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ロシア政府がしたことに責任を感じる」ロシア人音楽家の願い
「ロシア人として自分たちの政府がしたことに責任を感じています」
バイオリンの演奏を終えたロシア人の音楽家は、こう話しました。
そして、その目には、涙が浮かんでいました。
(イスタンブール支局長 佐野圭崇)
「大義がない」
「動員令には大義がありません。目的は?誰から何を守るのか?訓練も特にされていない人たちを死に行かせるようなものです」
こう話すのは、ウラジーミル・ピスクノフさん(32)、ロシア人の男性です。
ロシアによる軍事侵攻を受けて祖国を離れ、今はクロアチアに滞在しています。
プーチン大統領が踏み切った予備役の部分的な動員に怒りをあらわにするのは、友人たちの置かれた状況を知ったからです。
トルコで取材に応じるウラジーミル・ピスクノフさん
「誰も死にたくないから、ふだん住んでいる自宅を離れて故郷に帰り、実家で息を潜めていると言っています。そうすれば当局に動員されないと考えているのです。私たちの世代は、プーチン氏の言う“ナチズムとの闘い”なんてプロパガンダを信じていません」
ピスクノフさんがこの軍事侵攻を許せないと感じている理由は、ほかにもあるといいます。それは、結婚したばかりの妻のことです。
妻はウクライナ人なのです。
突然始まった軍事侵攻
ピスクノフさんは、もともとロシアの交響楽団に所属する指揮者兼バイオリニストでした。
そして、楽団で出会ったウクライナ人の女性ベロニカさんと恋に落ちました。
ベロニカさんと写るピスクノフさん
ピスクノフさんはベロニカさんと一緒に、自身の地元で演奏会を開いたり、子どもたちへの音楽教室を主宰したりして、ロシアで充実した日々を送っていました。
しかし、2022年2月24日。
ピスクノフさんは、当時、交際中だったベロニカさんからのビデオ電話で目を覚ましました。
「戦争が始まった。彼らが銃を撃って侵略している」
ベロニカさんは、震えるような声でウクライナへの軍事侵攻が始まったことを伝えてきました。
電話で連絡をとったウクライナの東部ハルキウに住む彼女の両親は、自宅の地下シェルターに身を潜めていて、周りからは爆発音が聞こえているとも話していたといいます。
ピスクノフさんは、言葉を失い、画面越しにベロニカさんの顔を見つめることしかできませんでした。
一線を越えてしまった母国
長い沈黙のあと、ピスクノフさんはベロニカさんと一緒にロシアを出国することを決意します。まず目指そうとしたのはスロベニア。
しかし、欧米諸国の制裁でロシアからのフライトは、すぐにキャンセルに。
次に目指したのは、トルコでした。ビザがなくても入国でき、制裁によって欧米では使うことができなくなったクレジットカードが使えることを知ったからでした。
そんな中、ピスクノフさんはどうしても、自分の意思を示さなければならないという思いに駆られ、ある行動に出ます。
「プーチンにノー、戦争反対」と書かれた紙を持って街頭に立ったのです。
抗議の意志を示すピスクノフさん
ベロニカさんのふるさとでロシア人によって人が殺される。母国が一線を越えてしまった。そんな思いからでした。
一時戻ったロシアでは…
トルコに逃れたあとクロアチアに移り、ベロニカさんと暮らしてきたピスクノフさんでしたが、7月には、パスポートを更新するためロシアに2か月ほど一時帰国しました。
近隣諸国のロシア大使館では、パスポートの更新業務を行わなくなっていたからです。
ロシアではピスクノフさんが祖国を離れた直後、当局がフェイクとみなした情報を広めた人に罰則を科せるように法律が改正。
ピスクノフさんは、ロシアを離れたあとSNS上に投稿した政府に対する批判などを削除して、数か月ぶりに祖国に戻りました。
無事入国することができたものの、街の様子を見てピスクノフさんは暗い気持ちになりました。
駅の入り口に貼られていた、ロシア軍のシンボルであるアルファベットの「Z」の文字のポスター。
ピスクノフさんが撮影した駅の様子
すぐ下には、ウクライナへの侵攻を正当化するようなメッセージもありました。
「私たちは、私たちの領土を諦めない」
ウクライナに平和を
ピスクノフさんは、現在暮らしているクロアチアでベロニカさんと結婚。
一方で、まだ仕事を見つけることができなかったり、ロシア国籍という理由で銀行口座を作るのに時間がかかったりと、決して安定した暮らしとは言えません。
それでも、ピスクノフさんはベロニカさんと一緒にヨーロッパ各地を回ってコンサートを開いています。集まったお金をウクライナの人たちの支援に充てるためです。
これまでにチェコで2回。ピスクノフさんは、これとは別にロシアの音楽家仲間とともに、クロアチアやモンテネグロでもチャリティーコンサートを開いたといいます。
今後は、ヨーロッパのビザを取得して生活基盤を整え、ベロニカさんと一緒にチャリティーコンサートを引き続き開いていこうと考えているそうです。
取材の中で、ピスクノフさんがバイオリンで演奏してくれた曲があります。バッハの無伴奏バイオリン・ソナタ第1番の冒頭です。
バイオリンがすすり泣くように鳴り響き、もの悲しい旋律でした。
演奏の間ピスクノフさんは、ウクライナの首都キーウ近郊の町ブチャで多くの市民の遺体が見つかったことを思い浮かべていたといいます。
「鎮魂歌のように、犠牲になったウクライナの人たちのことを思い浮かべて弾きました。ロシア人として自分たちの政府がしたことに責任を感じています」
ピスクノフさんの目には、涙が浮かんでいました。
争いを超えて
ピスクノフさんによると、ロシアに戻ったとき、スーパーマーケットで売られている商品の価格は2倍近くになっていたといいます。
海外製のスマートフォンなどは店先から姿を消すか、あったとしてもかなりの高額になっていたとも話しました。
軍事侵攻を受けた海外からの経済制裁によってロシア市民の生活に影響が出る中、街なかの道路では戦車を運ぶトレーラーが走り、ものものしい雰囲気が漂っていたともいいます。
プーチン氏が踏み切ったウクライナへの軍事侵攻を支持するロシア市民がいる一方、ピスクノフさんのように祖国の行為に反対の声を上げる人もいます。
ただただ平和を願うロシア人のピスクノフさんとウクライナ人のベロニカさん。
2人が奏でる音色が双方の国に、笑顔をもたらす日がくることを願うばかりです。
愛犬と写るピスクノフさんとベロニカさん