「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

歴史の回想・「源義朝の群像」アマゾン電子書籍紹介。楽天・グーグル・角川・BOOK★WAL」

2020-02-26 13:36:53 | 温故知新


「源義朝の群像」アマゾン電子書籍紹介。角川・BOOK★WAL」
「源義朝」(1123年~1160年)平安後期の武将。源為義の嫡男。「保元物語」に父為義の言として「義朝こそ坂東育ちの者にて、武勇のみちにたけて候へ」とある。1145年(久安元)官宣旨案「天養記」のなかに「上総曹司を伝える得る」とみえ、従者1,000騎を率いて相模国大庭御厨に乱入、また同じ頃、下総国相馬御厨を伊勢神宮領に寄進しようとした千葉氏に圧力をかけており、幼少より関東育ち、鎌倉の館を占拠して東国で武士を統合していたと考えられる。こうして、東国で武士を統合した義朝は1153年(任平3)東国経営を長子義平に任せて上洛し、父為義を超える従五位下・下野守に任官する。1156年(保元元)の保元の乱では、東国武士を結集し、平清盛とともに後白河天皇方について、父為義の属する崇徳上皇方について、その功で右馬権頭となり、昇段が許された。乱後の朝廷内複雑な権力闘争のなかでは、院近臣藤原信頼に接近して、清盛と対立し、1159年(平治元)には平治の乱を起こし、後白河上皇を幽閉するが、清盛との戦いに敗れ、関東に逃走中に尾張国内海荘で、同荘司で郎従の長田忠致の寝返りにあって謀殺された。




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