ジャーナリストは、
人に革命やら破壊やらを
そそのかして置きながら
いつも自分はするりと
そこから逃げて汗などを
拭いている
実に奇怪な生き物である
現代の悪魔である
太宰治著
「おさん」より
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冷静に考えたいのは、岡村隆史さんの発言で「誰の権利が害されたのか?」ということ
なにがこの報道で一番の問題か?
それは、岡村さんの一言を許せない
「日本社会の不寛容さ」
だと思います。
ジャーナリストが扇動したビジネスコンプライアンスという「お化け」が独り歩きし、日本社会を苦しめ、今はブーメランのようにメディアを呪縛している。
なんとも浅ましい。
太宰の言う「自分はするりとそこから逃げて汗などを拭いていた」ところにブーメランが飛んできたという構図。
話は岡村発言に戻るが、
ビートたけし、和田アキ子など、本来岡村さんに寛容さを示すべき芸能人の宰相というべき人間が、岡村さんを弁護しない。どころか世の中と一緒になって批判する重鎮もいます😵 。
彼らは、「大衆迎合」という言葉をもっとも憎み、世の中の矛盾にエンターテイメントというアイテム(武器)を使って真向から立ち向かうべき徒弟集団の親方とも言えます。
この親方衆が、そして相方までも不寛容な現代日本の世論に押されて、恥と外聞を気にして流されていく。
それこそ、「ボーッと生きてんじゃないよ!」とチコちゃんに叱られるのでは😡
こう見てくると、最近のエンターテイメントに昭和時代のような凄みや迫力を感じないのは致し方ないのかもしれません。
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通勤時間は貴重なウォーキングの時間
わざと遠回りして、道端の春の花々が咲くお庭を拝見しながら目を楽しませています。
またウォーキングのときは、NHKラジオ番組の「朗読の時間」で、最近は
太宰治の女性短編集
永井荷風の『フランス物語』
夏目漱石の『三四郎』
を聞いて、こころの洗濯をしています。
夏目漱石「三四郎」から抜粋
「下駄を買おうと思って、下駄屋をのぞきこんだら、白熱ガスの下に、まっ白に塗り立てた娘が、石膏せっこうの化物のようにすわっていたので、急にいやになってやめた。」
これは下駄屋に務める丁稚奉公の少女への階級的蔑視とも、とられかねない一文である。
ビジネスコンプライアンスを言っていたら、あらゆる名作は、およそ世の中に残らなかったでしょう。
なんとも、不寛容で人間の生きづらい世の中になったものか・・・
ブーメランをうけるマスコミはともかく、失われた物は二度と戻ってこないことを真剣に考え、それこそ言葉をチョイスして報道してもらいたい。
ジャーナリズムとは、なにか?
このコロナ災禍で日本人は見直すべき時期にきているのかもしれません。