耳の聞こえない【のぶちゃん】

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知床観光船事故 帰りを待ち続けて

2023-01-28 12:13:49 | 日記

気がつくと、7歳の息子はいつも電車のおもちゃで遊んでいました。

夢は“しゃしょうさんになること”でした。

あの日から父親はその小さな背中を抱きしめることができていません。

ことし4月、息子は知床で観光船「KAZU I」に乗りました。


いまも行方がわかっていない息子と、父親は夢の中でだけ再会するようになりました。

親子で過ごすその時間を、日記に書き残し続けています。

知床観光船事故

2022年4月23日、北海道・知床半島の沖合で乗客乗員26人が乗った観光船「KAZU I」が沈没。20人が死亡、6人の行方が今もわかっていません。海上保安庁は6人の捜索を続けるとともに、観光船の運航会社の社長について業務上過失致死の疑いで捜査を進めています。


息子たちの帰りを待ち続けて

7歳の息子とその母親が沈没事故で行方不明になっている北海道・十勝地方の父親です。


事故から4か月が経った8月ごろから息子と過ごす“夢”を書き留めています。

事故の被害者家族が置かれた現状を知ってもらいたいと、記者に見せてくれました。


9月23日の日記

“息子の夢を見た。自転車みたいな乗り物で元気よく家の周りの歩道を走っていた。家の中から見ていた自分は、手をふった。息子はハニカミながら小さめに細かく手をふりかえしていた”


ラムネを持ってきて、ご飯の上にのせてほしいとせがんだり…。

カレーを食べて体中に黄色いルーをつけてしまったり…。


息子はたびたび夢の中で無邪気な姿を見せるようになりました。

それでも目が覚めて時間が経つと、息子と何の話をしたか、どんな表情を見せてくれたか、思い出せないこともあったということです。

「息子と過ごした時間を残しておきたい」

夢を書き留め始めて1か月。夢の中の息子は、困難に直面しても前向きに生きようとしていました。


10月4日の日記

“2人の楽しそうな声を聞いた。夢の中で息子は病気で半年から1年ほどしか生きられないということになっていた。

その中で、息子に楽しく生きてほしいと頑張っていた夢だった”

息子との夢は、その小さな背中を後ろから抱きしめたところで終わることが多いといいます。

10月20日の日記

“息子とお風呂に入っている夢を見た。息子が膝の上に座っていて、お尻の骨が当たって痛かった。息子は痩せているから…。久しぶりに思い出した感覚。やっぱり会えなくなるのがわかっていて、後ろから息子を抱きしめた”


父親

「夢の中にいながらも、またすぐに息子と会えなくなってしまうことがわかっている、そんな夢が多いです。気をまぎらわそうとテレビを見ても、食べ物ひとつを見ても、ああ息子がこれ好きだったなとか、そういうことをどうしてもやっぱり考えてしまいます」

“無事でいてくれ” 届かなかったメッセージ


4月23日。

息子は母親と2人で知床に遊びに出かけていきました。

初めて観光船に乗るのを楽しみにしていた様子が、やりとりしていたメッセージから伝わってきたといいます。


午後、事故を伝えるニュースに気づきました。

何が起きているのかきちんと理解できないまま、父親は繰り返しメッセージを送りました。

何時間が過ぎても、メッセージが既読に変わることはありませんでした。


ようやく運航会社と連絡がとれ、乗船名簿に2人の名前が記載されていたことを伝えられました。

息子と過ごした時間

息子は物心がついたころから、電車が好きでした。

足の踏み場がなくなるほど部屋いっぱいに鉄道模型を広げては、いつも自慢げな表情を向けてきたそうです。

あれから半年が経とうとしていた9月、そんな息子との思い出が詰まった住宅を引き払うことになりました。


父親は息子が一生懸命作った自分の顔の版画や、手作りの電車をひとつひとつ手に取りながら段ボールに移していきました。

保育園で作った七夕の短冊には、これからやりたかったこと、将来の夢が書かれていました。


事故からほどなく、知床岬の沖合で子ども用のリュックサックが浮いているのが見つかりました。


お気に入りの新幹線の柄。どこへ行くにもいつも背負っていたものでした。

息子が遠くに離れていってしまったような気がして涙がこぼれました。


「本当に船に乗っていたんだな、と。信じたくはないけれど」

どこかで生きていてくれたら

それ以来、息子たちにつながる手がかりは一切ありません。

時間が過ぎるなかで、父親は心境の変化も口にします。


「“本日は巡視船何隻が出て捜索しましたが、現在のところ行方不明者の発見には至っておりません”という通知が、もうずっと、何か月も続いています。

最近はメールで送られてくるものに対して、期待して待っているという気持ちはなくなってきています」


10月下旬、海上保安庁と警察は知床半島先端部の海岸で集中捜索を行いました。しかし、潜水士などを派遣して沿岸部を捜索する機会は日を追うごとに減っています。


雪が多く降るようになれば捜索の条件はより厳しくなると、父親は焦りを募らせています。


「冬になって雪が降れば捜索が難しくなるというのはわかっていたので、雪が降るまでに海岸線を捜索する回数を増やしてほしいと言っていました。

天候が悪くて中止になっても、次の捜索の日程が決まるまでに半月かかる。現地で捜索してくれている方は本当に一生懸命探してくれていると思いますが、捜索方針を決めている方が、本気で見つけようとしてくれているのかなと不信感を抱いてしまいます」


父親は、運航会社や国の対応にも、やりきれない思いでいます。


「運航会社の社長は以前、『逃げも隠れもしません』と言っていたが、いまその言葉が全く守られていないと感じます。事故原因についてどう思っているのか、もう一度きちんと説明してほしいです。捜索の初動の遅さや観光船の検査の甘さなどを放置してきた国にも不信感を持っています」


いつか2人が帰ってきてくれたら

ある日突然、目の前からいなくなってしまった大切な家族。

夢から目が覚めるたびに現実に引き戻されながらも、父親は親子の時間をノートに書き留め続けています。


取材後記

父親が見せてくれた直筆の日記を読み始めたとき、無邪気な7歳の男の子の姿が浮かび、私も思わず涙をこらえ切れなくなりました。

「夢の中でしか会えない」という父親のことばの重みが、文章に詰まっていると感じました。


私が北見局で勤務していたとき、実家のある横浜市から母が知床の観光船に乗るのを楽しみに訪ねてきてくれたことがありました。

誰の身に起きてもおかしくなかった今回の事故。


「事故を忘れてほしくないから」と取材に応じてくれる父親の思いを届けられるよう、この事故を追い続けていきたいと思います。