少女ライリーを子どもの頃から見守ってきたヨロコビやカナシミら頭の中の感情たち。そんな中、思春期真っただ中のライリーに、高校入学という人生の大きな転機が訪れる。友人関係の変化や将来について考えるようになったライリーの頭の中に、シンパイをはじめとするそれまでになかった“大人の感情”たちが姿を現す。シンパイはポジティブなヨロコビと衝突し、やがて子どもの頃からいたヨロコビたちを追放してしまう。ヨロコビたちがいなくなったことで、次第に自分らしさを失っていくライリーだったが…。
映画館 ★★★★
小学生時代、先生の問いに対して「ハイ!」なんて元気よく手を挙げて当ててもらおうとしていたのに、中学生になると誰も手を挙げなくなるのはどうしてなんだろう。私のこの話は少なくとも50年も前の話なので、令和の現在でも小学生は元気よく手を挙げて、中学になったら手を挙げなくなるのかどうかはわからないけれど。
この「インサイド・ヘッド2」はちょうどその世代・・・「思春期」を迎えた少女が「大人の階段を登る」頃のお話です。確かに小学4年生くらいまでは「ヨロコビ」「カナシミ」「イカリ」「ムカムカ」「ビビリ」の5感情で子どもは生きていけますし、もちろんそれが正しいと思います。しかし、小学6年生以降中学卒業くらいまでに「シンパイ」「イイナー」「ハズカシ」「ダリィ」「ナツカシ」などの感情が・・・ようするに思春期にそういう「自他の区別」をつけていけないと、「空気を読めないやつ」などと批判されてしまいます。
確かに、「ヨロコビ」ばかりでは人間生きていけません。もちろんそういう感情が大切なのもわかりますが、この「インサイド・ヘッド2」では「ヨロコビ」こそが全く浮いていて、どちらかと言えば「シンパイ」に同調する人も多いと思われます。この映画では敵役のような扱いでしたが決して「シンパイ」は否定されるものではなく、大人になるということは「シンパイ」の部分が増えてくるということだと思います。
合宿に行く直前のヒロインに初潮が訪れたり、母親が「デオドラントに注意」などという、なかなか生々しい描写を軽くスルーしていましたが。。。はてさて、思春期前の小学生たちや、そういうことに疎い中坊などに理解できたのでしょうか。
やはりこの作品は思春期以降の「大人」の人向けなのは間違いがないですね。
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