遠目に見ると朽ちた建造物などで軍艦の形にそっくりだというところから、長崎では『軍艦島』の異名で呼ばれています。
今世紀、この島から「黒ダイヤ」として石炭が掘り出され、日本の近代化を支えてきました。島には、当時としては最先端の高層鉄筋コンクリートのアパートが林立し、学校、病院から映画館やパチンコ店まですべてがあったそうです。生活水準も高くまさに「未来都市」だったのでしょう。多くの炭鉱労働者と家族が5000人もの人々が東京よりはるかに高い人口密度で暮らしていた島。
でもそこはまるで核戦争爆発後の世界が広がっていました。
原爆が落とされなくとも廃墟は生まれるのか・・・
私には繁栄するために石炭を掘りつくした後の負の遺構としか思えませんでした。
一番高い住居は職員宿舎で工員家族は周りを囲むように建てられたアパート群に住んでいたらしい。島では水が不足していたはずなのに職員社宅には水洗便所が完備されていたそうです。
今世紀、この島から「黒ダイヤ」として石炭が掘り出され、日本の近代化を支えてきました。島には、当時としては最先端の高層鉄筋コンクリートのアパートが林立し、学校、病院から映画館やパチンコ店まですべてがあったそうです。生活水準も高くまさに「未来都市」だったのでしょう。多くの炭鉱労働者と家族が5000人もの人々が東京よりはるかに高い人口密度で暮らしていた島。
でもそこはまるで核戦争爆発後の世界が広がっていました。
原爆が落とされなくとも廃墟は生まれるのか・・・
私には繁栄するために石炭を掘りつくした後の負の遺構としか思えませんでした。
一番高い住居は職員宿舎で工員家族は周りを囲むように建てられたアパート群に住んでいたらしい。島では水が不足していたはずなのに職員社宅には水洗便所が完備されていたそうです。
長崎湾内クルーズも兼ねているので、長崎に来たら是非行って見て
一度テレビで島内(ほとんど建物)の荒廃を放映してるのを見ました。
上陸出来るって初めて知りましたが、行ってみたいな。
もう少し中まで見せてよ~と不満が残りました。
見学したい次男の要望でパソコンから予約したのですが、連休中は満席で取れず、戻る前日の午前中がやっと空きました。県外のお客さんがほとんどよ。
上陸時間は一時間弱ー、コンクリートの照り返しで暑いというより熱いがぴったりで、さるくボランティアガイド高齢者の方が日射病にならない(日陰がほとんどない)か心配したぐらいです。
とんびとイソヒヨドリは元気に高らかに啼いていたけど・・・