿舎5階はメリーゴーランドのように揺れ、今にも崩れそうでした。
まだ20代だった妻は、あの揺れのなかでも、倒れそうな冷蔵庫を必死に抑えていました💦
危ないからコンクリートの梁のあるベランダ近くに呼び寄せましたところ、さっきまで妻がいた台所に色んなものが雪崩を打つように落ちて来ました。
妻は長く激しい揺れのさなか、私の手を珍しく握りながら
「なにこれ?」
と言っているので
「地震だよ」
と、素朴な会話をしたのを覚えています。
その日の午前中は
泊まり勤務明けで、昼寝。
ゴロンと寝そべり、天井を見ると衣装タンスの上に段ボールがありました。
妻を寝床に呼びつけ「地震があったらどうすんだ?」と、注意して身をもってその危険性を教えようと思い、
ためしに、妻に衣装ダンスを揺すぶらせたところ本当に段ボールが滑り落ちて足に直撃したという、つまらない遊びをしていました。
その数時間後に、あの本当の猛烈な揺れに襲われたのです。
奇妙な予知夢もたくさん見ました。
→岸壁から海の中を見たら、真新しいファミリカーがたくさん沈んでいる
→向こうから大きな津波がやってきて、手前のたくさんの住宅地の窓が開いていて一様に白いカーテンが不気味に風に棚引いていたり その後、綺麗に整地された住宅地を見たり
→今はなき陸前高田の松原から夜の太平洋を望むと、旧海軍の大艦隊が北に航行していくのを見たり
→なぜか水のなくなった北上川を、歩いて渡ろうとしたら、数年前に亡くなった祖母の声でもとの岸に戻ったり
こんな妙な夢をたくさん見て、なんか様子がおかしいな、とガラケーのメモに全部書き出していたんです😃📲
ところが震災の前に妻が、そのガラケーをお洗濯🌀👕してしまったので記録は全部すっ飛んでしまいました。
いま記憶をたどって書きました。
苦労話を一つ
震災直後、水がありませんでした。
電気もガスもありません。
食料もありません。
自衛隊の配給に並ぶのが日課でした。
こうやってみると、川から水を汲んだり、狩猟をしたり、火を焚いて生きていた自給自足の縄文人って今生きていれば最強だろうなと考えたりもしました。
私が仕事場に行ってしまうと、次の日の朝まで妻は停電した暗い宿舎で、一人で過ごして心細かったんだと思います。今思うと随分可哀そうなことをしました。
朝、夜勤から帰ってくると、妻は数日間体を洗っていないのに自衛隊からの配給の水をカセットコンロで沸かして、私の体をお湯で流してくれました。
いつもはわがままですが、あの震災のときに妻の凄みを感じ、今も信頼しきりです。
そうはいっても相変わらず片づけは・・・(笑)
いえ立派です。
↓は一昨年前ころの春の仙台です。
ずいぶん元気になりました。
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朝の来ない夜はない🔅
ここは地道に一歩ずつ歩み続けながら
耐え忍びましょう。
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見事に復興を遂げた、仙台城石垣です
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盛岡駅一つ手前の前駅で下車
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仙北町、明治橋、原敬首相や米内光正海軍大将のお墓のある大慈寺界隈、あさ開酒造、河南、茶畑、住吉町、上ノ橋、紺屋町、中津川を与之字橋を渡って内丸にでます。
出勤前、この行程を一時間かけて歩くようにしています。
おすすめの散歩スポットは、浅田次郎さんの壬生義士伝にも登場する、明治橋周辺から見る盛岡と岩手山の眺望
岩手山は宮沢賢治が登山したり、石川啄木の歌集”一握の砂”で詠まれた山です。
ふるさとの山に向かひて
言うことなし
ふるさとの山は
ありがたきかな
啄木
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この日は明治橋上から、雲海からの日の出が岩手山の頂上付近のみを照らす珍しい風景でしたので撮りました。ほかの出勤途中の皆さんも写メしてましたので、やっぱり珍しいんだろうと思います。
次におススメのスポットは 明治橋北袂から北上川を望む風景
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だいぶ緑も芽吹いてきました。
やわらかに
柳あをめる北上の
岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
啄木
今は違うところに住んでいますが、もともと盛岡生まれの私は
このあたりを、朝の陽ざしを受けて歩いていると、大正生まれの祖母に手を引かれながら散歩した遠い幼児期を思い出します。
長い煙管(キセル)を吸っていた明治生まれの祖父の姿も思い出します。
近くの商人町の河南地区には人知れず桜の木が咲いていました。青い空に桜を見ると日本人に生まれて良かったなぁと思います。
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あとちょっとコースはそれますが、南部藩20万石の居城だった不来方城の盛岡城跡公園の石垣もおススメです。
東北随一と言えば会津若松城の石垣ですが、不来方の石垣もなかなか綺麗です。
奥州仕置きで来盛した、豊臣秀吉の家臣浅野長政が、仙台の伊達政宗に北から睨みを効かせるために、巨費と城づくりのノウハウをつぎ込んで作り上げたものなそう。
時に身を守るための、武具や城というのはその目的とは別に、美しさを伝えるのが不思議です。
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石垣と月
不来方(こずかた)の
お城の草に寝ころびて
空に吸はれし十五の心
啄木
お散歩スポットのご紹介でした。
コロナが落ち着いたら皆さんも盛岡に遊びに来てください😉
今度は盛岡グルメなんかを紹介します。
心地よく昼寝に入るとき
いつもimageする風景があります
それは昼下がり
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日本家屋、平屋六畳間
に大の字に寝転がって
天井板の木目を見上げてる
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振り子式掛け時計🕰️が
チクタク
と時を刻んでいく
その音を追っていくうちに
いつしか眠りに誘われている
という感じです。
あるいは台所の方からの
まな板の上で大根を刻む音
が聞こえてくるということでも
よいかもしれません。
なにかコンスタントな音
が眠気を誘うようです。
昼寝に限らず
夜眠れない人も
お試しください。