<平成24年5月上旬>
前回紹介した「野毛山公園」から歩いて10分くらいのと
ころに横浜能楽堂があります。
その外観。
なかには、2階に展示廊下があり、装束や楽器など能楽にまつわるものが展示されていました。
本舞台は、関東地方現存最古の能舞台で、有料公演のない時には見学できたようですが、あいにく使用中でした。
横浜能楽堂のすぐとなりが、掃部山公園(かもんやまこうえん)です。
小さい公園ですが、井伊直弼の像があります。
幕末の重要人物で、幕末の開国や桜田門外の変で暗殺されるなど、歴史の転換点の中心人物です。
なぜ、彦根藩主の井伊直弼の像が横浜に?という疑問がありましたが、石碑がありました。
日米修好通商条約により横浜が開港しましたが、明治になり旧彦根藩士有志によりその功績を残そうと
この山を買い取り記念碑を立てたのが始まりで、大正になり井伊家から横浜市に寄贈され公園としたようです。
掃部山公園の「掃部」は、井伊掃部頭直弼の官位の“掃部頭”からきています。
“掃部頭”とは、かつて日本にあった律令制の官職で掃部寮の長官のことで、井伊家宗家では代々“掃部頭”を名乗っています。
その後、横浜三塔を巡りながら、中華街へ。
横浜三塔とは、大正~昭和初期に建てられた歴史的建造物の塔で、
横浜三塔が見えるスポットを巡ると願いがかなうという都市伝説まであるようです。
3つの塔とは、次の建物でそれぞれ愛称があります。
神奈川県庁“キング”
横浜税関“クイーン”
横浜市開港記念会館“ジャック”
中華街は、ゴールデンウィークということもあり、激混みでした。
何回も行っていますが、あんなに人が多いのは初めてです。
中華街大通りがびっしり人で埋まり、身動きができないくらいでした。
写真を撮る余裕がなかったです。
中華街パーキングの写真。
ちなみに暗くなる前(6時前)に入庫しようとしましたが、満車で並びました。
前回紹介した「野毛山公園」から歩いて10分くらいのと
ころに横浜能楽堂があります。
その外観。
なかには、2階に展示廊下があり、装束や楽器など能楽にまつわるものが展示されていました。
本舞台は、関東地方現存最古の能舞台で、有料公演のない時には見学できたようですが、あいにく使用中でした。
横浜能楽堂のすぐとなりが、掃部山公園(かもんやまこうえん)です。
小さい公園ですが、井伊直弼の像があります。
幕末の重要人物で、幕末の開国や桜田門外の変で暗殺されるなど、歴史の転換点の中心人物です。
なぜ、彦根藩主の井伊直弼の像が横浜に?という疑問がありましたが、石碑がありました。
日米修好通商条約により横浜が開港しましたが、明治になり旧彦根藩士有志によりその功績を残そうと
この山を買い取り記念碑を立てたのが始まりで、大正になり井伊家から横浜市に寄贈され公園としたようです。
掃部山公園の「掃部」は、井伊掃部頭直弼の官位の“掃部頭”からきています。
“掃部頭”とは、かつて日本にあった律令制の官職で掃部寮の長官のことで、井伊家宗家では代々“掃部頭”を名乗っています。
その後、横浜三塔を巡りながら、中華街へ。
横浜三塔とは、大正~昭和初期に建てられた歴史的建造物の塔で、
横浜三塔が見えるスポットを巡ると願いがかなうという都市伝説まであるようです。
3つの塔とは、次の建物でそれぞれ愛称があります。
神奈川県庁“キング”
横浜税関“クイーン”
横浜市開港記念会館“ジャック”
中華街は、ゴールデンウィークということもあり、激混みでした。
何回も行っていますが、あんなに人が多いのは初めてです。
中華街大通りがびっしり人で埋まり、身動きができないくらいでした。
写真を撮る余裕がなかったです。
中華街パーキングの写真。
ちなみに暗くなる前(6時前)に入庫しようとしましたが、満車で並びました。