全てがご縁なんだね
人、だけじゃなく動物たちも
全てがご縁なんだね
生き物だけじゃなくモノたちも
全てがご縁なんだね
起こること 出会うすべてのこと、も
ご縁はいつか終わる、のかな
心の中では永遠に忘れることはなくても
終わることもあるよね
物理的に
ご縁あって幸せだった、ありがとうね〜
という先にさようなら もあるんだよね
私が宇宙で一番愛していたひめちゃんが天寿を全うしました、18歳と7ヶ月
長生きでしたよ、途中 子宮蓄膿症という病気にもなりましたが奇跡の復活をして約4年
他には病気らしい病気もなく息を引き取る2週間前まで自分の足で歩き、自分の口でドライフードも美味しく食べて、もちろんトイレも
賢く、そして可愛いらしい最高のニャンコでした
今日4/18でちょうど1週間
名前を呼んでもやっとボロボロに泣かなくなりました(もちろん寂しいしかなしいけど)
2016年6月にもう1匹のにゃんこ、モコを見送った後、9月に危ない時があったのです
その時にひめには出来る限りそばに居る、出来るだけのことをする、と決めていたので 最後の最後まで納得する形で面倒を見ました
ただし、これは飼い主の考え方一人ひとり異なるのであくまでも、『私は』ですけれど
病院は嫌いだから行くこと自体がストレスでしかないし、高齢(子宮蓄膿症発症が15歳のとき)なので手術などはリスク高すぎるためしなかった
その後も積極的治療はしませんでした
その分、出来る限り外泊はしない、夜のお出かけも最小限にしてできる限りそばに居るようにしてた
それが正解とかどうとかは置いといて
この18年と7ヶ月という期間、毛深い子たちが4匹いました
猫さん2匹、わんこ2匹
賑やかでしたよ
ひとつの時代が終わった感じです
大袈裟でなく、本当に
家の中の静けさと広さと
少しずつ慣れてくるのでしょう
コロナ騒ぎもあり在宅時間も長い
これまでの考え方がゴロリと変わるような2020年
私も色々とゴロリと変わるのだなぁと思っています
ご縁が薄くなったりなくなったりした時に
なんとも言えない心細さや悲しさ、寂しさを感じていたけれど
それって当たり前だしこれまでの人生でも普通に起こっていたことだよね
忘れてしまっていただけ
新しく始まるご縁もあれば
薄くなり、消えてしまうものもある
私自身もこの地球とご縁があり、今ここに居るけれど
いつかは居なくなる生き物
まだまだ今はなにもやる気も起きず大好きな写真すら撮る気が起こってこない
大好きだったモフモフさんを失った悲しみからはなかなか立ち上がれないかもしれない
でも、いつかフトわくわくした気持ちでカメラのファインダーを覗く日がくるのだ
楽しみに待っていよう
そして、こんな日記を書いていたことを懐かしく思う日がくることもわかっているのだから
ひめちゃん、長いこと私のことを癒してくれてありがとう
ひめちゃんのおかげで私はとても幸せだったよ
ひめちゃんのことを心配しないで良い日がくるなんて想像もできなかった
心配しないってこんなにも悲しくて寂しいことだなんて、考えもしなかった
ひめちゃん、モコやトト、1月に先にいってしまったマルタにも会えたかな
もう痛くないね、ぴょんぴょん走れるね
思い切り爪研ぎして蝶々や鳥を追いかけて
ご飯もたくさん食べてね
あたたかいところでよーくお寝んねしてね
最後に立ち上がれないアンヨで何度も何度も私の方に来ようとして、声を振り絞って鳴いて私を呼んで甘えん坊しながら『ありがとう』って言ってたこと、私もよくわかってるよ
どこにそんなチカラがあるのかと思うほどの時だったけれど、だからこそちゃんと伝わったよ
ひめちゃん、宇宙で一番愛してるよ〜
最高のニャンコだった
だーい好き♡
私がそっちに行く頃にはひめはこちらに居るかもしれないけれど、ご縁あれば
また、私と出逢ってください
ひめとの最後の夜は一生忘れません
ありがとう