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「蜂須賀氏」(はちすかうじ)安土桃山時代から江戸時代の大名。出自は、尾張国海東郡蜂須賀村(愛知県あま市)を領した土豪武士。蜂須賀小六正勝が桶狭間(おけはざま)の戦いに織田信長を助けたときから頭角を現し、豊臣秀吉をもよく助け、1 天正9年(1581)に播州龍野に封じられて大名となり、嫡子家政の子蜂須賀至鎮が慶長5年(1600)徳川家康の養女を娶って家督を相続。関ケ原の戦いに家政は西軍に与したが出陣せず、至鎮が東軍に属し、本領を保った。1600年に阿波国一円を知行された。さらに家政の嫡子至鎮が元和1年(1615)に淡路を加増されたことによって、徳島藩25余万石の大大名に列せられた。その後は忠英、光隆、綱通、綱矩、宗員、宗英、宗鎮、至央、重喜、治昭、斉昌、斉裕を経て、茂韶のとき(1869年)版籍を奉還することによって、270年続いた蜂須賀氏の阿淡両国支配に終止符が打たれた。
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