何かについて想いを馳せるとき
どうも私は『ごめんね』が前についてしまう
今、それに気がついた
“ 母の日 ”
こう書いた次の瞬間、ごめんねお母さん、が頭に思い浮かんだよ
何がごめんね、なのか
“ 母の日 ” の感謝の気持ちを形にしていない
母が喜ぶようなこと(こちらの勝手な想像だけど)もできていない
反省から始まる傾向にあるらしい
ひめちゃんに対してもそうだなぁ
心ゆくまで看たつもりだけど、やはり心の奥底には後悔のようなドロドロしたものも沢山ある
だから
つい『ごめんね〜』が出てくるよ
どちらかを選ぶことの連続が人生なんだと思うけど、どちらを選んでも反対側の体験がないから
それが後悔としてでてくるのだろうな
だとしたらそれは、いらないもの、なのかもしれない
だって右を選んだら左を選ばなかった後悔がでてきて、そのまた逆も同じなんだから
あぁ、そう
頭では理解できてる
わかってるつもり
失ったものに関してはやはり色々思ってしまう
晴れた空に急に入道雲が出てきて大粒の雨が降り始めるように悲しみがおそってくるから
愛していたものを失うということは
こういうことなんだろうね
母の日
母がこの世を去ってから11年
ひめちゃんがこの世を去ってからひと月
忘れることはない
永遠に
いのちというのは1度しか輝かない
タマシイは永遠というけれど
母もひとりだけ
ひめちゃんもそうなのだ
ごめんね〜
でも ありがとうね
大好きをありがとう