「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「歴史の回想・桶狭間の戦い」アマゾン電子書籍紹介。グーグル・楽天・角川・BOOK★WALK」

2020-03-06 11:58:14 | 温故知新


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「桶狭間の戦い」は1560年(永禄3年)5月19日、織田信長が今川義元を尾張国桶狭間村(現名古屋市緑区)を含む丘陵地帯で敗死させた戦い。1550年代、三河を勢力圏に組み入れようとして織田氏と今川氏は、調略によって尾張鳴海城を奪取。これに対して信長は鳴海城の周辺に丹下砦、善照寺砦、中島砦を築いて封鎖した。鳴海城の南にある大高城も鷲津砦、丸根砦を築き抑えようとした。1560年5月、義元は鳴海城の確保と織田軍の撃破を目的として出陣、19日に鳴海城外の桶狭間山に本陣を置いた。今川軍は早朝から織田軍の砦群を攻撃、鷲津砦、丸根砦を攻略、昼頃戦場に到着した信長は、温存していた主力群を率いて今川軍の正面から破り、混乱に乗じて義元を倒した。この結果、今川氏は衰亡へ向かい、信長は美濃の斎藤氏対策に専念、徳川家康は今川氏と服属関係を断って信長と同盟するに至った。戦闘の経緯は信長の家臣太田牛一の「信長公記」に詳しく書いてある。なおこの戦いを、天下を目指して上洛する途上の義元を、信長が豪雨の中、善照寺砦から大きく迂回して、田楽狭間の窪地に休息する義元の本体を丘の上から奇襲で倒したものとする説が有力とされている。



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