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大正時代、京都。20歳の駆け出しの女優・長谷川泰子は、まだ学生だった17歳の詩人・中原中也と出会い、恋に落ちる。やがて上京した2人は、中也の才能を高く買う評論家の小林秀雄と出会う。互いを評価し合い、親密になっていく中也と小林の姿に複雑な感情を抱く泰子だったが…。
映画館 ★★★☆
太宰治と松本清張の生年が同じ1909年って知ってます?ご存知のように太宰は1948年に心中し、清張は1992年に亡くなっています。1960年生の私が中学生になった頃には太宰は国語の教科書に写真入りで「走れメロス」が掲載されていました。死後25年ほどしか経っていないのにです。清張は私が30過ぎまで新作を書き続けましたが、死後30年以上経っても私にとっては今も生きているという感覚なんですね。
私が何を言いたいかというとこの映画「ゆきてかへらぬ」は長谷川泰子が1974年に残した自伝を元に映画化されていますが、主な登場人物の生年と没年を記しておくと
中原中也(1907~1937)
長谷川泰子(1904~1993)
小林秀雄(1902~1983)
冒頭に太宰と清張の例を挙げましたが、一番生年があとの中原中也は30で亡くなり、長谷川泰子のことは全く存じませんでしたが、小林秀雄は私が大学を卒業した年まで存命でした。中原中也や太宰治に限らず、後世に素晴らしい作品を残した「天才」たちは早逝なのでしょう。自死を選択する場合も多いですが、早逝したからこそ短期間に発表された作品が尊ばれるのかもしれません。
この映画の三角関係はたった5年間ほどのお話です。1927年中原中也は17歳で彼女と同棲を始め、上京し、18歳で彼女は小林秀雄の元へ行き、1928年には小林は彼女の元を去ります。
天才である中原中也と、心の病を持つ長谷川泰子と、あくまでも常識人評論家である小林秀雄による三角関係は、人間性はともかく天才である中原中也を泰子と小林が取り合ったというふうにも見えます。 小林が泰子から逃げてから中原中也の死まで、およそ10年間という月日が流れていますが、その部分をほとんど描いていないので、ちょっと中途半端のようにも思えました。
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