皆さん、遅くまで起きているんですね。
時ならぬ、電気の話、昔を思い出しましたよ。
当時の鉄研では象さんの同級生様たちと無線班までできてました。 無線部はちゃんと別にありました。
霞ヶ関ビルで万世ラーメン一杯をおごってもらい、買収に応じ、巣鴨まで電話級の講習会を受けに行きました。
おかげさまでインピーダンスとオームの法則はあの時初めて理解しました。
ついでに虚数を教えてくれたら後で苦労しなかったかも。
月刊誌の模型と工作がなくなったのもあの頃でしたっけ。
鉄道模型趣味なんて難しくて、この本の実体配線図が無ければ、ボール紙を切り抜いて作った模型の配線なんてできませんでした。
講習期間中に新宿でタンク車の衝突炎上事故が起きて、都電で迂回して巣鴨に行ったのも思い出です。
JARL へ着いたら数人しかいませんでした。
当時の物理の先生が蓮田から通っていて、EF57の牽く普通列車が停まったのか、通過するかとの話をしました。
どっちだったか忘れています。 東大宮は通過したはずですが、隣の蓮田はどうだったんでしょう。
当時の時刻表をしらべてみたいなあ。
あの先生、お世話になったなあ、化学をやる気にさせてくれてますもの。
つまり、物理が嫌になったんだけど。
SIが導入される端境期で、ただでさえ分かり難いのに、MKS単位と、cgs単位がまぜこぜになって、力も J(ジュール)やN(ニュートン)だったり、kgf だったりで、面倒になってしまいました。
系統立てれば易しかったはずですが、投げちゃいましたねぇ。
サイクルもそうですね、Hz が正式採用されたのが1972年だそうで、当時は周波数にサイクルを使用してました。ただ、こちらは言葉を言いかえればよいのですぐ受け入れました。
計量法上は10年ぐらい前まで認められていたのですね。
私の記憶の50サイクル用交流電機EF71は合っていたようです。
ヨンサントウで、はつかりから引退したキハ81はつばさに転用ですよね。
と言うと補機のEF71と組んでいたことに気づきました。 私の中では、つばさとEF71の印象ではキハ181系ですけれど。
遠い昔ですねぇ。
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