子供の頃のクリスマスは、サンタさんとトナカイと言うより、西洋が降臨したような不思議な日だった。
子供の頃のクリスマスは、サンタさんとトナカイと言うより、西洋が降臨したような不思議な日だった。
今年からガラリと生活が変わるハズなので、販促をかねてグッズを作る。お手軽にマグカップ。
お片付け。ようやく原稿用紙が広げられるようになりましたが・・・
ここまででいいことにしちゃいたい。
活動的なゴム段が、女の子の遊びだったというのは、時代が進めば忘れられそうな気がする。
駄菓子屋で長いゴムを買ってくる子もいたが、家の輪ゴムを根気よくつないで長くしてくる子もいた。
スカートはパンツの足外側部分にはさんで、ひらひらとパンツが見えるのを防ぐ。
持ち手が足りないときは、木や電柱にしばりつければいい。
くぐったり、足を引っかけて飛ぶ技もあって、ナワトビより懐の深いところが好きだった。
一時期、教育テレビでゴムダンおじさんなるものをやっていて、これで復活すればいいと思ったがダメだったようだ。
テレビで見たからやってみよう、みんなを集めて指導しよう、ではゲームになってしまう気がする。それでも十分面白いのだが。
子供たちの遊びには、実に様々な知恵と思いやりが綾なされていた。
高度成長期以降に失ったものは大きい。
すみません、ここの所確定申告でサボり気味、アピールチャンスに向けて再掲載です。
結構以前の物で、申し訳ありません。
*****
さて、私は子供の頃、けっこうマンガから知識を得ましたので、若い方がこのブログを鵜呑みにしないように時々気を使います。
と、いうことでフェイクニュースの話。
てっとりばやく、以下、検索でひっかかったBuzzFeed newsからコピペ。
マンガは 6 ですが、漫画の絵を使ってその他の行為がなされて問題になったりしているみたいです。
「昭和」に戦中戦前を含めない印象で使うのは、4のミスリーディングになるので、私は実は好きではありません。
私を含め、だれでも引っかかったり流してしまったりしかねないことに、情報の怖さがありますよね。
みなさまも私も、お気をつけて
昭和30年代の町場の子供の親は、地方から出てきて頑張っている人が大勢いました。
父は山から、母は海から上京して、一生懸命に働いていました。
栗に虫がいると、父は「栗の虫は食べられるから怖がることはない。甘くてうまいのだ」と教えてくれました。食べはしませんでしたが、見るとなかなかに、まるまるしゴニョゴニョ動く、可愛らしいものでした。
母方のいとこに「東京もんは虫が怖いんだ」とバカにされていたこともあって、私は虫を好きになるココロのシュギョーをして、今ではけっこう虫が好きです。
さて、懇意にしてくださる小父さんから、栗をたくさん頂いたので少しずつ茹でて食べることにしました。たいへんおいしい栗で、ほのかな甘みが上品です。すぐに全部茹でればよかったのです。
ほとんど甘栗しか食べたことのない私は、知らなかったのです。栗の虫は外から穴をあけて栗に潜り込むのではないことを…。
数日後、大勢の可愛い栗の虫が、外に出てきて、私のガッキュー的好奇心の対象と、転がして遊ぶ玩具になりました。そのうち・・・数が増えると、どうして可愛いはずの虫が怖くなってしまうのでしょう?
好奇心と怖さは、人間が生きるために身に付いたものですが、このように同時に進行せねばならぬ時に、どちらの方に立ち位置を持っていくかで、その人間の人格が形成されていきます。
・・・私はバカです。
珍しい物がいっぱいの人の家。人の家に上げてもらうのは嬉しかったものです。
親しい知り合いや親せきのの家は、あれは何、これは何?と目をランラン。
あまり親しくない知り合いや、なりゆきでおじゃました方のお家だと、うちは町場だから職業も様々でなんだか異文化のようでした。
工場やお店については好奇心も表に出せたけど、生活についてはあれこれ聞かない方が礼儀に適っている気がしていました。
今ではあのころより、生活が均一化しているのではないでしょうか。お店や職場に子供は顔も出せなくなりました。でも下町や地方だと、まだ子供たちはお母さんの仕事場に顔を出したりしているかもしれません。そこで遊んで叱られたりもして。
今も売っている駄菓子。昔は色がもっと赤くてコーティングは薄かった。
今のは高級で、あまり甘すぎて別なものな気がするが、やはり時々買って食べる。
本当のオフなのか、疑っていたあの頃。
ゴムの伸び切った帽子かぶった坊主、おい、おっさん。
令和はすぐそこだ。