「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

『日本神道の神々』1188円アマゾン書籍紹介。

2019-04-30 05:09:04 | 温故知新
『日本神道の神々』1188円アマゾン書籍紹介。
日本の神道は仏教や儒教の伝来前には古神道が存在し、純神道、原始神道、神祇信仰は自然崇拝、物体、磐座や洞穴や奇岩、巨木に巨大岩石に峻険な峰々に精霊を感じ信仰されていった。また大自然の海や川、山岳に畏敬の念をもって祀られていた。それぞれの地域に集団で氏族が形成され、一族の崇敬する祭神が氏族の団結を高めていき、古神道が生まれていった。『記紀』が成立し、神話の世界から天地創造の神々が生まれ、いち早く地方へと神々の伝播されていった。仏教伝来と同時に、時代を経て融和、同化していった。それが「神仏習合であった。千年以上も神仏習合の歴史文化が明治維新の神仏分離令を持って、分別されていった。今や神社数、仏教寺院数はほぼ同じ勢力を持って棲み分け作って共存している。再び過去の日本神道は振り返って神道はどう進化と変化をしてきたか検証して見た。

『大久保長安事件の陰謀』グーグル・楽天・角川・電子書籍紹介。

2019-04-27 05:08:53 | 温故知新

『大久保長安事件の陰謀』アマゾン電子書籍紹介。
一階の猿楽師から、武田家臣団に加えられて出世したが、武田氏崩壊後は浪人になって流浪後、家康の大久保忠隣に召し抱えられ、武田時代の土木事業・農業事業で技術を生かし活躍し、家康の関東入国後領国支配で辣腕を振るって、十年以上も費やして諸国に一里塚を設置し、検地法を編み出し、石見・佐渡・伊豆の金銀山の鉱山開発し、膨大な資金を私財、蓄財した嫌疑を持たれ、家康にその資金で徳川幕府の転覆陰謀策に嵌められた。一族眷属は連座し死罪、磔晒し首に処罰をされた。史実を明確にされることなく、多くの謎に秘められたなぞ多い不思議な事件であった。


『幕藩一揆の攻防』グーグル・楽天・角川・電子書籍紹介。

2019-04-26 05:26:39 | 温故知新

『幕藩一揆の攻防』アマゾン電子書籍紹介。
日本史上,最も天下泰平で安定した時代は、慶長年間から始まった徳川幕府の江戸時代である。西暦1603年から1867年の明治維新までの約260年間の鎖国と共に、幕藩体制の下に日本の独自な統治と伝統文化、風習と習慣を形成していった。
江戸時代の天下泰平社会であっても、苦しい暮らしの百姓一揆は藩政に絶えることなく訴え続けた。藩政の財政難に検地を(税率)改め重税と税制を変え巧みに百姓に負担求め、百姓は年貢、労役に疲弊し、耐え切れなく越訴、箱訴、駕籠訴など、一揆を頻繁に起こした。一揆には秩序を乱し、混乱を招いたとして、厳しい処分が下されたが、処分は農民ばかりに、厳しい処罰は下されなかった。
藩政の失策として大名にも厳しい沙汰が下され、減封、転封、改易から切腹まで百姓同様の処分を下された。放漫藩政に破たんする藩には「藩再建屋」松波勘十郎様なるものが現れ、何カ所かの藩検地の見直しや地域物産の販売で成果を得たが、最後は水戸藩で失敗し獄死している。越訴によって藩政の失政が、幕府の知る所に至り大名が改易に処せられた。
天候異変で疲弊する百姓に年貢は農民の飢餓に死者の数が悲惨さを物語り、惣代、庄屋は立ち上がり、首謀者として斬首、磔(はりつけ)を以て収束をした。また地域に一揆で犠牲になった「義民」を後世に伝え残され、今尚、偉人として顕彰されている。
江戸中・後期には、打毀し、「世直し一揆」と藩政を揺るがす騒動へと変化していった。幕藩体制で52件の一揆を探り、江戸泰平の世に幕藩体制の維持・存続と、民・百姓の生存をかけて、丁々発止の攻防を繰り広げられた。


『幕閣列伝大老・老中』グーグル・楽天・角川・電子書籍紹介

2019-04-24 06:07:27 | 温故知新

『幕閣列伝大老・老中』アマゾン電子書籍紹介
日本史上,最も天下泰平で安定した時代は、慶長年間から始まった徳川幕府の江戸時代である。西暦1603年から1867年の明治維新までの約260年間の鎖国と共に、幕藩体制の下に日本の独自な統治と伝統文化、風習と習慣を形成していった。
江戸時代の天下泰平社会であっても、苦しい暮らしの百姓一揆は藩政に絶えることなく訴え続けた。藩政の財政難に検地を(税率)改め重税と税制を変え巧みに百姓に負担求め、百姓は年貢、労役に疲弊し、耐え切れなく越訴、箱訴、駕籠訴など、一揆を頻繁に起こした。一揆には秩序を乱し、混乱を招いたとして、厳しい処分が下されたが、処分は農民ばかりに、厳しい処罰は下されなかった。
藩政の失策として大名にも厳しい沙汰が下され、減封、転封、改易から切腹まで百姓同様の処分を下された。放漫藩政に破たんする藩には「藩再建屋」松波勘十郎様なるものが現れ、何カ所かの藩検地の見直しや地域物産の販売で成果を得たが、最後は水戸藩で失敗し獄死している。越訴によって藩政の失政が、幕府の知る所に至り大名が改易に処せられた。
天候異変で疲弊する百姓に年貢は農民の飢餓に死者の数が悲惨さを物語り、惣代、庄屋は立ち上がり、首謀者として斬首、磔(はりつけ)を以て収束をした。また地域に一揆で犠牲になった「義民」を後世に伝え残され、今尚、偉人として顕彰されている。
江戸中・後期には、打毀し、「世直し一揆」と藩政を揺るがす騒動へと変化していった。幕藩体制で52件の一揆を探り、江戸泰平の世に幕藩体制の維持・存続と、民・百姓の生存をかけて、丁々発止の攻防を繰り広げられた。


歴史の回想『戦国大名・敗将の有終』電子書籍紹介。グーグル・楽天・角川・電子書籍紹介。

2019-04-21 05:48:14 | 温故知新

『戦国大名・敗将の有終』アマゾン電子書籍紹介。
飛鳥奈良時代から四〇〇年間も長期にわたって平穏な時代から、武家天下への鎌倉時代の百四十年余りを経て、再び京都の室町幕府の二百四十年から江戸時代の天下泰平の江戸時代までの間に、安土桃山時代の前に、日本史上に例を見なかった下剋上の親、主君を斬殺する逆罪・裏切り・騙し討ち・兵糧攻めと農民を含め全員を焼き殺しや日干し攻めなど一般の農民も交えた皆殺し・容赦ない卑怯な戦法がまかり通るのが戦国時代であった。華々しく天下取りの戦国武士は野山を駆け抜け、大きく時代を変えて、秩序を踏みにじって天下取りに血道を上げて京都を中心に諸国を駆け巡った。勝者と敗者の勝敗をかける明け暮れに、勝者の大名は後世にその名を残し、その雄姿を日本史上に標榜を立てた。だが、戦国大名の敗将を語られることは少ない。僅かの隙を突かれて、運悪く散った武将、敗将の要因は様々、運も家臣も天候にさえ見離されて野山に朽ち果てた武将も少なくない。ここに、勝者に焦点を合わせるのではなく、敗将にも焦点を当てる